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ブロークンな、、、
「尾張国分跡」を学ぶ
尾張国分寺を884年に廃絶したとするのは、インチキくさい。
主要伽藍の一部の焼失であって、「廃絶」という語彙を適当と思わない。
尾張国分寺には、きちんと中世的展開があって、それは「はだか祭り」のような祭儀も包括する。
まあ、マイノリティーな意見だから、なに言ってもいいんだモン!
つまり、884年は律令時代的展開の終焉でしかない。
といいつつ、市教委見解は「廃絶」の方がこっちはやりやすいか、、、
勤労福祉会館多目的ホール
市制50周年協賛
「尾張国分跡」を学ぶ
尾張国分寺 過去・現在・未来
080531(土) 午後1時30分〜3時
*広報080515(p14)参照。
同日、午前中、文化財解放もあるとのこと。
2008年05月28日
猫バス
さざ波の 麦秋わたる 強い風
2008年05月27日
あの日の記憶をひとつ失した
あいつには、オレのしてることなんてワカンナいんだろうな。
べつに、どうでもいいけど、、、
2008年05月25日
飛礫の呪力
多くの石合戦が河原、あるいは境の川を間において行われたことは周知の通りであり、これも飛礫の場が「無縁」的な性格を持っていたことを示しているといってよかろう。(中略)全体として、飛礫そのものの呪術的・神意的な性格は、近世・近代においては中世以前に比して稀薄になっているといわなくてはならない。
『異形の王権』p161
古来、飛礫には呪力があったのではなかろうか? それは境界的な場所で飛礫が行われたことに象徴的である。
しだいに、飛礫は子供の遊び、年中行事の一部へと転換していく。
山伏と天狗、鬼
五来重『鬼むかし昔話の世界』(角川書店、一九八四年)が、詳述しているように、山伏と天狗、鬼とは不可分の関係にあり、非人と鬼についても同様であろう。。。
注31『異形の王権』p143
「山伏」「天狗・鬼」「非人」の相関関係への言及。
この後に描かれる天狗の「おそろしきもの」「おもしろきもの」への言及も興味深い。
「扇の骨の間から見る」
とすれば、扇で顔をかくし、骨の間から見るのも、まさしく一時的な覆面と考えることができる。「公界」の場で、突発的におこった出来事、突如としてその場の状況を一変させるような事件を見なくてはならない状況に遭遇したとき、あるいはすでに予想されるそうした事態に自ら加わるさい、手に持った扇で面をかくし、人ならぬ存在に自分をかえる意味を、こりしぐさは持っていたのではなかろうか。
『異形の王権』p112
現代的に「覆面をする」という事を考えれば、それは匿名性を出すことでは無かろうか?
自宅なり、まわりの人間に知られない所で覆面をしなければ匿名性は発生しない。
つまり、「扇の骨の間から見る」事が「覆面」の変わりとなるのであれば、覆面そのものも匿名性以外の意味を持つのかも知れない。
現場で起きることの呪力から自分を守るような、あるいは、その逆なのか、、、
門前町の発生
聖。上人の場合、「高声」が認められていたのであるが、これと同様に、イエと外界を境する場である門前は、河原や中洲に立つ市庭などと同様に、聖なる場として「高声」が許されたのではなかろうか。それ故にそこでは尋問・対決が行われ、高声の訴えがなされ、さらに鼓を打つ芸能民や商人、乞食・非人が蝟集したのであろう。門前町が生まれるのは、こうした背景があったからに相違ない。
『異形の王権』p83
境界的な人・場は〈聖なるもの〉と認識され「高声」のようなことが許された。
そこから門前町の発生がなされるという。
2008年05月18日
内面、外見。
内面をとるのか、外見をとるのか?
なんか矛盾をはらんでいるような、まあ、短文詩。
神聖な童子
このように「子供が自由であったのは単に幼くて、その行為に責任がなかったというだけでなく、子供たちに一種の神聖なものがあると考えられていたためであると思われる」(1−一五〇)ともいい、「神聖な童子」(4−六五〇)にも言及しているのである。
網野善彦『異形の王権』平凡社ライブラリー p53
この年になって『異形の王権』を初読というのは、なんとも恥ずかしい。
子供の神聖さについての言及。
俳句
汗かいて Yシャツくっつく 栗の花
藤原2題
完全な晴れではなくて少し霞んでいる。
今は雨雲みたいな雲がはりだしてきた。
二上山、畝傍山、雷の丘。この一直線で僕の中で持統朝は決まる。
その呪力を大きく受けてキトラの被葬者は存在する。
キトラ古墳壁画「十二支 子・丑・寅」
『平城宮の図録』を見てて日本のどっかには十二支像はあるだろうと思ってて(あたりまえ?)それがキトラだとはね。
2〜3時間待ってみる価値があるかは個人的な価値観の域だろう。
考古学ガールが見に来てた。大学生なのかな?
