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2007年08月31日

9月1日だよ。

 こうやって、季節が一巡りし、また、9月1日がやってこようとする。
 一番言いたいことだけが、ただ、言えないようで、空を見上げた。
 今は、ただ、ここからこうやって伝えることしかできないのだけれども。
 でも、、、

 関東大震災 - Wikipedia

「影響」の自警団云々の記事。こんな内容だったのだろうか?
(と言いつつ、記憶は嘘をつくからね)
 何故かそこにこだわりつつも、1年前から何も進歩してないや。(恥)

2007年08月29日

礼服御覧

「礼服御覧」は、即位儀礼で天皇が着用する礼服を準備するための儀礼である。この儀礼には、天皇以下公卿が参列し、礼服の確認を行い、即位当日までに補修を済ませ、当日に間に合わせるという手順で行われる。

『中世王権と即位灌頂』p320
 ミトラ、ヴァルナでこの行事を考えるなら、ミトラ(法治する王)の行事ではないだろうか?
 では、即位灌頂は? ヴァルナ(魔術王)の所作と言っていいだろう。
 つまり、即位法には天皇をヴァルナならしめる〈聖なるもの〉が存在していると考えなければならないのではないだろうか?
 吒枳尼天法という外法的なもの、智拳印という宇宙の循環を意味する印相は個々に〈聖なるもの〉であるのかもしれない。
 しかし、王法仏法の相依のシステム、そのものが天皇をヴァルナとする〈聖なるもの〉と考えられないだろうか?
 あるいは、現代的な政教分離のシステムに強く依存した色眼鏡なのかもしれないが、、、

鎌倉複雑系II式

たとえば、後に仁和寺菩提院了遍を戒師に行われた亀山法皇の伝法灌頂の参列者は、公卿十一人、殿上人十一人。人数的な規模は道家を下回る(「亀山院御灌頂記」『続群書類従』二六上)。なお天皇に対する伝法灌頂が、仁和寺の僧によって行われる点も注目すべき。

『中世王権と即位灌頂』p293

真宗美術

 井上光貞氏『日本浄土教成立史の研究』山川出版社 1956年
 重松明久氏『日本浄土教成立過程の研究』平楽寺書店 1964年
 石田瑞麿氏「末法と浄土教」『浄土教の展開』春秋社 1967年
 未購入。

『中世の勧進聖と舎利信仰』

 中野堯氏『中世の勧進聖と舎利信仰』吉川弘文館 2001年
 未購入。

即位法伝授

 東寺観智院金剛蔵聖教『即位三宝院嫡々相承大事』(「外題」)の本文には、

天皇即位時には、摂関家と寺家が印明を伝授する旨が記されている。

『中世王権と即位灌頂』p282
 天皇に対して、摂籙と釈家の両方から印明が伝授されるという。
 摂籙の印明の伝授は如何様になるのだろうか?

高野山の浄土

又、自慈尊院帳(ママ)路等百八十町々卒都婆種子等、是、胎蔵界百八十尊種子、是也、是、胎界故也、至御影堂大塔等也、又、自壇上至于奥院、金剛界卅七尊町卒都婆、浄土也、

「高野山有五種浄土事」『高野山秘記』 『中世王権と即位灌頂』p267
 高野山の町石卒塔婆の説明。

2007年08月27日

鎮魂と平和

 こんなに同義の言葉のように思われていて相反する言葉は無いように思われる。
 端的には靖国問題。鎮魂のために世間が乱れるのである。
 はたして、本当に鎮魂とは平和と相容れるタームなのだろうか?

戦争と構造

 当面、テロ論をやりたいのだが少し広く、、、
 沖縄での集団自決について軍の関与があったのかどうかが教科書にいかに記載されるべきか議論になっている。
 しかし、これはさほど意味のあることには思わない。

 なぜなら、戦争というものが一視点的な構造を強要するものであるからだ。
 つまり、結果的に沖縄の人々は集団自決に追い込まれた。これは、紛れもない事実であろう。
 なぜ、自決という結論に到ったのか? それしかないように、全ての人に思われたからにほかならない。
 戦争は、極端にマイノリティーを排除するのである。
 軍の意志でも人々の意志でもないところで、構造が自決を導いたのである。
(まぁ、しかし、最終的な責任は軍が負うことになるのだろうが?)

