防人と征夷
いや、今年1年何やったのか? と思って、今年の1月のエントリ見てたら、
「ああ、結局、ホッケな1年だったのか↓↓」
と、イヤになっちゃう。
防人のこと考えてて、防人の1人ひとりが感傷的なのは、先の大戦に対するアンチテーゼと『萬葉集』の影響だよね。
しかし、東国の軍事力がミヤコを通って、西国に向かうというのは、あるいは、東国の独自性を保つ、1つのシステムのように思えてきた!(いや、まだ、なんの下調べもしていないのだが、、、)
まあ、こんなこと僕が考えることではなくて、軍事史の専門家がやればいいことのような気もする。
つまり、東国の軍事力が「畿内」のクビモトを通って、西国に行くのだ。
いったい、こんなことが畿内から要請されたことなのだろうか? 東国から? 西国から?
逆に言えば、征夷大将軍は畿内の軍事力が東国を通るのか?
これも、厳密に誰の何の目的の要請で始まったのか? その位相の吟味は大切なことに思えてきた。
まあ、多治比氏のような氏族が征夷大将軍であれば、畿内の軍事力なのか、東国直属の軍事力なのか微妙になる。(多治比氏の位置づけは、そこで正しいのか?)
しかし、藤原氏が征夷大将軍になった場合、軍事力の移動だけで、一悶着あったことも簡単に想像されよう。
まあ、この辺も『白瑠璃の碗』の課題になってくるのか?
では、よいお年を、、、
2009年12月29日
『幻の王国・狗奴国を旅する』
赤塚次郎氏『幻の王国・狗奴国を旅する-卑弥呼に抗った謎の国へ』風媒社
別に向こうはαなんだから、こっちで宣伝することもないな、、、
「邪馬台国のお話といえば、お決まりの西日本を中心とした物語が定番だ。(中略)ではしかし、東海以東の東日本社会は無人の広野であるのか。そんなことはない」(p30)
なんか『芸能野史』より先に読み終えてしまった。
遺跡の全体的な評価から墳丘墓の被葬者を論じるのは新しいのではないだろうか? 考古学の最先端の手法のオンパレードだよね。
ハードカバーの装丁からすると学○社のあのシリーズを意識しているのだろう。そうすると読み込む上で注意すべき点は2点だろう。
(1)自分の知識を総動員して、内容が正しいかどうか吟味すること。
(2)この本がファーストインプレッションとなったときに、起こるであろう化学反応。(児童・生徒・学生にとって良書か?)
まあ(1)は普通の読解だろう。しかし(2)は、なかなか難しい。
あの『古鏡』や『古墳の話』を読んだときのドキドキ感。あれを超える良書に僕はまだ出会えていない。そして、また、僕は成長?して、あの時の僕ではないのだ。まあ、しかし、内容の新旧、入手のしやすさからいえば『幻の王国・狗奴国を旅する』を勧めるであろう。(『古鏡』の新版は実は図版がね、、、)
しかし、なんで古墳時代前期に入ったとたんに、こ難しい観念に入り込んでしまうんだろう? 案外、尾張に古墳時代前期の良質な集落遺跡が少ないのだろうか?
あとは、この本の次の時代を考えた時に尾張では青塚茶臼山の2人目の埋葬があるまで畿内的なハニワが採用されないのではないか? 白石氏のいう「畿内的要素を持った墳丘墓」が「古墳」なら、尾張には青塚茶臼山の2人目まで古墳はないのかもしれない。(タームの使い方が不適切なのかもしれないが、、、)それは、どの地域でも同じことがいえるのだろうか?
しかし、狗奴国が大和王朝に参画しているのに地元での、この冷ややかな態度は何なのだろうか?
ふと、その煮え切らなさが、あの観念なのかもしれないと思ってしまう。
RED LINE~for TA~歌詞
有り難い日蓮様のお導きを、いつまでも、大切にしてゆきたい。
あなたが儚く祈った祈りでも、
ほら、私が祈り返してあげるよ。
そしたら、その祈りは、もう虚しくない。きっと叶うから。そう、みんな同じ十字架を背負った迷える衆生。
ねぇ、あっくん。あなたは心を折らないで!
あっくんの見ている風景。それは昔、誰かが見た風景なのだから、、、
まあ、人間には信教の自由が保障されているから、そのことについてとやかく言うこともないだろう。
享受する、しないということと、それを「信じる」信じないは、厳密には違うことなのかもしれない。「信じる」という事には疑いがないから、、、
椎名広法の『最初の曇天』という著書があって、曇天は鎌倉時代の初めに活躍した浄土教系の僧。
彼の「信じる」という、原点が『唯信鈔』の中にあるという内容。
つまり、最後に信じるべきモノの如何であるとかというのが必要なのではなくて、最初に、信じると決めることの方が大切な気もする。という、設定。
2009年12月25日
The Goddess
なんか冷たい風が、ほほにあたるような、ステキなクリスマスプレゼントだな。
彼女の、
「もう、天神君専用の拡声器なんだから♡」
って、セリフが聴こえてきそう。
♪あなたの~~ことが~~ 忘れられない~~あたしは~~
みたいな、ねちっこい追慕を受けていると、
「もうあなたの事なんて知らない!」
という、あっさりとした拒絶というのは、逆に快楽である。
「逃れられない」というトラウマから解放される時はいつなんだろう?
