俳句
さくらんぼ 唇の上に そっとのせ
田植する 隣を泳ぐ 田金魚か
2008年04月26日
奥州
西行は能因の跡を慕って奥州へ旅行し、芭蕉は西行の風雅を追って『奥の細道』を書いた。(p114)
西行は二度奥州へ旅をした。最初は二十六歳から三十歳ごろまでで、学者によってさまざまの説があるが、二度目の方ははっきりしており、文治二年(一一八六)、六十九歳の時であった。(p147)
奈良の僧、とがの事によりて、あまた陸奥国へつかはされたりしに、中尊と申所にまかりあひて、都の物語すれば、涙流す、(西行の詞書きp155)
が、二度目に来た時は、東大寺再建のための勧進という重大な役目を帯びていたから、藤原氏の勢力を、しかと見定める必要があった。(p157)
白洲『西行』
西行は平家によって焼かれた東大寺大仏の勧進のため奥州へ行っている。
奥州は、また、渥美窯製品の一大消費地でもある。あるは、西行は渥美窯製品とともに海路、伊良湖経由で奥州へ向かったのかもしれない。
と、思うと、西行を調べずにはいられなかった。
3つ目の西行の詞書き『西行』では、1度目の奥州行きの時、罪人である南都の僧と面会したと考えているが、大仏炎上が「とがの事」で、勧進のために多くの南都の僧も奥州にやってきた所だったと理解できなくもない。(考えすぎか?)
ちゃんと言葉書きの前後も読む必要があるな。
能因の数奇
だが、みちのくに歌枕を尋ねたのは、西行だけではなかった。尋ねただけではなく、あらたに作りだした人もいる。それは一時代前の能因 (九九八〜一〇五〇以後)で、みずから見聞きした名所旧跡を丹念に集めた『能因歌枕』の著作もある。彼の数奇者ぶりは、例の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」の歌によって知られている。能因はこの歌がいたく気に入ったので、ただ発表したのではつまらないと思い、長い間家にかくれていて、真黒に日焼けしたのち、奥州へ行脚 して詠んだと披露 したのである。だが、専門家の研究によると、この逸話の方が虚構で、能因は実際に奥州へ旅行したというのだから面白い。伝説は嘘 かも知れないが、能因の「数奇」を伝えている点では真実なのであり、時には作り話の方が、人間の本質を語る場合は多いのである。
白洲『西行』p148
長いが能因の数奇ぶりの逸話の引用。
発心門
吉野・金峯山寺の、
門前町から急坂を登りつめたところに、巨大な銅の鳥居がある。「発心 門」とも呼ばれるのは、御嶽精進 の行者たちが、菩提 心に目覚める門を意味するからで、(中略)創建年代は不明だが、聖武天皇が大仏を建立 された時の余りの銅で造ったと伝え、
白洲『西行』p102
発心門というネーミング、「菩提心に目覚める門」という意味合い。備忘録。
俳句
雨と晴れ繰り返し 春、過ぎてゆく
2008年04月24日
団地萌え
団地萌え。
団地の文化財的な調査はどのくらい進んでいるのだろう?
『工場萌え』のようなカタチで、近代化遺産に対する美術的価値の認識の発見? のようなことがおこるとすると、団地はどうだろう?
写真は稲沢団地(長束)。
多くの建物が群集しているが、現状では南側を滅失している。
(記録保存は行われたのだろうか?)
稲葉宿分類のII期d類にあたる。
階数が少ない所が古様を呈するのか?