「時代と寝た女」と寝た男(たち)論2

〈寝る〉という言葉は生殖行為を意味するのではない。
〈寝る〉とは、もっとマジカルなこと。
 都市伝説的な呪術的行為とでも言おうか?
「時代と寝る」という慣用表現は、単にプロデューサーと生殖行為を共有することによって仕事を得るというような因習からの一次元的な発想とは考えない。
 それは、つまり、〈王〉が〈王〉となるために行うイニシエーションにおいても〈寝る〉ことが一つの所作として存在しているように、もっと根の深いトリッキーな意味合いを含むのである。

 では、「時代と寝た女」と〈寝る〉ことが、「時代と〈寝る〉」ということに直結するのであろうか? 深く考えなければならないテーマではないだろうか?
 しかし、逆に「時代と〈寝〉ていない」ということも言えないのかもしれない。
 つまり、〈「時代と寝た女」と〈寝る〉こと〉によってオピニオンリーダーとして地位を獲得したとして、その地位を裏ざさえするものは、はたして何なのか?
 一次的な当事者の問題としてのみではなく、二次的な享受者の立場からの見解も必要となることなのかもしれない。
(結局、水戸さんにお会いせずに書いてしまった、、、)

2007年08月26日

「時代と寝た女」と寝た男(たち)論

ごめんよ。
こんなカタチで君のことを思い出してしまって。
時間が2人の過ごした日々を忘却に導いてくれているのに。

でも、、、

でも、そんなの関係ねー、
でも、そんなの関係ねー、
オパッピー!
チントンシャンテントン!
チントンシャンテントン!

『HEAVEN with Amitabha』

『阿弥陀経』をこんな絵本にしたら楽しいかもしれない。

2007年08月24日

尾張法華寺推定

尾張法華寺

 尾張法華寺(尾張国国分尼寺)を推定してみる。
 法花寺・馬場地区である。可能性としては松下地区の周辺や東畑廃寺なども候補としてあげられよう。
 しかし、伝承や法華寺伝来の薬師如来像などによって、この地区の可能性も捨てきれない。
 以下、この地区について、、、
 まず、遺跡地図に旧地形の高まりの端を茶色で落とす。ほぼ、4-50の遺跡の範囲と重なる。
 この茶色の線から三宅川までが尾張法華寺の境内地。
 つぎに、主要な道筋を推定する。「参道」と「国分寺道」とする道筋が考えられる。
「国分寺道」は法花寺・馬場地区と矢合をつなぐ道筋。「参道」は、ほぼ南からこの地区へはいる道筋。
「参道」を一つの基準に考えると境界から法圓寺までの間に主要伽藍が入りそう。
 境界は水路によって日常の空間と〈聖なる空間〉を別ける境界。この部分だけ田が東西に広がる。

備忘録

鎮魂と平和
戦争と構造
「時代と寝た女」と寝た男
戦後歌謡史

2007年08月22日

911に向けて

911がテロでなかったとしたら?

「対テロ戦争」とは? どうなる?

そもそも「対テロ戦争」って言葉自体、事実を言い得てないよね。

さて、どうなる。

2007年08月21日

宝珠分解

伊藤聡氏は、勝賢が醍醐寺に宝珠が取り置かれている間、東大寺再建の勧進活動を行っていた重源の命により、その宝珠を分解し、その造作法を確認した可能性を指摘されている。

『中世王権と即位灌頂』p241
 伊藤聡氏「重源と宝珠」『仏教文学26』2002年によるという。

2007年08月16日

近江からのミーム

滋賀県の速報展、レトロを見ながら、、、
S字ガメ0類の薄作りが、ある意味マイナーなミームだとしたら、メジャーなミームは近江のそれだ。
S字ガメ0類には、大威張りで「東海(伊勢湾岸)のカメ」と言いづらいミームがあると思うのは僕だけなのだろうか?

