2014年05月23日

業務連絡

『あづまぢリンク』別館「おすすめ展覧会(東海圏)」を、
白瑠璃の碗』に移行します。
 ブクマ等、変更 願います<(_ _)>

2014年03月03日

印象派を超えて−点描の画家たち

愛知県美術館(栄)
印象派を超えて−点描の画家たち
ゴッホ、スーラからモンドリアンまで

https://twitter.com/forimalist/status/439385139588505600
「中日新聞の文化部記者のE氏は、愛知県美術館で現在開催されている「印象派を超えてー点描の画家たち」展について、あいちトリエンナーレ2013に関する座談会のときのように、「よそから持ってきた(現代)アートなるものを集中的に縦覧させて、地元を疲弊させるだけだろう。」と言うのだろうか。」

 なんていうの? 開催そうそうに、こういう本旨と関係ない、なにを擁護しているのか判らない、出鱈目な言説が出ると、みんな萎えてしまうし、興が醒めてしまうのでは?
 ホントに本旨とは関係ないので、反論は後段に譲ることにする。

 気持ち切り替えていくよ! まず、日本画では、そうたいしてでもないんだけど、西洋画というか油絵には顕著に表れるんだけど、描点と絵画点の話をしないといけないんだけど、例えば荻須高徳の絵画(別に、どんな油絵の風景画でもいいんだろうと思うけど)を見た時に、仮に樹の表現をみてみよう。遠目で見るとしっかりした樹木(絵画点)なんだけど、枝の1本1本を、じっくり見た時に、結局は1本の茶色の線(描点)なわけ、それは木の枝なら筆の繊維の1本1本まで確認できるし、壁ならコテで引き延ばした感じが、左官職人の、まさに手仕事な訳。
 油絵を見るときに、描点と絵画点は注目して見るべきなんだと、とくに点描画をテーマにした今回の展示のような展示では。
 内容いく前に、展示の様子を説明しておくと、絵画に近づけないようにするための柵が、点描という展示の性格上、ほとんど機能していない。「ココの表現がさ!」と指をさそうものなら、作品に手が触れてしまうくらいの勢い。「私はそんなバカぢゃないから、指さしても作品にぶつけることはない」と思うかもしれないが、隣で見てる人は非常にひやひやしてストレスがたまる。監視員も明らかにアウト以外は見て見ぬふりだから、作品を指さすことは自重した方がいい。身を乗り出してのぞき込むのも、そうなんだろうな。
 そのくらい近くで見れるのでメガネをかけて不自由のない生活をしている人には、ストレスなく描点を体感できると思う。
(初期の)印象派の逆に描点を意識させない作風から、ポスト印象派(展覧会中では新印象派という語を使用していた後期印象派とも言うんだけど、あまり厳密な意味を持たせずに描点の意識的な加工をしているのをポスト印象派と呼ぶことにする)スーラ・シニャックの意識的に描点をドットにした表現、ゴッホの、あの独特の色使いと長めの描点、スーラ・シニャックの血脈をうけるベルギー・オランダの分割主義(描点を補色の効果を利用して色鮮やかに見せる絵画方法になるのか?)も十分に楽しめる。
 まあ、老眼とか、人がいささか多いので、作品の正面で長く見ていられないと言うときに、人垣より向こうから単眼鏡を使って長く眺めるのもいいのかもしれない。まあ近くまで寄れるから、そんなに必要ないかもだが、単眼鏡持ってるなら、持っていって、迷惑にならない程度に恥ずかしがらずに使ってみたい展示内容。
 展示内容に入ると、目玉はスーラの「ポール=アン=ベッサンの日曜日」これは、教科書に載るほどの名作。あとゴッホの「種まく人」、モンドリアンの「赤と黄と青のあるコンポジション」くらいかな? スーラが早世と言うことで、スーラの後を受けるシニャックの作品が、ある程度まとめてみられるのもいいのかも? そんな「これぞポスト印象派でござい」という「アートなるものを集中的に縦覧させ」ような暴力的な展示ではないので、安心して楽しく絵画鑑賞ができると思う。
 軽く「よそから」でもないと指摘しておくか。なんていうの? 地域でおこなわれる展覧会というのは地域の歴史というか、足を運んだ人の意識とか認識も左右するんだと思う。そういう意味で、愛知県美術館で開催した『ジャクソン・ポロック』展は記憶に新しいところだろう。(こうかくとネタバレが先になるか?)
 印象派が、それまでのアカデミックな絵画と一線を画したように、ポスト印象派も印象派という前提を受けながらも、色彩理論という新しい考え方で、新たな絵画運動して点描とか分割主義を展開していく。それはフランスからベルギーやオランダにも伝播して、「《7月の朝》あるいは《果樹園》あるいは《庭園に集う家族》」のようなスーラの完コピのような作品から、ヘステルの「モントフォール近くの風景」のような、ゴッホの絵画を独自に解釈し直すような試みに結実する。
 なんとなく工業的なインダストリアル・デザインに画集などでは思われるモンドリアンも、本物を見ると、経年的な痛みもあるかもしれないが、非常に人の血の通った、生々しい作品であることに気付く。
 それを受けて登場したのがポーリングのポロックで、ポロック展を見た地域の多くの人間がスーラの点描にポーリングの源泉を見たのではないだろうか?
 それは「よそ」で体感されることなのだろうか?

 まあ、あまり芸術に対して「かくかくしかじかで、あるべき!」とワン・イシューにしてしまうことには反対で、玉石混淆というか自分の知識や経験に合わせて、多様な発言がされることの方が、文化的に豊かな地域だと考えているが、最初の発言のように、ツイッターの他人の発言に酔って、いかにも自分以外(E記者)はバカという態度には、きちんと抗議しないと、今回の展覧会も低く見られてしまうし、こういうテロ的な行為がおこなわれることで、多様な発言が奪われてしまう、まさに「文化不毛の土地」になりかねないのではないだろうか?
 逆に言ってしまえば今回の『点描の画家たち』が「よそから持ってきた(現代)アートなるものを集中的に縦覧させ」た展示だと考える(この認識は見当違いだと思う)なら、あいちトリエンナーレも、この規模を凌駕する必要がないのでは? だって、『点描画の画家たち』で満腹感とか、ともすれば胃もたれもしたんでしょ? いくら、あいちトリエンナーレが全部見る必要のないアートの祭典だとしても、愛知県美術館で展示を工夫すれば胃もたれするくらい、こってりした展示(当たり前だけど、胃もたれするような展示はオーバーキャパシティーだよね)を開催できるなら、それ以上の規模はオーバーキャパシティーだよ。