別の話だけど、来年の2月くらいまで、日本の方はほっとかれるんだろうな。。。
2009年12月23日
σ値がないのはナゼか?
以前、どっかで疑問が出されていたが、14C年代測定の補正値の誤差の話である。
この話、実は「春成氏は特殊器台の専門家だから間違いがないだろう」というのは、1周して正しい。(専門家が正確な判断をするという命題の真偽は疑問だが、、、)
結局、形式編年と14Cのハイブリッド(クロスチャックにはなってないのか?)の年代決定である。(と書きつつ、5年くらい前の知見で書いているので日進月歩、新しくなっているのかもしれない)逆に言えば、形式変化とともに、あのナミナミが古くなっていたり、新しくなったりすればよい話になる。
σ値が、なぜないのか? という疑問だが、あのナミナミが富士山に見えるのか? という疑問である。
14C年代測定の補正値は、あのナミナミそのものに意味がある。14C年代測定の実測値は理論的なモノなので、富士山のようなカタチ(正規分布)をしていると仮定される。その富士山のような分布を補正することによって、あのナミナミは現れてくる。σ値は富士山の裾野の広がり(一般には肩巾)を示す値なので、あのナミナミが富士山に見えなければ、σ値を求めることもできないし、示す必要もないのである。
では、あのナミナミをどう見るか? 簡単に言ってしまえば「確率の雲のようなもの」といえないだろうか?(理系の人はいやがるかな?)
あのナミナミの高さを濃さ(高いほど濃い)と考え、その年代の幅で、実際にどこにいるのかは分からないけど、濃いところにいることが多いというようなものだろう。
もう、めんどうくさければ、文系の人向けに、あのナミナミを富士山と考えて、σ値を出してしまえばいい。平均値だって、時代幅の平均と確率の濃さの平均では平均値が異なる気もする。
つまり、この手法で注意しなければならないのは、14Cという理系的な方法で年代が決定されたのではなくて、形式編年という文系的な方法で年代が決定されていると言うことだ!(このことは誰も大きな声で言わない。な~~んでか?)14Cは形式編年に対して、具体的な年代を示唆しているにすぎない。
でも、まあ、この話聞いて、この手の話を信用しないというのも違うし、何も考えずに盲信してしまうのもよくない。
「リボソームの正体に迫る」
「ノーベル賞受賞! リボソームの正体に迫る」『サイエンスZERO』
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp285.html
もう10年も前になるのか、、、『パラサイト・イブ』という映画をテレビで見て「おお! 分子生物学やりたい!」と思ってしまった。そのまま分子生物学やってたら『生物と無生物のあいだ』はネットで無料配信されてたかもしれない。(ありえない、タラレバだな、、、)
そう考えると、独習の習慣というのは学校、出てから身についた習慣と言うことになる。図書館行って、やたらに文献をコピーするのは、やってたけど、それをあまり読んでなかった。ほんと資料を、なんとか操れるようになったのは最近のこと?(まだ操作の仕方が甘いのかも、、、)のような気がする。まあ、こんなところで謝罪するより、少しでも学術的に有用なモノを、1つでも多く出していくことが「あの時はスミマセンでした」「元気でやっています」という証なのかな? と、何でセンチメンタル。
リボソームは細胞内にあるタンパク質を作るところ、タンパク質がDNAから転写されたRNAの情報によって作られるのは、ある程度の人が知っていることだろう。
そのRNAを使ってリボソームがタンパク質をつくるシステムが見つかって、それがノーベル賞をとったという話。
リボソームの細やかな格好も分かってきたから、その構造からカギになる部分をふさいでやれば、タンパク質を作らない(つまり細菌が毒を出すようなシステムを作らせない)こともできるようになるという。
いや、ちょっと待てよ、天然物から単離された化合物なら他の部分でどのような働きをするのかも分かるかもしれないが、これからの新薬の構造って、逆に、人類未知な部分が多くはならないか? 例えば環境ホルモン的であったり、幻覚作用であったり、、、
まあ、サリドマイドに代表されるように、人類の大きな代償の存在があって、化学的な発展というのはあるわけで、、、
、、、やっぱ、文系はいいナ。
2009年12月22日
非高塚系古墳
古墳時代の中期の古墳って、松阪・宝塚のように1号が前方後円で、2号は前方部が萎縮する。(この萎縮を造出附円墳と呼ぶか、ホタテ貝式古墳と呼ぶか、やっぱ前方後円墳でしょとするのかは、言葉遊びだから今は保留)なんとなく、薄葬令のような上からの圧力を考えてしまう。(その端緒が『日本書紀』に描かれているとすれば注目すべきだよね)
それとは別で、造墓令ともいえる現象があるんだと思う。一般に「有力農民層」と呼ばれる人々の台頭。(雰囲気、ちと早いのか?)
