4題
大極殿のおおい屋がとれてて、車窓からみれた。
2層目の小屋組ってあんなに複雑だったんだろうか? 棟が高く上がりすぎてる気がする。
例えて言えば大極殿が中世まで残ってて、改築されたら、今見える大極殿になる。僕が不勉強だから、そう見えるのか?
奈良国立博物館
正倉院展
あれだけ人がいると音声ガイドは向かない。説明も120%な気がする。
まあ、一個人の主観だがボランティアの展示解説を聞いて、頭に入れといて、廻った方がスマート。
まあ、音声ガイド終わるまで現物の前で粘る時間的・精神的余裕がないだけなのだが、、、
奈良県立美術館
神話-日本美術の想像力-
奈良博や興福寺の喧騒から一転と言っても大げさではないな。
なんか、その落差を何とかしたいんだが、やっぱ、御物とはレベルが違うのか? そのレベルの違いが分からぬ男。
神話を題材にした絵画のレビューって初見という、新鮮味がある。(どっかで時代別にした展覧会があったなって、それは歴史画か)
なんか西洋の絵画技法やモチーフを取り入れていく過程みたいなのが興味深かった。
天使的な天女だったり、洋風の主人公だったり。
京都国立博物館
日蓮と法華の名宝-華ひらく京都町衆文化-
曼荼羅本尊の梵字が、ひょんなことから読めるようになって、「カン(ha3m5ではない)」と「ウーン(hum5ではない)」。不動と愛染だろう。誰かのになるともう読めない。別の梵字なのか? 雰囲気だけなのかはこれから。
なんか日蓮系の絵画類って、目が慣れてないから、ぞくぞくするね。知ってたのは三十番神くらいか? あのQS心をくすぐる群像、いいね。
美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル7階)
世界遺産 アンコール・ワット展
~アジアの大地に咲いた神々の宇宙~
おまけと言っては失礼だが、軽い気持ちで入ったので、その1体、1体の迫力に圧倒される。
数はそんなに多くないんだけどバラエティーが豊か。
蛇のとぐろの台座とか大きく口を開いた蛇の光背はなんか、かわいらしい(と、言いつつ、この前、30cmくらいの小蛇を見て飛び跳ねてびっくりした)
奈良国立博物館
第61回 正倉院展
091024~1112
http://osaka.yomiuri.co.jp/shosoin/
奈良県立美術館
特別展 遷都1300年プレ展示
神話-日本美術の想像力-
091024~1224
京都国立博物館
特別展覧会
「立正安国論」奏進七五○年記念
日蓮と法華の名宝-華ひらく京都町衆文化-
091010~1123
美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル7階)
プノンペン国立博物館/シハヌーク・イオン博物館所蔵
世界遺産 アンコール・ワット展
~アジアの大地に咲いた神々の宇宙~
091009~1103
2009年10月27日
本朝に於けるオナニーの歴史
『耀天記』という書物に、女が鏑矢(かぶらや)をひろい、それを床にさして眠ったら身ごもった、という話が出てくる。なんともセクシャルな内容に思うのは僕だけだろうか?
注目されるのは、主人公が女性であること、矢という棒状のモノを男性あるいは男根の象徴としていること。仮に矢を男根の象徴と考えた場合、妄想されるのは、男根により女性が満たされるというイメージであろう。主人公が女性であることは、当時の性に対する意識をなにか反映しているように考えられる。
実際、この物語の担い手を男と考えるか? 女と考えるか? 男性とすれば、この主人公の女性は、なんらかの理想化を経ていると考えなければならないだろう。
まあ、この物語から「当時の人はオナニーでも妊娠すると考えていた」とするのは、飛躍に過ぎるだろう。
同様の内容の物語は『山城国風土記逸文』(『釈日本紀』)の「賀茂社」の縁起として語られる。
『古事記』には大物主神(おおものぬしのかみ)が丹塗矢(にぬりや)に化けて女性の陰部を突き刺し、女は、その矢を持ち帰り床の辺に置いたところ、たちまちに、麗しき男性となり子をもうけたとある。(角川文庫p83)
オナニー史を考えるには複雑な内容だろう。このような物語に整合性を考えるのはおかしいのかもしれないが、女は陰部を突き刺した矢を見初め、床に持ち帰ったとはいえないだろうか?
