中世神話としての尾張
〜『古本説話集』「匡衡和哥事・赤染衛門事」を読む〜


「今は昔」ではじまる多くの物語。一般には説話と呼ばれ、教訓的な御伽話とされる。
 そのようなストーリーの中に、もし現在を突き動かす引き金を秘めているとすれば、
 これはすでに、虚構としての御伽話ではなく、歴史を裏打ちする神話となる。



匡衡の歌

 あふさかの せきのあなたも まだみねば あづまの事もしられざりけり

「匡衡和哥事 第四」『梅沢本 古本説話集』岩波文庫(p27)  



 さて、この歌をどう理解しよう。
「あふさかの せきのあなたも まだみねば」は「あづま」を導き出す序詞であろう。
 と、すれば、「あづまのことを私は知らない」この言葉をどう理解するかという事になろう。
 物語上、「東琴(和琴)の弾き方をしらない」と理解されればよい事であろう。
 和琴の弾き方を知らないというのは、この和哥に、かくされた真実のテーマで、「東国の事を知らない」というのが、まず第一にあげられねばならないのかもしれない。
 そしてまた、やはり「あづま」は「吾妻」とも書く。
「私の妻となるべき人の事をしらない」とも解釈できないだろうか?
 ここで、僕は『古本説話集』の次の段にあげられる「赤染衛門事」をセットにして考えてみたい。
 なぜなら、この和哥のきっかけは、女房たちが匡衡を笑いものにしようとしたためであり、この歌によって匡衡は女房たちを退散させてしまう。
 つまり、匡衡が男になった和哥というのが「あふさかの……」ではないだろうか?


赤染衛門の事

 衛門は最初、匡衡をうとんだそうだ。
 そして、住吉で歌を交わしている。
『古本説話集』では省略されている(そのことが明記されている)が、『今昔物語集 本朝世俗部 上巻』「大江匡衡の妻赤染、和歌を読みし語 第五十一」(角川文庫 p164)には

 我が宿の 松はしるしも なかりけり 杉むらならば たづね来なまし

 私としてはあなたを待っている気持ちはありません。あなたが過ぎ去ってしまった事とお考えになるのであれば、もう私の所へは尋ねてこないでください。

 さすがに「やすらわで……」が百人一首に採られる衛門である。
 本心をかたくなに隠しとおす事によって、強力に自分の意志を通そうとするような、和歌である。
『古本説話集』の読者は「すぎむらならば」の歌がこの頃に歌われたという事を暗示させるだけで、匡衡が「吾が妻を知」ったことを感じ取るのである。
 このことにより、知識や系図としての夫婦関係がより生身な人間関係としてとらえられるのではなかろうか?


疾(と)くも彼の国に……

 宮こいてでて けふここぬかに なりにけり とうかのくにに いたりてしがな

 都をでで今日で9日になる。はやくもやってくるのに10日かかるという尾張についてしまった。

 この物語上は、ここではじめて匡衡は「東国を知る」のである。
 こうしてみると「和琴」「吾が妻」、そして「東国(尾張)」を知らないという最初のイメーヂは物語の中で、一つづつ解消されていくようである。
 そして、その解消こそが匡衡を男にさせてゆく事にほかならないように感じるのは、僕だけだろうか?
 匡衡が男になる事、これは直接に大江家の大成を意味するのかもしれない。


結局、「こうこう」へ・・・

『十訓抄』には「あふさかの……」の和哥が大江匡房の和哥として載せられている。(岩波文庫 p87)
 匡房は「匡衡四代にあたりて中納言匡房」(『十訓抄』 p47)とあるように、匡衡の子孫としてよく知られた人物である。
 匡衡の和哥が匡房のものと勘違いされる。
 ただの誤記かもしれないが、その間違った理由は、深めるべき問題なのかもしれない。

 そして、今一度、そのような神話をになう一端である可能性のある尾張国衙(松下地区)の現状を見た時、いいようのない悲しさに襲われるのは、やはり僕だけなのだろうか?


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