 以前にツイッター上で言及したのがコレ。
https://twitter.com/kagachi_ecm/status/439585595262640128

 まあ、そろそろ総監督も舞台監督も自分たちの主張が小我ではなく大我であることを説明するべき時期がきているのではないか?
 あいちトリエンナーレには多くのボランティアが参加していて、僕の心の痛みは、ボランティアも共有しているハズだから大我だと言うかもしれないが、それは、言いかえれば、みんな楽しんで番組作ったのにBPOのあのジャッジは何? という内輪のウケの話でしょ?
 中日新聞には、言論の自由もあるし、あいちトリエンナーレが客観的な批評に耐えうる規模でない(人間個人の認知領域を凌駕する)展示だと思うし、自分以外の認識は認めないというなら、そういう手続きで、中日新聞の総評の前にパブリックにコメントを出してしまえば良かったのでは?
 もう、それ以上に、地域の文化として、アート界隈と新聞、そして一般市民の間に、ガラスのかい離が、総監督・舞台監督の発言でできてしまった訳でしょ?「私は、よそ者だから」と放棄せずに、ちゃんと発言で一石を投じれば、地域の文化が豊かになるというスキームを提示して欲しい。
 こぶしは挙げたけど、下ろし方は考えていない、あるいは、間違っているのは中日新聞(間違った発言でも言論の自由はあるのでは? もっと別のプレゼンテーションは考えられなかったの?)だから、新聞という権力に対する聖戦だから、私たちは負けないとでも思っているのだろうか?
 こういう小我による独りよがりをして「地元を疲弊させるだけ」の言説だと思うのだが、ちゃんと、これまで以上に豊かな芸術批評の空間を返して欲しい所。

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2013年12月04日

2題(1)

清須市はるひ美術館
企画展
変身 歌舞伎展
【終了しました】
 国立劇場の歌舞伎関連の浮世絵群、三越伊勢丹(もともと、どっちの資料なんだ?)の歌舞伎衣裳、御園座の押隈(おしくま:歌舞伎のデーモン小暮閣下のような化粧を落とす時に布に押しつけたもの)、舞台装置などをを軸に、高浜市かわら美術館、岩瀬文庫など近隣の資料で補強した展示。
 けして広いとは言えない展示室だが、浮世絵のボリュームは壮観、衣裳も柵もガラスもなくまぢかで見られた。
 個人的に興味深かった展示品をあげれば、「四条河原遊楽図屏風」は若衆歌舞伎になるのか? 歌舞伎の見世物小屋的なムシロで区切られた場所をメインに、四条河原での人の往来が描かれている。右から2曲目に物乞いが描かれていて、現代の感覚で言ったら、興行に際して、そのような「見苦しい」とされるモノは排除されがちだが、平気で描かれてしまう。絵画は、さらに虚構であるにもかかわらず、それがなされるのは興味深い。
 あと「香箱と鬘付」香箱と呼ばれる箱と鬘付と呼ばれるブロマイドと着せ替えが一緒になったようなモノを切り抜いて作れるようになった浮世絵。こういうモノが、切り抜かれずに残っているのもスゴいが、技術革新はあるものの、ファンの心理は今も昔も変わらないことを思わせる。歌舞伎と言えども、現代の感覚で言ったらAKBやジャニーズのようなものなのだ。

古川美術館 特別展
特別展 藤森兼明
−祈りの美 イコン・彩飾写本とともに
分館 爲三郎記念館 特別展
「唐長の世界〜京唐紙のこころ〜」展
 ブシコー派の時祈書が4年ぶりの公開と言うことで、見にいく。僕が見た時は「キリストの誕生」の場面だった。時祈書に関連してロシアイコン、零葉(時祈書のような彩飾写本が鑑賞のために製本がとかれて1ページだけになったもの)も展示されている。
 藤森兼明展は、まずは作風が好きかどうか? また、モデルさんが好きと言ってしまうと、ややこしいことになるのかも? おしむらくは2階の照明とカンバスのはく落防止剤の相性があんまり良くないのか、視点をしぼられるのが、残念というかおしい。
 爲三郎記念館は古川美術館の創業者・古川爲三郎の私邸だった建物を展示施設と喫茶スペースとして公開しているもの。唐長(からちょう)は京都にある唐紙屋さん。唐紙は和紙に木版で模様を印刷した装飾性の高いもの。ちょっと高級目の単色刷の千代紙というと雰囲気がつかめるだろうか?
 個人的には葵の間の「大渦」の風炉先屏風と玄関の「菊市松」屏風が好き。風炉先屏風というか枕屛風が欲しいなと思うんだけど、いくらぐらいするんだろうね? まあ置き場所考えないと、あっても邪魔なだけなんだけど。

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2013年05月19日

3題+1題(4)

【終了しました】
清洲貝殻山貝塚資料館
国重要文化財指定記念展
「朝日遺跡、よみがえる弥生の技」
【終了しました】
清須市立図書館1階 歴史資料展示室 
サテライト展示
「朝日遺跡のはじまり」
 朝日遺跡は清須市から一部、名古屋市にまでまたがる弥生時代を中心にした遺跡。
 銅鐸や青銅製品や低湿地の遺跡と言うことで多くの木製品など、全国的に見ても貴重な資料が出土し、遺跡の規模から考えても東海とか中部圏を代表する遺跡。で、出土品が、このたび重要文化財に指定された。
 でも、一般に弥生時代というと記紀の語る以前の、いわゆる先史(プレヒストリック)の時代で、イメーヂも牧歌的で稲作の始まった頃という、ぼんやりというか教科書程度の記述にしてしまうと、どうしてもこんな話になる。
 しかし、日本語とか日本の社会制度にとって大きな変革の時代で、実際には長さも教科書的に言っても6百年、実際には7百年くらいになるのか? 近代と比べたら長大な時間だし、織豊期からこっちを考えても、それよりも長い。それが、単一の社会構造や一定の社会構造のままで、存続していたとは考えにくい。
 ある意味で、その複雑な社会構造を知るための鑑になりそうなのは『様式と編年』とよばれる土器の形式変化の過程を見ていくこと。
 朝日遺跡というか尾張地域の弥生時代の始まりは、縄紋的な土器を使い、西からの土器の移入には一呼吸あるとか、細頸壺と呼ばれる壺には口の所に横に何本かの線を引くことが西から伝わると、三河地域は、その流入を一旦拒否して黒色の大きな壺を作るようになるとか、東海地域に独特の赤彩の土器が使われるようになるとか、そういうのが一目で判るように展示されたら、牧歌的とか稲作だけの弥生像ではなく、多様な部族同士の協調や反発の歴史としての弥生時代が感じ取れるのではないだろうか?
 ただ闇雲におこっているだけではないことを、ここに記しておく。
 ああ貝殻山貝塚資料館は5月28日まで展示替え休館。