近江から尾張へ。
経由地としては、伊勢(アガタ)や西三河(フル)
尾張からは周辺を意識しながらミームが尾張を目指す。

そして、尾張へ到着することによって劇的なトランスフォーム(形質変換)をとげる事になる。
なんか、一宮・元屋敷のS字ガメ0類を見ていて、そんな神話に取り付かれた。

談義所

そうした学僧の学問の場が談義所である。醍醐・高野・根来など中央の大寺院ばかりでなく、真福寺のような各地の談義所を拠として、学僧は諸国を往来し聖教を携え交流しつつ学問を形成する。
 談義所は、中世の〈知のネットワーク〉の結節点となり、聖教以外に和漢の典籍も唱導と幼学の具として備わり、「仏教文学」の一基盤となった。

「中世 仏教文学」p115
 不勉強で「談義所」が、どのように寺院に付属して、どのようなシステムを持っているのか知らない。
 ようは、禅海が祐禅を師匠にして、さまざまな法流を甚目寺町・阿弥陀寺を中心に学ぶという、その場のことなのかな?

「経蔵と文庫の世界」

「シンポジウム「経蔵と文庫の世界−一切経・聖教・宝蔵」」『説話文学研究 41』 2006年

仏教文学

しかし、殊更に言挙げするまでもないが、仏教は、その運動において自ら創出した経典に拠る教義と学問、それを法儀として実践し唱導教化する営みの全てが、悉く言葉をテクストを介して生みだすものである以上、紛れもなく文学そのものである。文学上の問題として仏教の営為と現象を捉えることは、文学観と文学史の向き合うべき大きな課題である。逆の方向から言えば、あらゆる文学の所産について「仏教文学」としての問い−解釈学的試みが設定できる可能性があるのではないか。

 阿部泰郎氏「中世 仏教文学」『國語と國文學 千号記念 国語国文学界の展望』平成19年5月号 p112
 とりもなおさず、仏教と文学の関係。仏教は文語、口語はあるものの言語によって伝達・表現される。
 言語によって伝達・表現されるものは、ひとくくりに文学と呼べるのかもしれない。
 逆に、仏教思想に深く根ざした文化体系があったとして、その文化から表現される文学は少なからず仏教的色彩を持つことになる。
(なんか、ただ言い換えただけ、、、)

2007年08月15日

「『日本書紀纂疏』の「三種神器」論」

二藤 京氏「『日本書紀纂疏』の「三種神器」論」『國語と國文學 平成19年3月号』

 この辺ついに来た! という感じ?

『神道史の研究 遺芳編』

久保収氏『神道史の研究 遺芳編』皇學館大学出版部 平成18年12月

平泉隆房氏「久保収著『神道史の研究 遺芳編』書評」『神道史研究 第55巻第1號』 平成19年4月

『神道史の研究 遺芳編』
第一部 中世神道と古典研究
(1) 伊勢神道と古典
(2) 中世における日本書紀の伝来
(3) 中世における日本書紀研究
(4) 釈日本紀について
(5) 『日本書紀私見聞』について
(6) 聖冏の『日本書紀私鈔』
(7) 北畠親房の日本書紀研究
(8) 北畠親房の神皇観
(9) 北畠親房と密教−新発見の著作『真言内証義』をめぐって−
(10) 両部神道成立の一考察
(11) 『神祇官年中行事』について
(12) 伯家の成立と分流
(13) 伯家における神道の形成
(14) 伯家と西宮
(15) 中世における神国思想
(16) 中世における神功皇后観
第二部 神社研究
(17) 大神宮役夫工米
(18) 学問の神
(19) 中世の諏訪大社
(20) 出雲大社と神仏分離