次に、
はにわ人と動物たち
キトラも古墳だけど、これも古墳。
美術史的な大転換だよね。
橿考研界隈、栗の花のにおい。
采女の 袖ふきかえす 薫風か
飛鳥資料館(奈良文化財研究所)
平成20年度春期特別展
「キトラ古墳壁画十二支−子・丑・寅−」
080418〜0622
特別公開
キトラ古墳壁画「十二支 子・丑・寅」
080509〜0525 期間中無休
http://nt-s.ne.jp/mm2/kitora(待ち時間情報)
橿原考古学研究所附属博物館
春季特別展
はにわ人と動物たち−大和の埴輪 大集合−
080419〜0615
明日香
采女の 袖吹きかえす 薫風か
2008年05月14日
俳句
夕映えの 赤い雲 初夏の風
2008年05月13日
僕の脳内
最近は、こんな感じでしょうか?
でも、見ようによってはスカスカ(恥)
俳句
新緑の 遠くに名古屋 新都心
2008年05月11日
「山の辺の道」の万葉歌
奈良県桜井市の山辺の道に点在する歌碑の原文の展示。
万葉時代、昭和、そして、それを目の当たりにする現在。
こんな三世のコラボレーションを思う。
はじめて、ゆとりーとラインに乗る。
http://www.guideway.co.jp/
http://www.guideway.co.jp/i/
路線バスのようなリニモのような。
「川村」下車、庄内川にかかる松川橋をわたると道風記念館はすぐ。「勝川」から歩くより便利。
新緑の 遠くに名古屋 新都心
春日井市道風記念館
春の特別展
「山の辺の道」の万葉歌
080429〜0525
講演会
山辺の道と万葉集 和田萃氏
080511(日) 午後1時30分〜3時
2008年05月09日
西行の大神宮参詣
榊葉 に心をかけん木綿 しでて
思えば神も仏なりけり
深く入りて神路の奥を尋ぬれば
又うへもなき峯の松風
これらの歌が神仏習合の思想のもとに詠まれているのはいうまでもないが、西行は本地垂迹 説(仏が神の姿を仮りて衆生 を救う)という宗教上の理念を歌に飜訳 したのではない。神路山の奥深くわけ入って、自然の神秘にふれたことを素直に詠むことによって、その歌の中から神仏は一つのものという信仰を得たといえるであろう。神仏習合とは、いわば彼の内部で行われた一つの劇であり、その発見の悦 びがこのような歌に結実したのである。賀茂では僧侶 の身を遠慮して、末社にしか詣でなかった西行が、はるかに禁忌のきびしい伊勢大神宮では、何憚 かることなく堂々と参詣 しているのは、神主たちの援助があったにしても、自分で納得しなかったらよく為 し得なかったと思う。
白洲『西行』p255
2首の西行の歌と少し長いがその解説。
我説を展開するのは少し後にまわして、まずは引用のみ。
この2首の解釈で、多分、中世が自分の中で生きた時間として動き出す。
神仏習合の概説書では多く引用される歌なのだろうが、ここに来て、やっとその歌が解釈できるようになった。
ヒントじみたことを言ってしまえば「複雑系」という、このキーワードにつきるのかも。
義経・西行と伊勢・陸奥
義経が伊勢大神宮に詣 でたことは、『吾妻鏡 』文治二年三月十五日の条に明記されており、(中略)その年、というのは文治二年のことだが、西行は東大寺再建の勧進のため、陸奥の国へおもむき、その途中、鎌倉によって頼朝にまみえている。それは五ヵ月ほど後の八月十五日のことで、西行と義経と伊勢の三郎が、同じ時に伊勢の国におり、同じ頃奥州へ旅立ったということは、偶然の一致とは思えないのである。
白洲『西行』p251
西行の大神宮参詣は、直接、東大寺大仏の勧進にかかわる行為と考えてもよい。
義経のそれは、どう解されるのであろう?
西行と崇徳院
それはとにかく、西行が縁者の赦免のために、直接崇徳院と交渉できるほど信頼されていたことは、心にとめておいていいことだ。p211
我拝師山の庵室と、讃岐の院の旧蹟 と、白峯の御陵が、やや東北に向かって一直線に並んでいるのは、深い考えがあってのことに違いない。西行はこの庵室から日夜朝暮に白峯を遙拝 し、院の怨霊 を慰めようとしたのではあるまいか。そんなことはひと言もいってはいないが、自然の風景は何よりも雄弁に西行の心の内を明かしてくれるようであった。p239
白洲『西行』
西行をとりまく時代。この時代を語るのに崇徳院のことを語らずにはすまないだろう。
とくに、西行は北面の武士として活躍し、年の近かった崇徳院とは格別の関係があったという。
2008年05月03日
古代ペルシア展
古代ペルシア展
いい意味で去年の出がらし。
不勉強で、その素晴らしさが説明できないのが口惜しい。
できれば『美濃の古瓦展』も見てみたいのですが、、、
高浜市やきものの里 かわら美術館
古代ペルシア展
−シルクロードに栄えた工芸と王朝文化−
080426〜0608
三河念仏の源流展
三河念仏の源流展
三重・一身田、専修寺の什宝。慈鎮の夢の資料。(これも専修寺什宝)
そして、三河の真宗。
善光寺如来、聖徳太子、法然、親鸞、そして、その系譜につらなる人々。
写真は岡崎市街。II期c類の看板建築。スゴイ!
岡崎美術博物館
特別企画展
三河念仏の源流〜高田専修寺と初期真宗〜
080426〜0525
*三河の真宗美術は尾張のそれを補強するものだと思っている。