清須市はるひ美術館(旧・春日村)
企画展 清須ゆかりの作家
加藤正音展
 ノーマークだったので、いい人を見つけた感じ。
 歴史に取材した日本画になるのか?
 道成寺(安珍と清姫)、壬申の乱、三英傑、徳川宗春と言った感じ。
 食わず嫌いではるひ美術館は行ってなかったのだが、図書館・美術館・歴史展示室の複合施設として優れた場所。市町村合併の後で展示が「清須の」になってて痛々しかったり、図書館で中学生や高校生が勉強しているのが、ちょっと疑問だったりする、以前の使用状況と言うが分からないので軽率なことは言えないが。たけお問題もあり、中高生が図書館で勉強するのはデフォルトという感覚は、生活環境の問題もあって賛否両論の極端に別れる所なんだろうが、個人的には「図書館で宿題をやる人は図書館の1次的な利用者ではない」という立場。
 県立図書館では、座席を利用するには申請が必要だし、大学の図書館でも高校生がテスト期間に勉強に来て本来業務に差し障りが出てくる(今は大学内は身分証がないと建物に入れないんだけどね)とか、本来的には図書を探す場所、借りるところというのが図書館で、元来、図書館が勉強部屋になることは反対だし、勉強するところがない人を(家庭の事情などを加味して)判断して許可証を出すとか、公民館や市民センターの空き時間を利用して「宿題用学割」みたいな制度で「宿題部屋」を作った方がいいのではという立場。ちょっと「たけお問題」の専門家が、そのことに対して、根本的な、そもそも論をしないのはおかしいのでは?という立場。「ネットで真実を知った」的な話が昨今、聞かれるが普通に一般市民が一般の生活をしていても「ネット上の、この論点はおかしい」的な現象にあってしまうのでね。

名古屋パルコ パルコギャラリー(西館8F 矢場町)
きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ
2013.0516〜0610
 展示品撮影可でパンフレットはないのかな? 音声ガイドでストーリーが展開するので音声ガイドは必須、恥ずかしくても借りた方がいい。
 内容はきゃりーぱみゅぱみゅさんがミュージック・クリップなどで着た衣裳の展示なのだが、ストーリーが凝っているので、その辺は会場で。
 第一印象は、当たり前の話なんだけど「きゃりーちゃんって、こんなに小っちゃかったんだ」という、当たり前かつ忘れがちな感想。
 いい意味で見世物小屋感があって、すごくいい感じ。グロテスクとカワイイとか独特の世界観のある衣裳や小物が、ハレの空間のドロッとした猥雑さと相まっている感じ。これは、けして私がオジサンだからではない。
 あとは世界観を維持するためのマヌカンさんの努力がハンパない! ここは注目ポイントかもしれない。
 ただ、やっぱ、おしむらくはパンフレットがあるとな・・・どっちかって言うと制作時間を長くすると凝り過ぎで、とんでもないことになるという体で、きゃりーぱみゅぱみゅというプロジェクトは動いている感じがして、その中でも衣裳や小道具の記録写真的なモノは必要なんだと思うんだよね。ひるがえって僕は自分の撮影能力やスマホやケータイの性能(まあコンデジとか用意すればいいのカモだが)は信用してなくて、その辺での撮影可で、やっぱパンフレットが欲しいな。逆にシンプルなA4横長の16ページくらいのがいい。

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2013年04月27日

3題(3)

愛知県美術館(栄)
プーシキン美術館展
−フランス絵画300年−
 音声ガイドが杉下右京こと水谷豊氏と言うことで、早速、見にいく。
 キュレーションの全体に言えることなんだけどギリシアとかキュピドとか、ギリシアの神々の読みクセが独特(ロシア訛りなのか?フランス?)
 作品は手堅いと言っていいのではないだろうか?
 17世紀のギリシア神話、キリスト教のような古典を題材にした作品や肖像画、モネ、ドガ、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャンなどの印象派、ポスト印象派の作風のひな形的な作品、マティス、ルソー、シャガール、レジェの「建設労働者たち」など印象派以後のフォーヴィスムの作品と、日本で言うならポーラ美術館やヤマザキマザック美術館的と言っていいのではないだろうか。
 人出も有名作家の回顧展に比べれば比較的落ち着いた人出なので、17世紀〜20世紀の西洋絵画、とくにフランスに焦点を当てて、概観したい向きにはうってつけ。
 杉下警部は芸術や音楽にも造詣が深いので、ナレーションのあとに、その絵画にまつわる新たな視点を教えてくれる。

松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
アニメ化40周年
ルパン三世展
『ルパン三世』という物語を現代批評の文脈に落とし込もうとすると・・・なんてことは、別に僕がやらなくても、誰かがやればいい話であって、そもそも、文脈というかモードやトレンドで内容が変わるような話には興味がない。もっと、そういうモノを、そぎ落としていって不変なモノが、存在するとすれば、そのことの話をしたい。
 昔、平日の夕方は子供たちに解放されていた!今のようにニュース一辺倒ではなく、アニメの再放送が主流だった。『ルパン三世』にしろ『ガンダム』にしろ、リアルタイムで本放送を観た人は少数で、夕方の再放送の視聴者がほとんどなのではないだろうか?
『ガンダム』を語る人に『ルパン三世』が語れないのは、『ルパン三世』が『ガンダム』の裏番組だからで、しかも、この指摘にうなずけるのは、70年代産まれ30代までの比較的、若くない人たちだろう。
 年に数回、日テレの金曜ロードショーで2時間のアニメを観るが、逆に20代以下で展覧会を見に来る向きは、深夜アニメの『峰不二子という女』を観て感動した、アニメの再放送組から考えたら、貴重な人たちなのではないだろうか?(ここまで展示の説明してないな。そうだ! 展示の説明なしで終わろう)
 まあ、個人的に僕は『一休さん』の人で、『ガンダム』なんか「燃えあがれ〜♪」とかいいつつ、なんかくすぶったアニメとしか思わないし、『ルパン三世』も、お兄さんが観るアニメという感覚が強い。(なんで『一休さん』の回顧展ってないんだろう? アニソンでもフル尺のモノを今、購入できないでしょ?個人的な当てずっぽうだけど『一休さん』を好きな人はメインカルチャーに進んでいるんだと思うゾ)
 まあ、結局、冷戦構造を前提とした、アメリカの軍事力の傘の中でエコノミックアニマルとして自由を謳歌した日本の象徴として、ルパン一味というのが存在して、銭形という日本のサラリーマンを象徴する「仕事に摩滅する」と「仕事しか充実することがない」を兼ね備えた人物が登場して、その細部の変相の歴史でもあったり。

