俳句
初雷は 湯桶読みだと 思ったよ
雪の果 白月の下 横たわる
白瑠璃の碗
寺沢薫氏『王権誕生 日本の歴史02』
熊谷公男氏『大王から天皇へ 日本の歴史03』
渡辺晃宏氏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04』
いずれも、講談社学術文庫。
講談社本『日本の歴史』が、ついに文庫化。文庫になるとは、、、
『白瑠璃の碗』参考文献として。。。
兼題
初雷
雪の果
2009年01月27日
出会い系は媒体かも
元カノの話をするのに出会い系は媒体かもと思ったり。
水戸さんみたいなオナニーしなくてすむんだもんね。
「ごはんですよ」書きかけだし、、、
2009年01月26日
「落語と私」
『私は河原乞食・考』、「付録 落語と私」の前半部分。落語体験と戦争体験のくだりは印象深い。とくにp379の「ナニモノカ」への言及は、なにか的を射ているような気がする。
日本史の中のホモ
しかし、ホモによる俳優とパトロンの結びつきは、今にはじまったことではない。わが日本芸能史サン然として輝く、世阿弥元清−藤若と、これを寵愛したパトロン、将軍足利義満の名をあげれば、なにもいまさらトヤカクいうに当たらない。p334
「古川柳には“親鸞はおもて空海はうら”(略)などあって、男色のはじまりは弘法大師であるようにいうが、それは俗説にしかすぎない。」(略)かくて「平安時代の山岳仏教の寺院」にこの風がp347蔓延 したことは、数多く当時の文献に見え、
『私は河原乞食・考』
日本史の中ではホモセクシャルは、比較的寛容に存在する。それは性において抱くのは男で抱かれる対象は自由であったというような言及を橋本治氏の著作で読んだような気がする。書名忘れた、、、
性の多様性
とすると、同性愛者でありながら、異性の服装を厭 う者もあれば、服装倒錯者にもかかわらず、同性愛的傾向のない人があるわけで、
『私は河原乞食・考』p281
性の多様性・ジェンダーの多様性についての言及。
異常性欲
従って、性欲のどういうあり方、あらわれ方、満足させ方などが異常かというけじめは、ある集団やある時代によって異なり、正常との距りを決めることがむずかしい
加藤正明「異常性欲」『私は河原乞食・考』p277
性欲は生理的な問題だが、それを正常・異常と判断するのは社会学的な問題であるということ。やっぱ、「異常性欲」とカテゴライズすること自体が現在の感覚にあまりそぐわないようにも思う。
客人
もともと、この国には、漂白芸人に対して、コジキ同然と蔑視する一方、他郷より渡り来る神の使いと畏敬する風習があるのだとよくいわれる。
『私は河原乞食・考』p223
〈賤〉が、そのまま〈聖〉であるという言及。
演歌師
桜井:ですから、逆に露天側からいうと、これは人寄せにもなる。仲間に入れた方が得だということにもなる。すると兄貴分の頭のいいのが、「(略)俺らと、親分子分になりゃ、安全に商売できるんだ。うちの若いもんになれ。」
『私は河原乞食・考』p209
演歌は昔、演説の歌で「演歌」だった。政治的な歌であったのがテキ屋の傘下に入る。それが、大正の頃であったという。
獣育譚
地位も名誉も財産もある、立派なお家におきまして、ひとり娘として生まれたおねェさんが、なぜに、こういう動物たちと生活しておったか。赤ちゃんの時に、ヒョッとしたお母さんの不注意から、どこからともなく現われた一匹のけだものにさらわれてしまったのであります。
「見世物口上・採録」『私は河原乞食・考』p196
なんとかという高僧(東大寺の良弁だったか?)が鷹にさらわれ育てられたという伝承がある。そのような縁起の絵解きのような現場から、このような見世物が枝分かれするような、そんな、るつぼのような空間。宗教空間の門前で行われた芸能のような、そんなことを思った。
アウトロー
大著『病理集団の構造』は、博徒、的屋、グレン隊、土建、港湾、炭坑暴力団、壮士、院外団など「親分p186乾分 の結合を基本的な連結軸として構成されるところの諸集団」について、その内部構造、活動機能、及び、これらの集団を存続せしめるところの条件について、社会学的観点から分析究明して、、、
つまるところ、彼らは、体制の「病理」が生んだアウトローなのである。これは、そのまま、かつての芸能者の生まれた基盤を思い出させるのである。p188
『私は河原乞食・考』
親分・子分の関係で成り立つ組織にもいろいろあるようだ。
アウトローであり、「病理集団」とさえ言われる。用語の問題とか当時の時代性も考えなければならない。
2009年01月18日
2題
白鳥の蒔絵シール御守りとかあったら買ったのに、、、
安城市歴史博物館
江戸っ子が見た三河万歳
そうか、三河の唱門師と言えば三河・松平家も、唱門師であったという伝説もあるな。
神仏分離のなかで万歳が祭文的になるのか、もともと祭文的なのか、出自の伝説のちがいだとか、尾張と三河の万歳の違いについても考えてみたいな。
熱田神宮宝物館
神様のお使い
神様と動物というと、神使としての動物と、神様そのものをシンボライズする動物とがあるそうだ。
尾張と葛城・高尾張との関係。興味深かった。
安閑陵が古市に、宣化陵が新沢千塚のすぐそばにあって、なんかガラスをモチーフに書けそうな気がしてて、
丁度、正倉院の白瑠璃碗が作られて、正倉院に献納されるまでの尾張を中心にした歴史大河。
おもしろそう。
安城市歴史博物館
特別展
江戸っ子が見た三河万歳
081213〜090201
熱田神宮宝物館
新春特別展
神様のお使い−幸せを運ぶ動物たち−
090101〜0127
2009年01月13日
清書
粉雪の 降る真夜中に 泣く少女
書初の 墨 顔につけ 笑む子供
2009年01月10日
2題
四日市市立博物館
歓喜する岡本太郎
よく知られた作品群だが、実物の迫力はスゴイ。
黒という色を色彩として使っているような感じ。
赤や黄のような原色を塗るように黒を塗る。それは輪郭線という概念ではない。
なんか今でも、あの会場のなかを岡本太郎が、うろうろしていそう。
松坂屋美術館
大三国志展
玄人向けの展示。
『三国志演義』がどんな形でも、頭に入っていないと理解する事が難しい。
ド素人が飛び込みで入っても、、、
四日市市立博物館
特別展IV
歓喜する岡本太郎
081115〜090112
松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
大三国志展 −悠久の大地と人間ロマン−
090102〜0203