しかし、1人でおこなうことも、2人でおこなうこともさほど区別がなかったとも考えられる。
時代は下るが『袋法師絵詞』の存在も考えさせられるモノがある。内容は「ある高貴好色な尼君が女房たちと謀ってある僧侶(法師)を袋に入れて御殿に運び込みこれと密通するというもの」とされる。
しかし、あの袋から出た男根は、男性なのだろうか? 女性の性欲を満たす道具にしか過ぎないのではないだろうか? まあ、この物語の担い手の性も注目しなければならないのだろうが、、、
つまり、本朝においてオナニーは禁忌の対象ではなかったのではないだろうか?
だから、満足できなかったら、自分で慰めればいいんだよ。(って、これが言いたいだけの文章だったのか、、、)
いや、逆に伴侶のいる時の方が性に対して不満がたまるって、誰か言ってた気がして、ああ、満足させるために、ひからびさせてしまうのも申し訳ない(いったい何目線なんだ?)気がしてきて、こんな内容です。
この文脈で、「縄紋時代には石棒という祭祀具があって」という話を聞くと、「どんな祭祀をやってたんだ?」と思ってしまう。SMショー? と思ってしまう。でも、たぶん「石棒は淫具」という説はないんだよね。ぼかしはいらないし、博物館に平気で並べてあるし、ああ、教科書に載ってるよね。
2009年10月26日
謝罪
ごめん。
天神様とよろしくやってる、てか、やりまくってるのに、よけいなこと言ったね。
ごめん。
自分でも稚拙だってことは、判ってるんだよ。
汚欲
チベットの双身の尊像。
護摩壇(密教の火の儀式)。
暗いなにもない部屋、女のシルエット。
女の口元。
人気のないオフィース、昼休み。
オフィースに女が独り。
中指で唇をなでる女。
愛染明王。
女の肩から上。
オフィース。
ダンサーズ(男子)。
2009年10月22日
真言の持者
っていうか、お前のとなりで寝てたらリアルに額に落書きされそうだよな。
って、すでにやっちまったか? やりまくっちゃったか???
ごめん、このカキコミで、やりそこねる可能性もあるんだね。ニヤッ。
いや、別に君の才能を低く見るという意味ではないんだよ。
やっぱ、真言の持者というか、実際に修行を積んだ人の、すごみってのはあるわけで、なんか、そのすごみを表現したかったの。
それ以前に、ヒント的な話はしてたんだしネ。即位灌頂、云々。。。
でも、、、えっと、、、なんだ、、、その、、、
君のこと尊敬してる♡
(世界的存在なんだから、当たり前なことで口にしてなかったね)
ああ、だめだ。また、エロ話しようとしてる。
2009年10月21日
後半
「ra3 gi ca kra3 ya sva3 ha3」
「ラー ギ チャ クラー ヤ ソワ カ」
読みも少し直してみました。
「赤い?チャクラー(輪宝)のような。スヴァハー」というような意味なのか?
チャクラーは、ダイレクトな読みだから、読みクセがあるんだろうな。
案外、ダイレクトに入ってきた真言なのかもしれん。
「ra3 gi」ではなく「ra3 s1i」かも。「ラー シ」と読むのか?
「あまたの輪宝のような。」になるのか?
品行方正
うぁっ! ハズっ!
なんで、私がこんなはずかしめを、、、
2009年10月19日
ナウマクなんたら、、、
ん? ごめん。よく聞こえなかった。誰の何が、誰の何を、どうして、お前がどうだったからどうなの?
「na mah5 sa ma nta bu ddha3 na3m5」「ra3 gi ca kra3 ya sva3 ha3」
「ナウ マク サ マ ンダ ボ ダ ナン」「ラー ギ チャ クラー? ヤ ソワ カ」
昨日買った、蒔絵シールなんだけど、後半の意味が判らん。
前半部分は「帰依する、様々な仏陀に」というような意味。後半の「ソワカ」は「アビラウンケン」の次くらいに有名な文句。
真言は「オン」か「ナウマク、、、」で始まって「ウーン」か「ソワカ」か種子で終わることが多い。
だから「アビラウンケン」は真言ではないから、真言で一番、格好いいアレを使うといいよと言われることになる。でも、この「格好いい」が判るのは実は日本では1人しかいないような気がしてる。
逆に「格好いいから」と言われて「やってやるぜ!」と思うのも日本で1人なんだろうな。世界でもなのか?
