一字注
註釈とは、個別の語彙をめぐる語釈にほかならない。一字にひそむ世界なり宇宙を開示するところにこの種の註釈の特性があるといってもよい。(略)これを一字注と呼ぶ。中世の注釈書に共通してみられる特性である。『〈未来記〉を読む』p122
『教行信証』をパラパラとめくると、
「□△とは、□とは☆☆。△とは○○」
のように現在では別けることのはばかられる熟語まで一字注的に解説を付していくことに気付く。
中世に広く行われていたこととは。(不勉強、不勉強)
2007年02月26日
『竹取物語』
考えるべき事ではないかもしれないが、『竹取物語』の転写関係について一言。
・中央で生産された『竹取物語』、
・在地で生産された「富士宮縁起」と言ってもいいような在地系の『竹取物語』
ふた通りあるように思えてくる。それと「日本紀曰く」とされる〈中世日本紀〉の位相。
考え出すと、ドツボにはまるような、、、
『神道集』
日本記 「鹿島大明神の事」および「御神楽の事」「富士浅間大菩薩の事」の条に見える(略) 『無名抄』の「小野とはいはじの事」の条に業平二条后の事をあげて、「此事又日本記にあり」とある(略) 『定家流伊勢物語註』(慶應義塾大学図書館蔵)に六カ所引用している『日本記』も『日本紀』とし無関係の、中世説話的内容をもつ。「覚満大菩薩の事」註 東洋文庫p154 『神道集』にも〈中世日本紀〉が散見されるよう。
反魂の秘術
反魂をテーマにした物語で有名なのは『撰集抄』巻五第十五(四八)ではないだろうか?
「
また、巻七第八(六八)の覚鑁上人、最高。
敵に追われた覚鑁が不動明王に化ける。目の前に不動明王が2体。さて、どうする?
話をもとに戻すと、反魂香の物語。現在、大須の七ツ寺縁起を思い出す。
「(付載)七寺正覚院」『尾張徇行記』『新修稲沢市史 地誌下』p299
光仁天皇の時代。紀是広は征東夷へとおもむく。その子、光麿は父をしたい関東へおもむくも尾州萱津宿で病により死ぬ。
是広は京へ帰る折、そのことを知る。。。
あるいは、話芸として伝えられたものが縁起として明文化されたのかもしれない。
境界譚
吉備真備は楼閣に幽閉され、、、命を落として鬼となっていた阿倍仲麻呂がそのつど援助する。『〈未来記〉を読む』p92
楼閣という境界。吉備真備という人。そして、阿倍仲麻呂という鬼。
人と鬼が対等にわたりあえる場所としての境界(楼閣)なのでは?
2007年02月23日
『竹取物語』
文保本系統の『聖徳太子伝』に竹取の翁、かぐや姫の話が挿入されるという。(『〈未来記〉を読む』p73)
『竹取物語』は「日本紀曰く」で語り出される〈中世日本紀〉でも語られる。(斉藤英喜氏「竹取物語も「日本紀」?」『読み替えられた日本神話』講談社現代新書p83)
また、『神道集』にも「富士浅間大菩薩の事」(東洋文庫p165)として『竹取物語』を語る。
この場合も「詳細は『日本記』に載っている」と〈中世日本紀〉の体裁をとる。
ちなみに
天岩戸
天照大神が天岩戸に籠もり、世間が暗闇になった時の話。
宝誌和尚は日月の恩徳は三世 の諸仏に勝るという詩頌を唱えると、天照大神が岩戸から出て日月の光があまねくゆきわたる。
真福寺蔵『
『〈未来記〉を読む』p67
宝誌和尚は顔が割れ中から観音の姿が現れる木像で有名。『野馬台詩』の作者とされる。
「諸仏に勝る」というカタチで諸仏。そして、当然、天照大神。
『日本紀三輪流』については、『中世日本紀集 真福寺善本叢刊7』参照。