デュアル・ヒストリカ
〜国府・国衙・両国分寺、、、


2008/10/17 (Fri) 21:25:27 

「デュアル・ヒストリカ」
 考古学では判らない、もう1つの稲沢の歴史。
 国府・国衙・両国分寺、、、

原国府

2008/10/18 (Sat) 20:13:09 

 稲沢に尾張の中心がやってきたのはいつなのか?
 現段階では、古墳時代後期(5期区分)のはじめを想定している。
 尾張連草香(おわりのむらじくさか)が介在しているのではないだろうか?
 稲沢市東南に日下部(クサカベ)が存在する。旧平和町・三宅や三宅川の「ミヤケ」も草香に関連した土地の可能性が高い。
 あるいは、大塚古墳の存在を考えれば大江川の開削もこの時期のことなのかもしれない。
 国衙設置以前の中心を意識して都市計画された稲沢を原国府と呼びたい。

レクイエムが聴こえる

2008/10/18 (Sat) 20:05:01 

 壬申の乱前夜には、すでに稲沢・東畑廃寺周辺に国司の居館である国衙が存在していたと思われる。(初期国衙)
 これは、壬申の乱直後、自死したとされる小子部(ちいさこべの)サヒチ(鉏「金且」鉤)と東畑廃寺のつながり(「レクイエムが聴こえる」)から推定される。

多治比氏

2008/10/17 (Fri) 22:27:52 

 レクイエムの後、尾張国司として散見されるのが多治比真人水守(たじひのまひとみずもり)に代表される多治比氏である。
 多治比氏は尾張連草香の血筋とされる。多治比氏の本拠地は大阪・旧美原町を中心とする丹比(たじひ)である。
 丹比には野中寺があり、尾張願興寺との瓦当の同範が指摘されており、尾張国司の多治比氏は尾張氏ゆかりの尾張願興寺周辺にいたのではないだろうか?

橘奈良麻呂の乱

2008/10/17 (Fri) 22:20:23 

 尾張の律令時代の政治史を考える上で、橘奈良麻呂(たちばなならまろ)の乱は1つ注目される事件であろう。
 この事件を引き金に、多治比氏を重用した政治体制から藤原氏一辺倒の政治体制に変わる。
 これを契機として、初期国衙(稲島・於保)から、松下地区への移転を考えたい。

松下地区III期分類

2008/10/17 (Fri) 22:14:30 

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 松下・国府宮は大まかに3段階にわけられそうである。
 松下の国衙・隋所の付近(I期)
 国府宮の国衙を中心とする部分(II期)
 国府宮神社の北、政常(III期)
 II期には、大江匡衡の学校院の跡が推定されている。およそ、I期、II期、III期の順で推移するものであろう。
 今回の字名の検討では「管原」「諏訪」「州原」など「スガワラ」を連想させる地名が広範囲に確認された。また「砂原社」も「スガワラ」を連想させる。松下・国府宮の周辺を広く「スガワラ」と呼んでいた可能性をにおわせる。尾張の介、菅原清公(すがわらのきよきみ)の存在を考えたい。

松下地区・I期概念

2008/10/17 (Fri) 21:59:10 

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 松下地区、I期の地名から得られる概念は図のようになろう。
 政庁を国衙と呼んだのであろう。III期の「政常」からも想定されよう。その東方に官衙(隋所)、北出には正倉院のような区画を想定できるのかもしれない。修理若御子社(すりわかみこしゃ)は造尾張国府司のような準備室・修理所のようなものの残像ではなかろうか?

大国府

2008/10/17 (Fri) 21:51:29 

 松下・国府宮周辺のみを「尾張国府跡」と呼ぶのは必ずしも正しくない。尾張国府はもう少し広い範囲をもつ。ここでは、それを「大国府」と呼ぶことにする。
 大国府で近年、注目される成果は下津遺跡群、下津高戸地点(おりづたかどちてん)(下津城跡下層遺跡および下津新町遺跡)であろう。遺構としては総柱建物(倉庫)、遺物としては製塩土器の脚など発見されており、生産遺跡、貯蔵施設、流通拠点のような性格を持つのではないだろうか? (こう概説してしまうと何のことかわからん・・・)

尾張国分寺(矢合)

2008/10/17 (Fri) 21:40:00 

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 尾張国分寺の「寺域」の推定の顛末は他にゆずる。
 境内地の検討からは図のような範囲推定がなされた。
 福田院(仮称)の西南に大縄遺跡があり、そこから瓦が出土している。あるいは、西院伽藍(福田院)の西端は、いくらか西にずれる可能性もある。
 また、大縄遺跡の周辺に西大門のような、西への出口・西方浄土への入り口のような施設を想定できるのかもしれない。
 尾張国分寺を884年に「廃絶」したとする考え方は熟考を要する。以前に指摘したとおり。

尾張法華寺

2008/10/17 (Fri) 21:31:42 

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 尾張法華寺(尾張国分尼寺)は、稲沢市馬場・法花寺に推定される。図の法圓寺の南から境界のあたりまでに主要伽藍が配置されるものと思われる。
 この地点からは、あまり瓦は表採されないことから、非瓦葺きの伽藍を想定すべきか。
 尾張法華寺の詳細な範囲推定は、小・中学生の綜合学習のための有用な教材となろう。