現状は大きく、北、西、東に分かれる。
写真は東の建物を手前に北を見る。
北の建物。
大きな煙突があり、工場萌え的でもある。
2008年04月20日
『太平記』
「巻十二 千種殿竝文観僧正奢侈事附解脱上人事」(謡曲『第六天』)
「巻十六 日本朝敵ノ事」(第六天魔王譚)
「巻二十二 大森彦七事」(怨霊)
「巻二十五 自伊勢上宝剣事」(宝剣)
「巻二十七 雲景未来記事」(愛宕)
「巻三十 尊氏兄弟和睦附天狗勢揃事」(天狗勢揃)
正誤表
『第六天魔王信長』p344
誤:「正嘉年間(一二五七〜五九)」
正:「弘長年中(一二六一〜六四)」
が、正しいように思われる。異本があるのかもしれないが、、、
この「弘長年中」に意味がある。
神爾
(神爾は)すなわち第六天の魔王の印の判。日本の天皇の持っている、三つの古い工芸品の一つといわれある印判。
『日葡辞書』『第六天魔王信長』p332
『日葡辞書』にも、神爾は第六天魔王の印判であるとの言及があるという。
鑑賞
世中を捨てて捨てえぬ心地して
都離れぬ我身なりけり
白州『西行』p81
そうそう、西行の歌である。
上の句、
「世中を」「捨てて捨てえぬ」「心地して」
でも、
「世中を捨てて」「捨てえぬ心地して」
でも、どちらでも意味が通りそうな感じがいい。
なんか、下みたいに五七五を数字通りに切らないような俳句を作ってみたくもなる。
阿漕浦
あこぎの浦は、伊勢大神宮へささげる神饌 の漁場で、現在の三重県津市阿漕町の海岸一帯を、「阿漕が浦」「阿漕が島」ともいい、殺生 禁断の地になっていた。
白洲正子『西行』新潮文庫 p43
阿漕浦に関する言及として備忘録。
2008年04月19日
ホトトギス
柿、若葉 たどたどしく鳴く ホトトギス
2008年04月16日
俳句
思う事 ちぢに乱れる 春の宵
里帰り 誕生仏ほか
里帰り 重要文化財 誕生釈迦仏
080326〜0420
アンコール企画 尾張の仏像
080326〜0525
*誕生仏は小牧市三ツ渕・正眼寺蔵。飛鳥時代の作。
尾張の律令時代の1つの画期をしめす。
尾張の仏像は稲沢市船橋・安楽寺蔵、十一面観音、兜跋毘沙門天ほか計4躯の展示。
見れるときに見るとよい、しなじな。
窯変の美
猿投・渥美・常滑・瀬戸と東海地域の窯の概観。
そして、全国各地の窯へと。。。
愛知県陶磁資料館の30周年にふさわしい内容だと、、、
愛知県陶磁資料館
開館30周年特別企画展
窯変の美−鎌倉・室町の名陶−人と炎が生み出した偶然の美
080405〜0601
2008年04月15日
Yes-No
今、小田和正な気分だったから、、、
2008年04月13日
清書
夏立つと 太陽知らす 子供の日
筍飯 季節を知らす えぐさ哉
俳句
長久手の 万博公園 山笑う
カキツバタ
昔、男がうらぶれて都を離れ、遠く東国に下った時の話。
男はひとりのうら若き女と出会う。
もともと、男は色好みで、一目で女に恋をし、女に一夜の宿を頼む。
女も断ることができず、一夜をともにする。
明くる日、この出会いの名残りとして、女が舞を舞う。
女が舞終わるのと時を同じくして女はかき消えてしまう。
後に残された男の前には、一面のカキツバタと、曲がりくねった橋だけが残った。
女はカキツバタの精霊で、女も男に恋をし、道ならぬ恋に胸をこがし、精一杯の舞を舞ったのだろう。
2008年04月10日
諾冉の構造
原田氏は、ナギ・ナミ両神が中国の天地創造神である伏羲 ・女媧 と同じ神話的観念から生まれた神であるとし、ナギ・ナミを雷雲の象徴と考えた(『雷雲の神話』)。
『第六天魔王信長』p272
原田大六氏は中国の神話とイザナギ・イザナミの構造の関係を指摘しているという。
後白河院
この言葉を住吉の神から聞いた院は、「そもそも天魔とは何者か。それは人か、畜類か、あるいは修羅道の族か」と尋ねる。
『源平盛衰記』『第六天魔王信長』p254
『延慶本平家物語』の記述のような記憶があったが、要確認。
ひーたんのこわい夜に
ひーたんのこわいよるに
そばにいてあげられなくて ごめんね
はなしきいてあげられなくて ごめんね
ひーたんのこわい そのよるには
ふたりがけのソファーに いっしよに すわって
テレビでもみようか
あたたかいミルクでものもうか
ひーたんのこわい そのよるには
ねむくなるまで いっしょにいよう
(また、インマイセルフな・・・)