名古屋市博物館
中国 王朝の至宝
 音声ガイドが、通常版と『キングダム』版があって、『キングダム』版を借りたんだけど、結構あなどれない出来。役名で言うと信(シン)と貂(テン)のかけ合いなんだけど、シンが驚きながら、結構ガッツリした絵解きが出来ていて、役柄と脚本が、うまくシンクロしている。
 展示は、おおよそ統一王朝の誕生以前(1章・2章)、統一王朝の漢と秦(3章)、仏教流入後の王朝(4〜6章)といった感じか。
 以前NHKスペシャルで特集された、殷以外の長江流域の文明の青銅器や、仏像も数体展示されているが、1番は阿育王塔と呼ばれる宝篋印塔型の塔。
 ショップでは2013年のカレンダーがオススメ。絵はがき6枚と考えればすごくお値打ちだと。

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2013年04月21日

伏見2題(2)

名古屋市美術館(伏見)
上村松園展
 やっと、わかった! 上村松園の個展が、なぜピンと来ないか。
 描かれた美人達が食いあうというか、誰が1番かを、絵同士が張り合っているのではないだろうか?
 例えば常設展に1点(例えば鼓の音72)とか、ホテルのロビーに1点(例えば花嫁80)とか、そんなに大きな絵でなくても、松園の絵であれば、その場の雰囲気を喰ってしまう。そのくらい迫力があるはずなのに、個展になると、どうしてもお互いにライバル関係になってしまって、惜しい感じがする。
 でも2010年?に巡回した展覧会の次の個展で、名古屋で、あれだけ、まとまった数の上村松園を見れるのは非常に貴重な機会。美人画が好きな人は、もう必ず行くレベル。
 目玉は、やはり「花がたみ42」なんだろう。楊貴妃33、静御前6もいい。まあ、お気に入りの1枚を見つけるのが美術館の楽しみなので、目玉だけでなく、「あいつフシアナ!」的に、自分の好きな1点を探してください。
 あと展示で目に付いたのは「冬雨63と雪62」とか「初雪59と春雪61」のような同一人物と思われる連作が、アンディーウォーホールてきな、すごくポップな視覚効果が出ていて、個展も悪くないなと思わせる工夫に見える。
「美人観書85、桃の節供82、娘83」だったかな?別人で年齢も24、16、18くらい?かなと思わせるんだけど、額装がよく似ていて、連作的に見れて楽しかった。
 ああ音声ガイドは羽田美智子さん(ゴメン、かりなかった)。
 常設の第3室に上村松園の下絵が展示されている。下絵があれだけ丁寧に保存されているのにはビックリする。「花がたみ」の足下に、なぜ扇が落ちているのか? という疑問が、下絵を見ると解決する?
 常設に草間弥生氏の展示が数点、ボートとケイタイのデザインが、やはり目を引く。エコールドパリはモジリアーニの「おさげの女」。郷土の展示に川合玉堂が1点。ピンとした画風からヘタウマの境地に至る過渡的な作品になるのか? 静けさの中に、おおらかな状景にみえた。あんまピンとした感じは好きぢゃないんだよね。

名古屋市科学館(伏見)
ドラえもんの科学みらい展
 映像展示が多くて少し残念。展示室の大きさと入っている観客と展示の数がミスマッチしていて、非常に疲れる。音声ガイド借りたんだけど35分くらい、あの場所にいたら、もうクタクタW
 いくら子供に受けても、大人が納得しないと、なかなか次に続かない。
 体験型の展示を体験しようとすると、どれも15〜30分程度の時間が必要で、そのように用意して時間をみた方がいい。
(ちゃんと褒めれてないけど疲れた)

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2013年04月04日

【EotY】2013年第1四半ベスト(1)

【ベスト】
 まあ、このクールは出あるかなかったので、ベストだけを、その順番で。

土岐市美濃陶磁歴史館
織部−ソノ器、ヘウケモノ也−
 別に「応挙展」を首席に持ってくるのであれば、そういう所が、そういう方法でやればいいのであって、まあ展示されるモノの価値というのは前提的にあるが、展示や着想に関しても綜合的というか、相加平均ではなく相乗平均的な数値を比較したいと思う。
 まあ、それを時に「主観的」と言うのであるが・・・
 やはり黒織部は、最近の僕のモードというか、世間的にもアニメやマンガの『へうげもの』の影響もあり再評価の機運があるのではないだろうか?
 そういう伸びシロとして首席。

大垣市スイトピアセンター アートギャラリー
日本のアニメーション美術の創造者
山本二三展
~天空の城ラピュタ、火垂るの墓、時をかける少女~
 もうアニメの世界もデジタル化してしまって、なんとなく無機質な(ポスターカラーで描いていた時は逆に求められたことなんだろうが、それが)画面が多いように感じるが、やはり人が描いたものの技術性や芸術性は、再評価すべき時期なのかも?

愛知県美術館(栄)
「応挙」展
 もう、言わずもがなで、寺院のふすま絵の展示方法と言っても非の打ち所がない的な評価なんだろうな。
 逆説的に「国宝」「重要文化財」という言葉が、作品の評価を転倒させているのではないかとも考えられる。
 国宝や重要文化財でないから、発掘品は評価できないとか、現代の職人的な作業に芸術性の萌芽があるのか? という見る側に対する挑戦でもあるのかもしれない。

豊田市郷土資料館
特別展
明治の傑人 岸田吟香
〜日本で初めてがいっぱい! 目薬・新聞・和英辞書〜
 もう吟香という人物を見つけてきた時点で勝ちな感じ。

高浜市やきものの里 かわら美術館
−東日本大震災復興祈念−
みちのくの瓦 東北と三州をつなぐもの
 震災の影響もあって、再び歴史的にとか、文化財的な価値を再評価・再定義したい「東北」という地域。
「津波の一面のグレーから彩りを見せたかった」
 やっぱ、東北の人が自分たちの文化としての彩りに目を向けられるようになったらいいな。

2013年03月02日

2題(5)

