本日公開? だったか?
「ケンヂくーーん!」
って、だいぶ違うな。
まあ、模式図だから、デッサンの甘さは目をつむってくだされ。(また、文体がおかしい、、、)
Peaceサイン。
2009年08月28日
僕たちは屍の上に生きている
Ge? 発見した気分。
改めていう話でもないのだが、、、
一番かわいそうなのは、今、生きていて夢をなくしちゃった人。「生きていて」って言うのは死んだ人もいるだろうと思う。つぎは、この人。
今、生きていて夢をなくしてない人は、この次かな? でも、可哀想だよね。
改めて考えるとこんな所か?
どう責任とるつもりだったんだろう?
2005年に終わってるって、どんな感じかな? 悔しいかな?
今、生き甲斐があってよかった?
2009年08月26日
キターーー
キターーー(って、つづりが分からん!)
逸材だ! 逸材だ! 逸材だ!
芸術は、バクハツだ!!!
2人とも、好きらしいぞ♡ どっちか、片づいてくれると、ものすごくやりやすいな。
って、オレが、ごねてるだけの状態?
でも、こっちの世界に引きずり込むのも可哀想か。
でも、あの世界を見たとすれば、救ってあげない方が可哀想か、、、
2009年08月20日
付喪神
100日もほっとかれたら、
って、付喪神は、100年か。
正直、あきたんなら捨ててくれたらいい。
僕には、君の「居心地がいい」が最優先なんだから。
ずっと、遠くから見てるよ♡ って、ストーカーか?
2009年08月16日
まどろみ
なんか特定個人を標的にしても魂が満足しないんだよね。
てか、2つ目は意味不明なんだよね。ひっくり返したら、ああ、なんとかって話だけど、「で?」って、何も続かないよね。
やっぱ、構造を相手にしてる方が楽しい♡
2009年08月14日
釈
解りあえないって、分かってるから、、、
いま、何を声高に訴えてるんだろう?
だって。どう、 思う?
いまさら、そんなこと言われても困るんですけど〜〜的な!
2009年08月13日
伊勢湾台風に関する資料などを探しています
「など」って、なんだ? 以下引用、、、
今年は、伊勢湾台風から50年に当たり、各地でさまざまな関連行事などが行われています。
これに伴い、秋に開催する特別展の資料収集と、伊勢湾台風に関する資料の散逸・亡失を防ぐため、現在、伊勢湾台風に関する資料などの情報収集をしています。資料を持っているかたや、資料所在の情報は、市役所生涯学習課へ連絡してください。
(広報8月15日号参照)
・伊勢湾台風の雨風の様子。
・当時の台風に対する備えのあり方。
・水屋の石垣のどのあたりまで水位がきたとか、
・水屋への避難のようす。
・その当時の非常用持ち出しの内容。(水屋につった舟や水屋内の調度品)
・当時の堤防の様子(石垣、土手、コンクリ?)
ざっと今思いつくのはこんな感じか?
50年は歴史行政にとっては、一つ目印になる年代だ。しかし、50年というのは遅きに失したと思うのは、僕だけだろうか?(まあ、50年たたないと「歴史」として認識されないのだ)
伊勢湾台風に関しては他地域では、数年前から企画展・聞き取り調査を進め、今では毎年恒例の展示となっている。
まあ、郷土史にとって、□□の伊勢湾台風と□□(地域名)が、つけば、それはそれで新知見なのだ。
30年前の豪雨(海津町?が水浸しになった)や東海豪雨(この豪雨の記憶でも、もう、あやふやな部分が多いだろう)の聞き取りも「災害史」と考えれば、有用だと思うが、今回は「伊勢湾台風」。
ああ、去年も災害史といえば、災害史か、、、(でも、アレって、橘奈良麻呂の乱の以後、飢饉の訴えの数が増えるんだよね。まあ、資料の問題もあるだろうが、、、)
2009年08月10日
2題
※あの梵字が読めないのは、あなたのスキルのせいぢゃない
aum6だと思う。ある意味一番有名な梵字だ。
生まれ年の守り本尊を意味するとか、一蓮托生のシンボルというのは間違いであるということは、読みがわかれば、ウチのサイトの情報から判るだろう。
梵字の識字率をあげようとしているのに、あんな解りづらい梵字を報道されたら、困っちゃうよね。
多言語化の将来を考える上で、梵字識字率を3%なり5%なりにあげておくことは、大変、重要。
※現・名古屋城の歴史的意味
コンクリであることに対して毛嫌いする向きもあるようだが、築50年をむかえ、復元天守という意味合いを超えた歴史的意味があるようなきがする。
やはり、戦後復興の象徴なのである。大曽根や守山に工場があるように名古屋城の復元天守は名古屋の都市計画の中に組み込まれている。
現・名古屋城を語ろうとすれば、当然、戦争の話になる。先の大戦を語るよりしろになっている。まあ、なぜ名古屋城天守が焼けることになったかの説明は必要なのだろうが、、、
やはり、現・名古屋城には、壊すには、モッタイナイ、歴史が歴然と存在する。もし、その場所に木造天守を建てるとすれば、現・名古屋城の移築は必至だろう。
名古屋港の辺りがいいのではないだろうか?