まあ、その「やってやるぜ!」が、かわいいと思うのは2人・・・いや、沢山いるんだよ。
やっと真言の章に突入?
2009年10月18日
音楽のせいにしないで欲しい
なんか音楽のせいにされたら、僕が怠惰で努力してないように感じるのは、おかしいんだろうか? なんか、もっと努力してたら音楽の可能性も、もっと提示できてて、人手が足らなくなるような感じがしてる。
結局、七福神の種子はよくわからん。ある本に種子が載ってるって広告があって調べてみたら、恵比須は大黒と同じ「マ」でいいや、寿老人・福禄寿は「寿」の音訳の「ジュ」でいいやって、答えになってない。
七福神の真言(マントラ)は、いくつかのサイトで確認できて、真言があれば種子もあっておかしくない。まあ、つまるところ、こじつけ(「習合(しゅうごう)」)だから、なんかひらめいたら教えてください。
祖父江町郷土資料館
伊勢湾台風50年 見て、聞いて、話す
複数館連動企画みたいで図録は、それなりに見出がある。写真資料が有機的に利用できていて参考になる。
他館の展示は知らないけど、こういう展示であればダイレクトにデジタル化出来るのかもしれない。
一宮市博物館
牧進(まきすすむ)展
妙興寺のふすま絵が載ってて、なんか気に入って見に行く。
『美術年鑑?』なんて見ないから、どのくらいの絵なのか知らないけど、幽玄で綺麗な絵。嫌いではない、というか、好きな方。
でも、なんか市井の中にある絵のような気がする。と、書きつつ、この手の絵は、今の精神状態で正当に評価できないな。
名古屋市博物館
妙心寺—禅の心と美—
うわぁ〜っ! 禅は何のことかわからん。このまえ『禅語遊心』読んで、よけい解らんくなって、って、QSみたいな考え方ではないんだよね。たぶんクイックなんて禁句なんだろうな。結局、法流を継ぐために権力闘争をやってて、その心をそのままに見たときに仏性が、そこにはあるわけだから「不断煩悩得涅槃」みたいなものなのか? と書いてしまうと、激しく怒られるような気がして萎縮してしまう。
だから、禅をとっぱらって、中世〜近世の肖像画のオンパレードと考えてしまえばいいのか? あと、矢合・国分禅寺の宝冠釈迦がみれてよかった。
なんか聖の肖像画には興味湧かなくて、俗の肖像画に見入ってしまった。
豊国大明神は、やっぱ、神像だよね。あとは肖像画。注目は足下、段があるかないかが気になってしまう。古くても礼拝用のモノもあるし、新しくても礼拝に適さないモノもある。結局、肖像画って何に使うモノなんだ???
祖父江町郷土資料館
特別展
伊勢湾台風50年 見て、聞いて、話す
−語り継ぐ地域の歴史 「伊勢湾台風−災害の記録が伝えること−」
091016〜1025 午前9時〜午後4時30分
(広報10月1日号参照)
一宮市博物館
特別展
牧進(まきすすむ)展
091010〜1129
名古屋市博物館
特別展
開山無相大師650年遠諱記念 妙心寺
—禅の心と美—
091010〜1123
2009年10月17日
感謝
疲れた時は感謝の言葉を口にしてみよう。
ちゃんと目を見て言うんだよ。
「ありがとうございました」
って、ちゃんと敬語でね。
「あんがと」とか「サンキュ」みたいなぞんざいな言葉はよくないかもね。
していただいた行為も口にしてみよう。
「○○していただいて、ありがとうございました」
ゴメン。なんか元気になってきちゃった。
2009年10月16日
梵字の画像の意味
祖父江がはじまったから、祖父江を上げないといけないのに、なんかこんな事をしてる。
いや、ネットサーフィンしてて、こんなサイトを発見。まあ、一度ご覧になって、気が向いたらこっちに戻ってきてください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1231479332
http://www.strapya.com/images/medium/43/43-908461_MED.jpg
浅学が講釈をたれるなとは言わない。それは、ツバを天に向かってはくようなものだ。人のことは言えない。
しかし、質問者! お前の疑問は解決してない!! まあ、他力本願(悪い意味で)なQAで、完璧な解答を求めるのがおかしいのか?
しかし! これは「アビラウンケンQS」の質問ではない! 「仏像鑑賞QS」の範疇だ!!!