土岐市美濃陶磁歴史館
織部−ソノ器、ヘウケモノ也−
 織部という焼き物というと、たぶん緑の釉薬に白い地肌の焼き物というイメーヂが強いだろう。
 ホントに「織部展」にふさわしい、現代の感覚で「織部」と呼ばれる焼き物の総ぞろえと(古田織部が創作・意匠に大いに関与したであろう)志野と美濃伊賀の全国の優品と元屋敷窯を中心にしたタイプ別の分類と非常に密度の濃い展示。
 図録は他館よりは割高感があるものの入館料と相殺してしまうくらいのレベル。展示品のカラー写真と小さいものの底部のモノクロ写真がついている。
 展示でも工夫されているが、図録は織部入門者には必携なくらい、織部の釉薬や地肌による色彩と「織部好み」と呼ばれるカタチの妙を、技法の側面から丁寧に書いているのでオススメ。
 個人的には、黒織部の幾何学文が大好きなので、元屋敷窯の物を特集でまとめた所が一番好き。
 時間があれば隣の織部の里公園の窯跡の見学もオススメ。丁度、豊臣秀吉の朝鮮出兵と前後して、それまで使われていた大窯(おおがま)から、連房式の登窯(のぼりがま)に技術革新していくのだが、その両方の窯跡を見ることができる。古田織部は大窯も登窯も見てるんだよな多分。
 織部の里とは反対方向になるが乙塚古墳というのもある。丁度、壬申の乱の功臣の墓になるのではないだろうか? 保存状態もよく整備もある程度なされていて、壬申の乱前後の墓制というのを、確認できるひな形的古墳。

愛知県美術館(栄)
「応挙」展
「応挙って(伊藤)若冲や(長谷川)等伯みたいな華がない感じしない?」と言う話をしたら、一般の人から言ったら「応挙の方がネームバリューは高い」らしい。
 音声ガイドが、少しまどろっこしい説明だけど、少し表面的すぎるのかな? 呉春や蘆雪など円山四条派の門人達の逸話もあるといいんだろうけど、「写生、写生」って、確かに出世作は眼鏡絵と呼ばれる、いまでいう3Dに近い作品なんだけど(やばい! ほめてないぞ……)シグマの狭い中級者向きなんだろうな。。。
 まあ、聞くと聞かないでは、大きくちがうだろうし、途中で放棄しちゃうのはもったいないけど、1度通して聞けば、それなりに応挙について詳しくなれちゃう、音声ガイド。
 個人的には風景画? が好き「雨竹風竹図」「雪松図」山元春挙の「雪松図」もよかった。と当たり前のことしか書けないな。「波上白骨坐禅図」もよかった、ちゃんと指を定印に組めばいいのに、ああいう、こまかいイコノグラフを重視しないところが上田秋成とかに嫌われるところなんだろうな、なんとなく。
 常設はいつもの感じ(応挙展は4室まで)で、5室の1/4で東松照明の記録写真と6室? とエントランスで、佐藤香菜氏(佐藤かよ様以来の衝撃的な名前)の作品。個人的な意見だが、いい意味で頭でっかちな絵、もっと単純に美しいとか描きたいを求めていけばいいのに、レゾンデートルとか既存の価値観の破壊的な表現手法が、1種の空々しさになってしまっていて残念。刺繍という表現技法を手に入れて、ルーティンワーク的に制作を続けていく中で、何かをつかめるのではないだろうか?(と、無責任に偉そうなことを書いておこう)
 7室と8室で新聞報道にもなった木村定三コレクションの修復展示。不動明王の胎内から、京都・清水寺の仏像であったことなどが書いてあるのが発見された。8室の金剛法具類は見がいがある、興味のある向きは是非。

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2013年02月17日

山本二三(にぞう)展(4)

大垣市スイトピアセンター アートギャラリー
日本のアニメーション美術の創造者
山本二三展
~天空の城ラピュタ、火垂るの墓、時をかける少女~
『未来少年コナン』(名探偵でない方)、『じゃりン子ちえ』『天空の城ラピュタ』『火垂るの墓』『もののけ姫』『時をかける少女(細田守氏監督)』など、宮崎駿氏、高畑勲氏の作品を中心に美術監督(とくに背景画)をつとめた山本二三氏の作品を集めた展示。
 アニメーションの作画は分業作業で、背景画を描いた上にセルやデジタルの合成で人物を乗せていくことになる。その背景画と、イメーヂボードといって映画の構想を練るのに描かれる少しラフ目の絵が展示されている。
 人物がいないので、子供には少し物足りないかもしれないが、風景画的に楽しめば、子供でも大人でも楽しめる。
 音声ガイドが用意されていて、声優の・・・(名前が出てこない! こういう時に音声ガイドリストがないと不便!!)方で二三氏のインタビューも含まれており、観覧料も破格に安く設定(ネットで割引券を探すとワンコイン)されているので、時間に余裕があり苦痛にならなければ音声ガイドを借りる事をオススメ。描写のちょっとしたコツとか、どこで使われた背景なのかの詳しい説明、二三雲と評される雲の描写の秘話など、一歩踏み込んだ絵画鑑賞になると思う。
 もしお財布に余裕があればグッズを買うことをオススメ。暑中見舞用に一筆箋もいいし、ミラーやマグネットも、お気に入りのモノを使えば毎日が楽しくなる。
 やはり一番のオススメは画集なり図録! 目録を拾うと160点ほどの展示作品が図録なら1冊に収められている。絵はがきや複製画の値段と比べれば図録がどのくらい値打ちに作品を所蔵できる方法か判るだろう。
 ジブリ作品はフイルムブックや絵コンテ集なども充実していることで有名だが、背景画は職人的な芸術作品の一部と見る向きもあるかもしれないが、そのもの単独でも十分、鑑賞・展示に向いた作品なんだと思う。まあ、図録は少しお高めなんだけど観覧料との相殺とも考え合わせれば、けして高くないのかも。

 お気に入りの1点を上げるとすれば『時をかける少女』の「夕暮れ2」。
 絵はがきにも、なっているんだけど、原画とはコントラストとか色合いが微妙に違う。普通に夕暮れの写真でもフォトショップで、その辺をなぶれば、さまざまな雰囲気の写真になると思うけど、二三氏の原画は、もう最高。まさにマジックアワー。

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2013年02月10日

3題(3)