ポートタワーやポートメッセの遠景にコンクリの現・名古屋城。けして悪い風景ではない。
2009年08月09日
ボビー・オロゴンの研究
松本清張『火の路』文春文庫
最近、文庫本の装丁というか、カバーデザインがくちゃくちゃになっている中、手堅い装丁。生誕100年の新版にあわせて、そろいの装丁なのか。。。
これと、
伊藤義教『ペルシア文化渡来考』
で『白瑠璃の碗』は決まってしまうのではないだろうか?
でもボビー・オロゴン氏が日本へ来たことの研究と、日本人がボビー・オロゴン氏からどのような影響を受けたかの研究では大きく異なる。
つまり、ペルシアからの文物の伝来、そこから日本人は何を享受し取り込んだのか?
管見では古墳時代の中期末から後期初頭には、ペルシアからの文物の渡来があったのだと思う。正倉院の白瑠璃の碗も、そんな時代からの伝世品なのではないだろうか?
多くのガラス製品が古墳に埋葬される中での伝世。これは王権を保持するための呪具のように思えてくる。
と、いいつつ「かまくらクライシス」が書きかけだったな。
2009年08月03日
複合土師器
『小栗鉄次郎』展の図録、No48の高坏。
ある意味「高坏」という名称は正しくない。
これは器台の上に坩(こつぼ)ののったのを模した、「複合土師器」とでもよんでもいいものだ。
類例が増えれば「器台付き坩」のようなよばれ方をするのかもしれないが今のところ、それほど数もないようだ。
私の知る中では、時代は異なるが、各務原の八龍遺跡?で高坏の上に鉢形の坩をのせた複合土師器がある。ここで注目なのは下が高坏であることで、高坏が器台として使われた証拠のように思う。
複合土師器で有名なところとして、大口町の仁所野遺跡?の例があげられよう。この場合は高坏の上にパレス壺がのっている。
考古学では2例というのは必ずしも多い数ではない。しかし、そこでは高坏をツボをのせるものとして使っている。
昔、ある博物館で、高坏にたいして、
「これは何に使ったのですか?」
と、問われたことがある。
「ああ、ツボをのせるウツワですよ」
と、答えると、学芸員が飛んできて、
「いえ、違います。食べ物をもるためのウツワです」
と、言うではないか!
この学芸員は、少なくとも2度以上、遺跡で食べ物が高坏にもられた状態のものを、見たのだろうか?
ケンカするのもバカバカしいからだまってたけど、、、
*複合土師器より「器種複合」現象と呼んだ方がキャッチーかな?
*『萬葉集』巻一六・三八八〇に、しただみという貝を高杯にもるとある。でも、この時代の高杯は木製なのでは?
2009年08月01日
2題
名古屋市博物館
小栗鉄次郎
-戦火から国宝を守った男-
案外、アカデミズムの人なんだ、少々ガッカリ。
まあ、あの時代で反アカというスタンスはとりにくいのか? 存在自体がないのか?
主流派なのか、結果として主流派なのか、疑問が深まる。
子供づれが多かったけど、よっぽど、うまいこと大人がガイドしないと、一級品ぞろいだからモッタイナイな。
どんな展示でも「子供でも楽しめますか?」は愚問。大人がどこまで求めて、何を伝えたいか? が決めることのような気がする。
まあ、子供にとって、同じ場所に連れて行くことが、等質の機会をあたえるとは思わないんだけど、、、
松坂屋美術館
没後40年 レオナール・フジタ展
巨大壁画「構図」と「争闘」が目玉。
もう、その乳白色の肢体のトリコです♡
それまでの、タイクツな日々は何だったのでしょう?
う~~~ん。
音声ガイドのテンポがよかった。引用のところは逆にもう少し聞かせてもいいのかも。
音声ガイドがあると受け身で観れるから、やっぱ、便利だな。
名古屋市博物館
企画展
小栗鉄次郎
-戦火から国宝を守った男-
090801~0913
松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
没後40年 レオナール・フジタ展
090801~0913