「寶(宝)」を守る7体の仏像。つまり、七福神ではないのか? いや、逆に聞こう。ヱビスに種子があるのか?
ちょっと、本気になって種子をみてゆこう。
上から時計回りに「シ」「シリー」「ベイ」「マ」「マン」「ソ」「ユ」と、それといって字体がおかしいとも感じないのだが、、、(あの「オウム」よりマシ)
判るところから「ベイ」は毘沙門天。「マ」は大黒天。「ソ」は弁財天。と判るところに相反はない。
あとは、布袋、寿老人、福禄寿、恵比須。もう、こっからはアクロバティック。布袋は弥勒菩薩の化身とされるから「ユ」。寿老人と福禄寿は同一視されて、吉祥天を加える事もあるというので「シリー」は吉祥天。
やっぱ、恵比須と寿老人が残る。寿老人は南極星と習合するらしい。「シ」と「マン」。「マン」は文殊菩薩。なんか、知識つながりなんだろうね。
ここで止めるといい加減かな?
2009年10月14日
ヅラ
ああ、そうやって、だんだんと新しいミームが、お前に注ぎ込まれてゆくんだな。
オレのミームが過去のものになって、君の原風景のようなところに沈み込んでゆく。
ミームと原風景は、肉眼では判らないくらいに、ゆっくりと化学反応を起こし、一体のモノとなってゆく。
つまり、君の中に僕が産まれるというか、もう、それは君にとってソトではない、君自身。
なんか「比翼連理」ってこんな観念。
ん? 7回? 7回か、、、
すぐに気持ちよくなるよ♡
2009年10月13日
稲沢文化財研究所
「稲文研」って略語がいいよね。音だと「トウブンケン」だし、訓だと「い、なブンケン」だから、「エノケソ」の類だよね。
あんまいい名前つけても、名前倒れになってもしょうがないからね。5年前の轍は踏まない。
いや、祖父江・平和の編入で仕事は山積している。
地誌類の収集も必要だし、近世村絵図の解説図もカラーでしたいな。古城・古邸址もそうだし(勝幡城があるのか?)社寺の縁起の調査も必要なのか?(『祖父江町史』も『平和町誌』もあんまみてないな…)
什物調査は、さすがにうちの範疇ではない。
と、列挙してみて励起してみる。
2009年10月12日
digital museum
なんか、ひらめきひらめきでやってるのに、前のエントリーと、どっか、つながってるね。
The museum of INAZAWAもいいけどINAZAWA city museumの方が財産として残りそうな気もしてきた。稲澤市民(歴史)博物館とでも訳すのかな? まあ、名前なんてどっちでもよくて、デジタルの博物館なり、資料館が2ヶ所あるという事実の方が大切なんだろう。
デジタルの博物館で、短所というか、そのまま長所なのだろうと思うのだが、1点、指摘しておくべきだろう。
つまり、それは「仮想現実的である」という事だ。
博物館の展示の場合、まず第一に文化財的なモノが存在するという事が大切なのである。それを静止画なり動画なりに記録する。記録することにより次数が上がる、つまり、媒体化することにより現実のものとの乖離がはじまる。(なんか解りにくいな)
ようは、現物そのものをダイレクトにデジタルに載せることは不可能である。
逆にこのことは長所ともなる。不可視なモノを可視化できる可能性があるのだ。例えばリンクタグのようなもの。キャプションには現代語訳で史書・古典を引用して、原文をリンクする。「いきなり合成字」のように辞書をくるような作業を可視化できるのである。
まあ、実際にどのようにコンテンツとして生かしていくかは、これからの作業だな。。。
2009年10月11日
The museum of INAZAWA
「The museum of INAZAWA」の訳語は「稲澤文化博物館」になるのか? 英語はよくわからん。on digitalを附けて「The museum of INAZAWA on digital」
いや、なんでこんな事考えてるか? っていうと、そのうちこんな企画するというか、ネットサーフィンしてて「私設・稲沢市歴史資料館」というのを発見して、いかん先に名前をとっとかないとと思い立ったのである。
私設・稲沢市歴史資料館
http://sakuraoffice.com/shiryoukan.html
http://sakuraoffice.com/(楽苦我喜情報館 内)