参考文献

阿部泰郎氏「中世神道と中世日本紀」『神道宗教 第二〇二号』「第59回学術大会シンポジウム 中世神仏文化の点と線−真福寺の神道書と伊勢神道−」2006年4月
近本謙介氏「説話集における神祇 僧侶による参宮話とその周辺」『国文学解釈と鑑賞 平成19年8月』「特集 = 説話文学の魅力を探る−その黎明期から盛行期」至文堂

2007年08月09日

『海の見える街』

あいしてる あなたの事
あいしてる いつまでも
忘れない あの日の事
忘れない いつまでも

歴史が くり返すなら
何度も 思い出すでしょう
二人 過ごした日々は 永遠だから

遠い過去 近い未来
うつろうもの 変わらないもの

2007年08月05日

亮秀写『御即位大事』

本資料は、大永六年(一五二六)に即位した後奈良天皇(一四九六〜一五五七)から、東寺宝菩提院住持の僧亮恵、亮秀が「御即位大事」の印明を授かり、さらに、天正十三年(一五八五)、九条稙通(一五〇七〜九四)の希望によってこの印明を授けた際の、印明の控えと伝授の記録されているものである。

「亮秀写『御即位大事』解題」『中世王権と即位灌頂』p177

 天皇から釈家へ、釈家から藤原氏へという伝授の過程が示されている資料。

2007年08月02日

指の異称

五大三才大中小
親指
人差し指
中指
薬指
名無し指
小指

神道灌頂

(A)や(B)の即位法は、神道灌頂に関わる複数の印信のうちの一通分であることがわかる。

『中世王権と即位灌頂』p166
 即位法が神道の体系的な体得を意味する神道灌頂にかかわるものであることが指摘されている。
 即位法が釈家で伝持される理由の一つと考えられはしないだろうか?

天岩戸

天照太神の岩戸に隠れなさったことがあると云うのは、南鉄塔の中に金剛薩埵の定観しなさった事である。龍猛菩薩の鉄塔を開けると云うのは、諸神か集って天岩戸を開いた事である

塵滴問答(じんてきもんどう)』『中世王権と即位灌頂』p163
 天岩戸と南鉄塔の記事を符合させる説話。

常智拳印

常の智拳印のように左の風(左の人差し指)に右の空(右の親指)をば付けない。右の風(右の人差し指)を付けるのである

 大覚寺No.4「御即位印信」『中世王権と即位灌頂』p157
 確かに引用図版の智拳印は右親指を左人差し指に付けている。しかし、仏像の場合、右人差し指をつけるようなイメーヂがある。
 大日如来には秘仏が多い。あるいは、この特殊な智拳印を秘匿するためなのかもしれない。

大日の印文

伊藤聡氏の解釈によると、「海底の印文は鑁字であり、その上に築かれた大地は阿字なるが故、胎金不二の密教相応の大日本国であると説明」、「鑁字は五大のうちの水大の種子、阿字が地大の種子でもある」とされる。

 伊藤聡氏「大日本国説について」『日本文学50-7』2001年 『中世王権と即位灌頂』p170
 大日の印文が「鑁字」であるという出典。
 でも、「したたりが大地になりそう」という時に、つまり阿字が存在しないうちも水の気だから鑁字でいいのだろうか? と思ったりも。。。

hoh5

「四つの印契が説明されており、それぞれに対応する明が四つ記されている。」『中世王権と即位灌頂』p156
全段に「一印一明」とあるので、四つの説明で一つの印契。明もマントラなので、四つで一つの明。中世の知識的には三段に別れるよう「阿阿」を「台界」つまり胎蔵界とみるよう。
 恥ずかしながらhoh5の慣用読みが不明。「コク」か「ホク」あるいは「オク」。歓喜天の種子ならmojikyo_font_102152(ギャク)かな?
「hoh5」の書き方がいささか判りにくい。mojikyo_font_102642(h)にmojikyo_font_101654(o)とmojikyo_font_101673(h5)を継ぐ。って僕、書けないんだけどね。

ローマ字「hoh5」
慣用読み「コク」
漢字「斛」

佐和隆研編『密教辞典』法蔵館