2008年04月07日
天魔・信長
非常に興味深いことに、信長によって徹底弾圧を受けた比叡山は、信長を「天魔」と呼んでいた(桑田忠親『織田信長』)。とすれば、信長が第六天魔王と称したか否かはさておき、少なくとも当時の比叡山には、「信長は、まさしく仏教「比叡山は、……呼んでいた」原文傍点障碍 の第六天魔」とする見方が存在していたわけで、このことは、信長と魔王とのかかわりを考える場合、見逃せない重要性をもってくる。
『第六天魔王信長』p240
信長生存当時、比叡山は信長を「天魔」と呼んでいたという記事。
信長が「第六天魔王」と自称したとする記事はフロイスの書簡による記録しかないとする(p26)。この場合、武田信玄の「天台座主」という自称に対応するという。
天魔
天魔は、正しくは他化自在天子魔 といい(『智度論 』)、略して天子魔とも天魔ともいう。他化自在天は、いうまでもなく第六天のことであり、天魔とは、まさにこの第六天の眷属 の魔の異名なのである。
『第六天魔王信長』p239
超越者、信長
フロイスによれば、信長は「自らが単に地上の死すべき人間としてではなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを希望した。
『第六天魔王信長』p233
摠見寺の創建、そして、摠見寺に掲げられた看板に関する言及の一部であるという。
2008年04月06日
ヴィシュヌの開闢神話
「原初の水の中にまどろむ」「ヴィシュヌの
また、ヴィシュヌの開闢神話は、ほぼ完全に同じものが、たとえば両部神道 書などの中で、日本の神々と結びつけられて語られている。
『第六天魔王信長』p188
ヴィシュヌの開闢神話が神道書という位相で語られるという。
〈魔〉
仏教では、第六天に見られるような思想を妄見 として斥 け、妄見を心に吹き込む邪神を「魔(マーラ)」と呼んで調伏 の対象とした。釈迦が悟りを開くために菩提樹の下で瞑想に入ったとき、彼の前に現れ、執拗に誘惑したのが、このマーラだった。けれども、釈迦はマーラの誘惑をことごとくはねのけ、「無上の悟り」(ボーディ・菩提)を開いた。
マーラとは、すでにお気付きのように、特定の神ではない。それは、われわれの生理そのものに宿り、無意識の底にうごめいている盲目的な力そのものを意味している。
『第六天魔王信長』p176p177
「魔(マーラ)」に対する言及。〈魔〉をしりぞけるために「菩提」が必要であるという所に注目したい。
第六天
一言で云えば世に所謂 天魔と云う者はこの第六天の民衆である。この天の王が第六天の魔王である。……第六天は悪魔の住所ではなるが、然 しこの悪魔になるには上品 の十善 を修し、かなり高等の禅定 を修行しなければならない。
和田鉄城氏『
第六天は六道輪廻中の天上界に位置し、そこの住人になるにはかなりの仏道修行も必要としたらしい。
鬼神
先に見た弁財天、白山神、そして牛頭天王信長は、なぜこのようなおどろおどろしい神ばかりを重視したのか。p88
しかも、これまで信長と関わりがあるだろうと私が推定してきた弁財天・白山権現・牛頭天王・天満自在天・愛宕、そして荼枳尼には、互いにきわめてよく通じ合う鬼神としての属性が備わっており、こうしたことは、一般に、それを奉じる人の内部に、それらの神々が深く食い込み、その人なりのヒエラルキーに沿って内部整理がなされていなければ、起こりえないことなのである。p160
『第六天魔王信長』
弁財天は滋賀・竹生島のこと。日本の神々には御霊・怨霊的な性格がつきまとうものが多い。
しかし、津島の牛頭天王、白山の白山権現を持つ東海という地域も、その地域自体に鬼神とのゆかりがあるのかもしれない。
髑髏本尊
髑髏本尊は、「壇上に据えて山海の珍味、魚鳥兎鹿の供具 を供えて反魂香 を焼き、種々にまつり行 ずる事」(『受法用心集』)とされていた。
『第六天魔王信長』p160
髑髏本尊の供養に反魂の香を用いるという。
愛宕
であればこそ、天満大自在天と同じように、死んでのち、日本の王権を転覆しようと企てていると考えられた怨霊は、みな愛宕に集うという『太平記』に見られるような観念も生まれたのである。
『第六天魔王信長』p131
怨霊や、天狗、〈魔〉のようなものが愛宕に集うという言及。
『太平記』「巻二十七 雲景未来記事」(『第六天魔王信長』p260)