高浜市やきものの里 かわら美術館
−東日本大震災復興祈念−
みちのくの瓦 東北と三州をつなぐもの
 チケットの販売は奥のミュージアムショップになるのだが、ひとまず入り口のパネル展示を1番に見るのをオススメ。
 最近では情報を探して見ないといけないが、311で何があったのか? その規模からの復興の困難など考えさせられる。
 展示は3階と2階を使った大規模な展示。福島の白鳳〜平安時代の瓦、多賀城系の瓦群(以上3階、常設展は瓦曼荼羅と3階エントランスに少し)、平泉の藤原3代の都ぶりの瓦、仙台城の瓦、会津の近世瓦、江戸の東北関連の屋敷の瓦、パネルと映像展示で岡倉天心の六角堂の復元事業と、駆け足と思えるほど盛りだくさんだが、瓦をテーマに〈東北〉という現象をかっちりととえられている。
 学術的に問題に思うのは、多賀城系の瓦と福島の飛雲文〜宝相華文の瓦の時間軸的な関係。あるいは、藤原仲麻呂の時代に比較的ダイレクトに流入していて時間的な差異が、それほどないのではないだろうか?
 まあ、軒平瓦が有顎のものに鋸歯文を配置して、それが、だんだんと無顎化していくのが多賀城系に対して、宝相華文を描くモノは無顎と言うより、平瓦に近い扁平な瓦なので、前後関係は決まる(多賀城系の方が古い)のだろうが、それほど時間的距離がなかったのではないだろうか?
(ちょうどアテルイの前夜からアテルイの時期に当たるのか?)
 あと注目すべきは福島の瓦に新羅系になるのか? 有蕊弁(ゆうずいべん)というのか? 複弁の子葉というのか? 花弁の中の2つの膨らみをオタマジャクシ状に表現する瓦群は、東北の造瓦技術が大和政権からの単層的な流入ではなく、亡命やお雇い外国人的な技術者集団によってもなされていたことをうかがわせる。(この傾向は東国の全体的に広がっていて素弁の多用や鎬をもつ素弁を指向するなど、通奏低音的に広がっている)
 311の被災地という観点だけでなく、文化財のある土地であること、観光地であることも今一度、見なおしたい。プライスコレクションが巡回するのは喜ばしいが、打ちひしがれることなく地元の文化財を再発見するような〈運動〉につながるといいな。

豊田市郷土資料館
特別展
明治の傑人 岸田吟香
〜日本で初めてがいっぱい! 目薬・新聞・和英辞書〜
 一番カンタンに言ってしまうと、岸田劉生の父親になるのか? 麗子像の「麗子」の祖父と言った方が、とおりがいいのか?
 僕が岸田吟香に興味を持ったのは『高橋由一展』で由一が岸田吟香のサロンの中で活躍したとされるパネルがあったことによる。
 吟香は美作(岡山県?)の出身だが、挙母藩(現・豊田市)の飛地であったことから、藩校の崇化館(あのギリシャ彫刻の会館の前身)で講義をしたこともあるという。
 業績は、まさにマルチというか、多用で業績や交友関係は、是非、展覧会を見て欲しい。
 豊田市郷土資料館は、こういう、ちょっと勉強すると興味がわいてくる近代の人物を発掘してくるのが上手! 豊田にゆかりの偉人が多いだけなのか?

名古屋市博物館
特別展
驚きの博物館コレクション
−時を超え世界を駆ける好奇心−
 明治大学博物館、南山大学人類学博物館と名古屋市博物館の館蔵品を展示している。展示室は1階の1室のみ。
 明治大学博物館といえば刑法関係の資料と岩宿遺跡の資料と言えば1級というか、全国的にも、よく知られた資料だろう。刑法関係の資料は、まあ展示室が限られているのでダイジェストだが、名古屋で見られるのは貴重。
 南山大学人類学博物館は創設期の民族調査資料からフランスを中心としてヨーロッパの旧石器、関東や東海地域の調査資料。
 まあ、名古屋市博物は2つの博物館の資料を補強するような資料と『猿猴庵』関連の本と復元品の展示。
 毎週末くらいにギャラリートークが用意されているので、それを目当てに時間を宛てていくといいのかもしれない。

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2013年01月06日

2題(2)

徳川美術館
日本の神様大集合 徳川美術館へ初詣
 東照大権現(徳川家康)、八幡大菩薩、伊勢、熱田、春日大社、菅原道真、柿本人麻呂、七福神、名古屋の祭礼、三番叟に代表される能の神様、雅楽と大項目を追うとこんな感じ。
 常設展の能のセクションにお正月ということもあって「慈童」の能面(個人的には童子面特有の色気というか、こちらを奮いたたせるような何かが感じられなくて少し残念)も展示されており、映画『大奥』とのコラボ企画で蒔絵の調度類の展示もあり、当然ながら茶道具もあり、内容も盛りだくさん。
 確かに神体とされる八幡大菩薩の画幅が展示されているのだが、こういうモノは神体とは考えたくない。
 そもそも神体は記紀神話で語られる貴人の身の回り品に、その人の人格が宿ると考えるモノ。いわゆる三種の神器だが、三種の神器には近代の国家神道での脚色が色濃く残る。
 もう1つの神体が「天上から神が降りてくる時の目印」山であったり(神体山)、白木の柱(御柱)であったり、神木も、この類なんだろうけど、よく判らない。(山や森の中で、とくに1本を特別視した形跡はないし選択できないモノを目印にするのも考えにくい)
 神体の本義は、その辺にあって題字や画像、偶像が、どの程度、その機能を担えたか疑問があるし、題字や画像、偶像を本尊として、すえてしまったところで〈神道〉の本義が転倒してしまうのではないかと考える。
 例えば、家の神棚や台所にあるお札は、そこに神様が宿っているのかもしれないが、その神はあくまで氏神や伊勢神宮の、その場にいる神であって、遥拝(ようはい)という「遠くから拝む行為」の補助として、お札が存在しているにすぎないのではないか?(ハイパーリンク理論)
 まあ、こんなこと実証論的に、どうのこうのできる話ではないので、どっちでもいいんだけどね。

松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
生誕110周年記念
ウォルト・ディズニー展
 なんかフライヤーに偽りありだな。
 展示は、ほとんど映像展示とパネルによる解説。ところどころにノベルティーのようなグッズが展示されているがキャプションも少なく、時代もバラバラなモノが詰められている風に見える。
 時間を十二分(じゅうにぶん)にとって、キャプションや映像を、しっかりと読みこまないと、よくわからないまま。

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2013年01月04日

【EotY】2012年第4四半ベスト3(1)

【ベスト3】

名古屋市博物館
大須観音展
 まあ聖教・古文書という展示の性格上、少し上級向きというか、鑑賞者を選ぶという向きもあろうが、基本的なことを少し頭に入れるだけで、鑑賞は十分楽しめるし、それ以上に、展示やキャプションが充実している。
 まあ、くずし字ということでは芭蕉展ともかぶる感じもあるが、個人的な意見になるかもしれないが、大須観音展が首席。

滋賀県立近代美術館
石山寺縁起絵巻の全貌
~重要文化財七巻一挙大公開~
 石山寺縁起がスゴいのは当然として、釈文が充実しており、初心者にもすんなりと入っていける展示と言っていいのでは?
 やはり、こういうカチッとした展示・企画方針が好きなので2席。

