タネアカシ・・・


はじめに、「0(ゼロ)」

 みなさんはUNOというカードゲームを知っていますか?
 UNOという遊びの技の1つに(わざという程のものでもないかもしれませんが…)「リバース」というものがあります。つまり、逆回転です。たとえば、時計回りにゲームが進んでいたとすれば、反時計回りになって再びゲームが始まるというものです。
 大富豪(だいふごう)というトランプゲームにも「革命」という技があります。一番強かったカードが一番弱く、一番弱かったカードが一番強くなる切り札です。(UNOにも同じような切り札があったような気もしますが・・・)
 こんなようなことも考えながら、とりあえず僕の話を聞いてください。(なんか長ったらしいのでblog向きではないですが・・)


はじめに、「1(ハナ)」

 たとえば、みなさんが僕の書き込みを読んで千引・奥津社の鏡について興味を持ったとします。
 そして、展示を見に行ったとします。(すでにご覧になってから僕の書き込みを読まれた方もみえるでしょう)
 もし、わからないことがあったとしたら展示会場で質問なさったかもしれませんし、何度も見に行かれた方もあったのでしょう。
 展示会場が遠方なので、近くの博物館や資料館に行って展示会のパンフレットを見せて質問をした方もみえるかもしれません。
 さて、質問をした方、なんて答えでした? どんなことをお聞きになりましたか?


少し調べてみよう

 みなさんが興味を持ったこと、調べてみたいことをインタビュー(聞き取り調査)によってまとめてみることも可能でしょう。
 しかし、今回は少しおもむきをかえて、書き込みに端を発してインタビューでわかったことを文章によって書かれたものによって、調べてみることについて考えてみましょう。
 ただし、これは現在の僕の考え方であって、僕が書き込みを終わって3歩歩いてしまうと、別の考え方になってしまうものかもしれません。
 また、はじめに説明したように、「リバース」や「革命」の考え方も使ってみてください。


2点に注目

 とりあえず、僕の書き込みの中で注目して欲しい2つの内容があります。

 まず、千引・奥津社の鏡には兄弟があって、その鏡たちには有名な学説がある。
 そして、千引・奥津社の鏡には赤い顔料が付着している。

 この2つです。(とりあえず『新撰姓氏録』の記事は無視して後で考えることにします)
 最初に種明かし的なことをしてしまえば、第1点目は千引・奥津社の鏡の兄弟で有名なものに奈良県・黒塚古墳から発見されてもの京都府・椿井大塚古墳から発見されたものがあります。(たとえば『大古墳展 ヤマト王権と古墳の鏡』のような図録を発見することによって比較的カンタンにその知見は得ることができます)
 2点目、千引・奥津社の鏡の赤い顔料の分析結果について僕は残念ながら知っていませんが、ベンガラと水銀朱と呼ばれる赤色の顔料について注目してみましょう。
 ベンガラは酸化鉄(Fe2O3)のことで、赤サビとよばれる鉄クギなどが赤くさびる現象と色の付き方については同じ原理です。水銀朱は硫化水銀(HgS)で辰砂(しんしゃ)と呼ばれる自然の石を細かくつぶして作ります。(水銀朱についてはピーンときてくださいよ。15ページ)


千引・奥津社古墳の鏡という言葉

 今度は、この2つの内容によって、すこし「千引・奥津社古墳の鏡」という言葉を考えてみましょう。
 千引(ちびき)というのは、わざわざつけなくてもいいのかもしれませんが、愛知県海部郡佐織町千引という奥津社のある場所の地名です。
 愛知・奥津社と呼んだり佐織町の奥津社と呼ぶこともあるのかもしれません。(愛知・奥津神社と記されているものもありますが、とりあえず千引・奥津社と考えていいでしょう。「神社」と「社」の違いを説明すると長くなりますので)
 千引・奥津社古墳(いいかげんメンドウくさくなってしまったので奥津社古墳と省略します)というのは、奥津社の祠(ほこら)の下にある高まりのことを奥津社古墳とよんでいます。(『佐織町史 資料編二』にこの辺のくわしいことは書いてあるそうです。現地に行ってみることもオススメします。ざっくりとは図録の17ページに「奥津社古墳墳丘図」が掲載されています。ここまで上の2点を使っていませんが・・・)
 まず、奥津社の鏡の兄弟というのは古墳から発見されています。そして、黒塚古墳の調査当時の写真をみればわかりますが、遺体を葬った部分(石室とか石槨とよばれますが)の床面には赤い顔料で赤く見えます。また、椿井大塚古墳の鏡も写真を見るとなかには赤い顔料の付着したものを見つけることができます。
 つまり、奥津社の鏡のような鏡は古墳から発見される場合が多く、古墳から発見される鏡には石室の状態によって赤い顔料が付着する可能性があるということです。
 さて、「千引・奥津社の鏡」と「千引・奥津社古墳の鏡」という言葉の違いがわかりますか? (どっちでもいいような話ですが……)
 厳密には「千引・奥津社の鏡」は奥津社に伝わっている鏡という意味で、「千引・奥津社古墳の鏡」は奥津社古墳から発見された鏡と言っていいでしょう。
 これまで見てきたように奥津社の鏡は古墳から発見された可能性が高く、また、神社という性格上遠くから神社に対する思いのあかしのようなカタチで土の中から発見された鏡を奉納されたことも考えることは必要かもしれません。
 ただ、この鏡が奥津社古墳から発見されたものではないということは難しいことでしょう。そして、遠くから持ってこられたと考えるより奥津社古墳から発見されたと考えるのが自然なことなのかもしれません。まぁ、とりあえずは「千引・奥津社の鏡」と書くことにしますが・・・
 このように、あるものがどうしてここにあるのかということを調べることを来歴(らいれき)を調べるといいます。今回の見当は地元の方々から聞き取り調査などを行ったものではありません。インタビューにより大きく知見を得られる(あるいは知見を改めされられる)一番いい例として、来歴を調べるという事があるのかもしれません。