内容はあくまで、、、と、内容を云々するのは止めよう。やっぱ、先見性というか、必要不可欠なものの熟知しているというか、どっかのトンチンカンなウツワを考えたら、その的確さは指摘しておくべきだろう。
まあ「トピックス」って、どっかで「稲澤文化博物館」の常設展示として意識してて、「QS(クイック・スタート)」ものを特別展とでも考えたら、羊頭狗肉? 逆だな、、、と自分で言うのはおかしい。
と、いいつつ「私設・稲沢市歴史資料館」みたいに多くのトピックスは立てられないな。。。
2009年10月04日
2題
その後、文化の日関連で、あづまぢリンク内をだいぶなぶったので、文字化けもある程度、大丈夫と思います。
近鉄に乗ってて三輪山のあたりで、ああ「山装う」という季語があるけど、万緑の濃い緑が翳る今のような山並みのことを「山装う」と言うんだよね、多分。
完全に山の木々が色づくのは、立冬を過ぎてからで「紅葉」とか「銀杏」って実際、どのくらいの時期に句作をすべきか考えてしまう。暖冬の影響でこうなったのか、もともと、季語自体が先取りになっているのか? と、こんな事を考えるのも三輪山の影響なのである。
去年、立冬すぎてからだったんだろうか? 山々が色づく頃、三輪山を、やはり車窓から見て、その山が常緑の山であることに気付く。なんか、霊性のあらわれを感じるんだよね。常緑の山だからこそ、三輪山は神の山なんだと思う。そこには人間の手が加わってる気がするんだよね。縄文人が植樹して弥生人が霊性を見いだしたのか、古墳時代の巨大なモニュメントなのか、もっと、新しい時代の作為なのかは判らないけど。。。
大阪市立美術館
道教の美術
なんかカップル見ると蒼き狼にみえて仕方がない。(いや、何かを探しているとか深い意味はないから)
ついつい「QSでどこまでいけるんだ!」みたいな、見方で見てしまっていたので、その広大な資料に圧倒されてしまった。音声ガイドが借りれなくて、自分で内容も反芻できなかったので、図録の力をおかりして、、、
(1)中国の道教、(2)古代日本と道教、(3)星宿・禅・民間信仰、(4)道教のひろがり
と、大まかに分けてみたい。
まあ、日本には道教の廟があるわけではないので、それは仏教で外典として取り入れられるか、神道と習合するか、仏教と習合した状態のものを取り入れるか、、、というような経路を経るものだろう。
そう言う意味では、今回はダイヤの原石が提示されたところ、というと、不勉強にも程があるのか? いや、とにかく集めてみるというアグレッシブさがいいよね。
と、北魏時代の尊像で単弁の祖型のようなものを見た。やっぱ、朝鮮半島経由だった寺院建築の技術が、中国からダイレクトに入ってくるような所で山田寺式系統を考えたい(すごくマイナーな考え方だろうな)ので、興味深い知見。
実際、QSがどの程度、太刀打ちできたのかは、みなさんの方が容易に判断できるでしょ。(どうもよく目があるから、、、)、、、でも、井蛙であると再確認するのは大事だよね。
橿原考古学研究所附属博物館
銅鐸−弥生時代の青銅器鋳造−
「弥生式窯業」なんてやると「そんなバカな!」と、すぐに否定されてしまうけど、青銅器鋳造の技術からいったら、やっぱ鋳物師(いもじ)的な職人集団を想定したくなるよね。と、いいつつ、検証実験はどの程度、専門家の知見を活用したのだろう? 専門家が1人いたとして、その指示をコピーするのようなカタチで、次の人にバトンタッチをしてゆく、指示を受けた人と、受けなかった人には、歴然と技術的な乖離があって、その乖離に対する畏敬から「職人」と区別する、訳でしょ。だから、職人いる、いないとか、ミームある、ないっていうのは、ただの言葉遊びに感じるのは、僕だけなんだろう。
まあ、一級の資料ぞろい(あれだけの鋳型、鋳型の外枠をみるのは初めてではないだろうか?)なんだから、そこから、何を想像するかは、みなさん次第なんだし、、、
石の鋳型、土の鋳型にも、はっきりとした利用上の区別があるようには見えなかった。そこに何らかの区別があったのか、なかったのか?
大阪市立美術館
道教の美術 TAOISM ART
090915〜1025
橿原考古学研究所附属博物館
秋季特別展
銅鐸−弥生時代の青銅器鋳造−
091003〜1123