名古屋ボストン美術館(金山)
ボストン美術館 日本美術の至宝
 前期・後期まとめて評価するつもりだったのか? 第3四半期に言及がない。
 仏像の展示がないのは惜しまれるが、海外にある日本美術にふれられる機会は貴重。名古屋に展示室があるといっても、日本美術がやって来るのは、かえって他館への巡回の方が多いくらい。入選。


【総評:4件】(順番は鑑賞順)
京都国立近代美術館
高橋由一展
 美術の教科書の鮭の絵の人と言う方が、通りがいいかも。
 あのなが細い画角に日本の洋画の可能性を考えた人。正月に文化住宅の床の間に、あの鮭の複製をかざりたいね。

祖父江町郷土資料館
「尾張の書画家たち」展
 展示室と展示内容に問題はあるものの、企画者の意欲にあふれる展示。
 5年とかに1度でいいので調査成果展を期待したい。

奈良国立博物館
正倉院展
 いわずもがな。青いワイングラスを代表にガラス群が印象的。

斎宮歴史博物館
暦と怪異 〜不安な日々の平安貴族〜
 もう少しストーリーを示して欲しかったような(なんでベストにケチつけてるんだ?)一級資料が集まっているだけにもったいない。
 個人的には、伊奈冨神社の男神坐像(崇神)と神宮寺の神像は2軀1倶、あるいは3軀1倶(もう1体は群像の可能性も)のもので、神宮寺像に数珠など仏教的要素のものが含まれていたために伊奈冨神社にあったものが神宮寺へ、神宮寺をはじめに塔頭寺院が伊奈冨神社の周辺にはいくつかあるので、その天台寺院の山王立体曼荼羅が神像ということで伊奈冨神社へ移動したものと考えたい。
 四日市市立博物館でも伊奈冨神社の1体をフィーチャーするから、みんなが「神仏習合のカタチの見本」みたいに見るのであって、2軀1倶だったら、もっと別の鑑賞も可能なはずが・・・

2012年12月12日

『日本の放浪芸』について考えるのココロだ!

 そうか『日本の放浪芸』に、たどり着くために、そんな紆余曲折を経ていたのか・・・
 まず、話は永六輔氏の『南無阿弥陀仏』から話は始まる。
『南無阿弥陀仏』に小沢昭一が解説を書かれていて(p176)、そこからダイレクトに『日本の放浪芸』にたどり着くのではなく、関山和夫氏『説教と話芸』という本が紹介されている。恥ずかしながら、この時、初めて関山氏を知るのだが、当時、手頃な入門書がないかと探して手に取ったのが『庶民芸能と仏教』であった。
 まあ「手に取る」と言ってもも、当時すでにネット書店の全盛期で、僕の場合はヤマト運輸のやっていた『クロネコブック』から、『Amazon』への移行期間というか、絶版系の本を両方で頼んでみるとか、けっこう嫌な客をやっていた。(ときどき入手できたりするんだよな)
 あと蛇足だが、個人的に故人は敬称略。ある人が参考文献リストで〇〇氏と表記しているのを見て、基本的には個人名には敬称を付けようというスタンス。でも故人に織田信長氏というのはなんか変でしょ? 歴史上の人物だし。そこで、もう大胆に故人には敬称略でいこう立場になりました。

 えっと、なんの話してたんだっけ? そう『庶民芸能と話芸』のなかで小沢昭一の「『日本の放浪芸』始末書」が引用(p84)されていて、ここでようやく『日本の放浪芸』の、すごさというか、存在を知ることになる。(あくまで記憶に基づいて書いているのではなく、図書購入履歴や付せんから導かれる、最も合理的な道筋を示しているにすぎないんだけど…)ちなみに「『日本の放浪芸』始末書」の引用箇所は岩波文庫版のp391。

 小沢昭一の訃報記事のなかで「民衆芸能研究家」という肩書きが附されていたが、個人的には厳密ではないと思う。放浪芸の研究者という方が適切なのではないかと思う。
 そのことに関連して『日本の放浪芸』から、対応箇所を拾えば、
「私の関心は一点、職業芸−−金に換える芸、ないしは芸を金に換えるくらしについて」(p364)
 と言及している。
〈芸〉を金に換えること、つまり衣食住に関わらない所作が〈芸〉であり、その〈芸〉が衣食住を支える金銭に変換される。このシステムが知的生命体として人間が知的営為をおこなって生きていることに直結しているのではないだろうか?
 小沢昭一の放浪芸以外の研究を含めても「人間とは何か?」「人間としての〈楽しみ〉とは?」ということを追求された方なのではないだろうか?

 5年ほど前に明治村で小沢氏の講演が催されたことがあったのだが、都合がつかずに行けなかった。桜を見たと言うより、見れなかったに風情があるとはいうけれども、とても残念なことのように思う。

 まだ小沢昭一と呼び捨てにすることに抵抗があるのは、実感がわいてないんだろうな。

ものがたり芸能と社会
 こっちは放送大学での講義をもとにした、もう少し概論的な話らしい。

2012年12月11日

小沢昭一について考えるのココロだ!

 先にことわっておくが、僕は初代・小沢昭一については知らない。
 これから話す内容も「初代・小沢昭一の語ったことなのでは?」と思われる向きもあるかもしれないが、僕の持っている本には、必ず2代目の、あとがきなり、まえがきが附されているので、これはすでに2代目に関連される事項に僕の中では含まれてしまう。

 やはり初代の真骨頂は役者としてのそれで、僕は2代目が相武紗季さんが介護福祉士か家政婦で主演のテレビドラマで、少しいぢわるなおぢいちゃん役を一度きり、あとは細木数子さんの番組で、ハモニカを吹いてたのしか覚えていない。
 もちろん『小沢昭一的こころ』はネットで聞けるので聞いていたが、ラジオで拝聴するのとテレビで見るのには、いささか違いがある。
 宮坂さん(ある意味、ラジオドラマだったのか?)も好きだけど、年末・年始に放浪芸の話を少しからめる回が好き。でろれん祭文になるのか? 犬が竹カゴをかぶって、弘法大師が「いや「笑」だ!」というのを、実演していたのが忘れられない。