いよいよ、本をひもとく

 ここまでは、いろいろな方にインタビューをすれば得られる情報なのでしょう。あるいは、もっと詳細なことを教えてくださった方もみえるのかもしれませんし、逆にインタビューによって得られた知見をもとにみなさんが想いをめぐらせていく内に得られた結論なのかもしれません。
 教えていただいた情報や想いをめぐらせた考えの内容と僕がこれまで想いをめぐらせたことが少し違っても、全く違っても今のところはかまいません。(僕が嘘をついているとすると問題があるのですが・・・)
 冒頭にいってあるように「リバース」や「革命」を使うチャンスを、その知見の違いはあたえてくれるかもしれません。いよいよ、みなさんに本を読んでいただきます。

 小林行雄 「四 大和政権と鏡」「三 魏の鏡」『古鏡』 学生社 2000年〈解説付新装版〉
 小林行雄 「6 大和の支配はどのようにひろがったか」『古墳の話』 岩波新書(ブルー) 1959年

 不勉強で申し訳なく思うのですが、小学生のみなさんには少し骨のおれる探すのも難しい本なのかもしれません。下の本については現時点では本屋さんにはないものでしょう。図書館や古本屋で丹念に探してみてください。(探してくださいというのが一番きついことなのかもしれませんが・・・)
 余談になるのかもしれませんが本というのは自分知りたい情報を得るための道具なので簡単に言ってしまえば、自分の必要な1行2行を引っ張り出せればいい訳です。ただ、書いた人の正確な意味をつかむために「最初から読まなければなりません」のような話になるのだと思います。(この辺は意見の分かれるところだと思います)
 今回、章単位、あるいは、連続して同じ内容をつきつめていった2つの章を示しました。みなさんの理解のしやすさや読む早さなど考えて挑戦してみてください。


余談、本を選ぶ

 さらに余談だと思いますが、僕なりの本の選び方をお教えします。(クセのあるものであったり、使えない選び方なのかもしれませんので気をつけてください)
 まず、どうやって手に取る本を選ぶのか? 多分、タイトルからのインスピレーションであったり著者の名前を知っていたり、以前に読んだことのある著者の最新作かもしれません。
 たいてい、平置きにされているものが最新刊であったり人気のある本なので、それから先に目をとめるでしょう。最新刊や話題の本は少しはなれたところに別コーナーある場合もあるので気をつけてください。
 本を手にとって一番にどこに目をやるか? 表紙が気になる場合は、カバーや凡例、奥付に書かれる表紙の出典でしょうか。次ぎに、目次。本はストーリーにそって書かれているものなので(「あとがき」に「チグハグみたいな内容になっちゃった!」と書いてあるような本でもストーリーがあるように並べてあったり、書いた順にのせられているとすればその人の生き様そのものといってもいいのかもしれません)ストーリーを思い浮かべながら目次を見てゆきます。たぶん、ここまでが本を買う前に行う内容です。
 目次に特に興味のある部分があれば、その章から読み始めます。最近の本に特に多い傾向だと思うのですが一章読み切り形のものがよくあります。古い本になればなるほど、章どうしが連続したドラマであるように感じます。(どっちが読みやすいのかはみなさんの判断にお任せしましょう)
 「あとがき」や「はしがき・序」のような部分も最初に読んでしまったりします。「あとがき」には「本の内容いかがでしたか?」なんて書き方のものもあるので、最初に読むのも恥ずかしく思うこともありますが、意外にここは読んで欲しいという内容が書かれていたりするので読む前に読むのもいいのかもしれません。
 本屋にはちょくちょく行くことをオススメします。よく行っていれば本を探す手間が少なくてすんだり、お気に入りの本をさがすのはやくなったり適切になったりするものです。


ようこそ 知の海へ

 あとのことは、みなさんにお任せすることにしましょう。
『古鏡』の中に僕の大好きな言葉があります「古代人のものの考え方や、その変化についても、わからないところは推論でおぎなってでも、いちおうは説明しなければならな」い。小林行雄先生は、非常に厳密にものからわかることを考えていらっしゃるもので「推論でおぎなって」を額面通りに受け取るのは危険というか、つねにいましめなくてはいけないと思っていますが、古鏡というモノを説明するのに古代人のモノの考え方や、その変化が大切だと説明すること、そして、時に推論で大胆に(ここで「リバース」や「革命」を使ってみてください)おぎなわなければならないということ。
 みなさんも、大胆に推論を加えて鏡の問題、赤い顔料の問題を考えてみてください。


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