放浪芸雑録』のような大著もあるのだが、ネットで目次を見ると、

第1部 私は河原乞食・考
第2部 私のための芸能野史
第3部 日本の放浪芸
第4部 放浪芸雑録

 とあるので、勝手な解釈で
私は河原乞食・考
私のための芸能野史
日本の放浪芸 オリジナル版
 の3冊を、まず買いそろえた。(今、入試困難なものもあるので、しょせん文庫なので適正価格のものを、いろいろ検索した方がいい)
 先にことわっておくが、民俗というか祭とか民衆芸能については、あまり得意ではない。ホントに、この3冊と、関山和夫氏『庶民芸能と仏教』くらいしか読んでいないし、しかも読んだだけで、実際を見にいくことは滅多にない。尾張万歳(知多)と三河万歳(安城)を数えるほどしか見ていない。
 関山先生が尾張に関係あることもあり、東海圏の芸能についても多く取り上げられている。見ないのはホントにもったいないことだ。
 そうそう写真集として『日本の放浪芸』とDVDとして現在購入可能な『小沢昭一の「新日本の放浪芸」〜訪ねて韓国・インドまで〜』があるので、喪に服さずに正月に見ようかな。鈴鹿の農家の人が集まっての三曲万歳は壮観。

 なぜ、小沢昭一の放浪芸研究に興味を持ったかといえば『日本の放浪芸 オリジナル版』を買ったのが最初になるのではないか? 『日本の放浪芸』を買う10年ほど前に知多で、活字化された尾張万歳の台本を見つけて、もう実演されてしまうと、言葉を聞き取るだけの能力が(文語だから)ないから、それが台本のカタチになると、御殿万歳でも門付けのめでたいものでも、七福神でも神仏習合的というか、仏菩薩、神祇を言祝ぎする修辞に興味を持った。
『日本の放浪芸』を手にしたのは、その影響があるのではないか?
 2007年の正月に読んで・・・と、書いててウソがあるぞ。
 2004年〜2007年くらいまでの記憶って曖昧なんだよな。皆無と言っていい。

 ちょっと思い出してみるので、今日はここまで。

2012年12月06日

大須観音展(8)

大須観音展を見るうえで事前に押さえておきたい用語集

・音声ガイドは非常にコンパクトに要点だけを伝えている。もっと内容を足すこともできるが、複数の人物名・書名などが登場して、煩雑になるのかもしれない。
・子供むけのキャプションが、かわいいイラスト入りで、簡潔に要点がまとめられている。まとめて、子供むけ(簡易版)の図録になっている。図録とのセット販売もあるので注目!

【聖教(しょうぎょう)】
 聖教は寺院に所蔵される典籍類をいう。おおまかには仏教関連の内典(ないてん)と呼ばれる典籍と、それ以外の外典(げてん)にわけられる。

【血脈(けちみゃく)】
 ある僧が誰から〈法〉を授かったかの系譜。大日如来あるいは釈迦如来を頂点として系図としてまとめられる。中世には真言宗といっても、さまざまな系譜があり、血脈を追うことで、僧同士のネットワークが垣間見える。
 キャプションの「大須観音真福寺法系図」を参照のこと。有名どころの僧と地域で活躍した僧の名前が頭に入ってくると、ぞくぞくする。

【印信(いんじん)】
〈法〉を受け継ぐ時に、現代のように勉強しただけでは完全に伝えられたと考えず、灌頂(かんじょう)と呼ばれるイニシエーションを必要とした。その時の契約書類が印信である。
 印信にある祐禅(ゆうぜん:人名)・信瑜(しんゆ:人名)の花押(かおう)と呼ばれるサインは、いわゆる明朝体と呼ばれる花押のひながたのよう。上下に横に2本線を引き、その間を埋めるような感じ。
『愛知県史 中世1』一五二一では信瑜、祐禅の花押は、紹介されている能信の花押に近い。

【東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記(とうだいじ・しゅうと・さんけい・いせ・だいじんぐう・き)】
 源平の争乱の中で東大寺が焼け落ちる(いわゆる「かまくらクライシス」)。東大寺の僧たちは再建を祈願しに伊勢神宮へ向かう。その時の記録。重源(ちょうげん:人名)や貞慶(じょうけい:人名)に関する記録(伝説が記載されているという説もある)もある。当時、なぜ仏教の僧が神道の神社に参詣したかは「かまくらクライシス」に詳しい。

【麗気記(れいきき)】
 中世の神道では『日本書紀』とならんで重んじられた典籍。
 一般に両部神道(りょうぶしんとう)と呼ばれる、神道の事がらを仏教とくに密教の教義を使って説明したものに分類される。
 なぜ神道の書物が仏教の寺院に残されたかというと、神道も灌頂の対象になっていたから。伊勢神宮などの神道の施設で、どのような知的体系で神道書が伝えられたかは疑問が多い。春瑜(しゅんゆ:人名)など伊勢神宮系の僧の名前も登場する。

【類聚神祇本源(るいじゅう・じんぎ・ほんげん)】
 度会家行の著作。抄出(しょうしゅつ)と呼ばれる以前に著された典籍からの抜き書きを中心に、記紀・伊勢神道・両部神道・漢籍・仏典を綜合的にとりあつかっている。
 まあ、書物なので博物館の限られた展示室での見開きだけでは全体像はつかめないが、絵入りの典籍については意識的に絵の部分がクローズアップされているので、初心者には、とっつきやすいつくりになっているのかも?

【遊仙窟(ゆうせんくつ)】
 桃源郷に遊ぶ男の物語。中国で作られたが、中国では失われ現存していない。大須文庫の貴重さとともに、日本人の物持ちの良さという視点でも注目を集めている。
 奈良時代の『萬葉集』に『遊仙窟』に取材した和歌が残されている。

【尾張国郡司百姓等解文(おわりこく・ぐんじ・ひゃくしょう・ら・の・げぶみ)】
 文末には「尾張国解文」とある。解文は下から上へあげる公文書のこと。当時の国司・藤原元命の悪政を尾張国内の郡司・百姓たちが訴えた体をとるが、作者には諸説ある。まあ、日本史の教科書にも詳しいよね。

【空也誄(こうやるい)】
 空也(くうや:人名)の伝記。尾張国分寺での剃髪の記事があるが、個人的には「尾張国〻□寺(カ)」くらいにしか読めない。

【紙背文書(しはいもんじょ)】
 裏紙に文章を書いて製本した場合、以前に書いた文章は本の内面に隠れてしまう。また、文書の修理の折に文字の書かれた紙を補強のための当て紙にする場合もある。
 後の時代の修理の時に、そのような裏側に書かれた文書が発見される場合がある。

【覚禅鈔(かくぜんしょう)】
 密教の修法(しゅほう)とよばれる儀式別に図像を集めた図像集。稲沢市長野・萬徳寺に禅海の書写した『覚禅鈔』が残る。一説には覚禅に仮託され著されたものと見る向きもあるが自筆本が展示されていた。別名、百巻鈔(ひゃっかんしょう)と呼ばれるが、実際、何巻あるのかは不明なところが多い。

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