具体的に言ってしまえば、尾張低地部では、海部の古道の古墳群(蜂須賀蓮華寺寺叢・南麻積富士社・込野築山)である。現状から復元できる模式図は画像のようだろう。言ってしまえば、ある尾張低地部(名古屋市内)にあるホタテ貝型の墳丘墓もこの類型だろう。
1段目と呼ばれるところはあるいは基壇と呼ばれる所かもしれない。しかし、現状目視だけで、それを限定するのには躊躇される。ここでは2段築以上の可能性があるとしたい。まあ、2段築目は富士塚としての改変が激しく、その途中に段築の存在するかどうかは特定しがたい。
周溝がどの程度の深さなのかは置くとして、1段目は地表面とさほど高低差がなかった可能性もある。造出部は1段目と同等の高さなのかもしれない。
まあ、ここで問題になるのは2段築目の高さだろう。富士塚に転用されていることから、ある程度の高まりがあったものと考えたい。(つまり「高塚系古墳」な訳だが、、、)しかし、この時代の比較的、規模の小さな古墳では墳丘を持たないものがあったことは、以前から指摘されていることである。
と、ここまで考えて、新聞記事のネット版を見たのですが、なんだ、切り合いか? 切り合いの検出状況は埋土の充填密度によって、どうとでもなるのは、考古学のいろはのいでしょ。それを記者に、うまいこと説明できてないよね。なんか、余計なこと考えちゃった。
2009年12月21日
紅白
「ねえ、『火と汐』って10回言って」
「えっ?(今時10回10回?)『火と汐』『火と汐』『火と汐』『火と汐』『火と汐』『火と汐』『火と汐』『火と汐』『火と汐』『火と汐』」
「(下唇に人差し指をあてて)そんなに、したいの?」
「うん」
「って、何をしたいの?」
「(ポッ!)うんん、なんでもない」
なんか、ここ5年くらいの中で1番楽しいクリスマスだ。
『つばさ』と『ウェルかめ』と『蒼穹の昴』の宣伝なのかと思ったら、なんか『ウェルかめ』だけらしい。でも、カナちゃん来そう♡
『蒼穹の昴』の映像が、いち早く見れると思ったのに、、、
http://www.nhk.or.jp/subaru/
なんか、細川氏と対でジョンガラ対決なのかな?
大陸史は苦手なんですが、なにか?
2009年12月20日
ツイッター
何が「音声ガイド元年」か? って話のなりゆきになってきたな。もう『稲澤文化博物館 準備室』だよね。
っていうか、あっくんが「なう」にハマりだして、
http://now.ameba.jp/akkunfutatabi/
「なう」ってようは、ツイッターでしょ? いや、、、なんか利用価値ないかな? どうも、あっくんは釣り鉤として使っているらしい。さあ、何がつれるんだい? 白○美帆?
結局、掲示板、使うにしたって、こういう使い方になっちゃうんだし、掲示板なりブログに比較的、短めの文章をまとめておいて、ある程度、まとまったところでWiki的なモノ(といいつつ、手書きhtmlが拡張性があって好き)に流し込んで、1章か2章足して、推敲して企画展的なモノになるというのが、もうウチのワンパターンだよね。
いや、なんで手書きhtmlなのかというと、やっぱケイタイで軽いというのがいい。「ホウネンエビの泳ぐ水面に」みたいにスタイルシート使って、PC対策すれば無敵だよね。
あとは「講演会なう」だよね。ネットブック持って行って、講義録をWikiにUPしてやろうという無茶な企画。主催者に「あのネットブックの持ち込みは困ります、、、」とか、言われそう。ファラデーだって最初の著書は講義録だぞ!
2009年12月19日
『真説・寅次郎傳』
寅次郎が、高校2年生の時、寅次郎の父親が亡くなる。
さくらは、まだ、小学校低学年。母親は、さくらを産んで、すぐに亡くなっている。
とらやは、おいちゃん、おばちゃんが住み込みで切り盛りにあたる。
そんな、ある日、寅次郎はとらやから家出をする。
自分とおいちゃん、おばちゃんの間に確執がうまれるのを恐れたためだ。
家財道具には、何一つと言っていいほど手がつけられてなかった。
しかし、寅次郎の懐に『日本の放浪芸』という文庫本が1冊だけ、隠されていた。
時は過ぎ、さくらは20代に。
テキ屋家業にどっぷりとつかった寅次郎がいた。
新しい旅先。テキ屋衆の集まる広間の戸を寅次郎が、すっと開け口上をあげる。
「ご当地の、お兄さん、お姉さん方、お初にお目にかかります……」
「そんな堅苦しいことは抜きにして、お前も、こっち来て飲めよ!」
奥の車座から声が聞こえる。
「お兄さん、せっかくの、お誘いではありますが、明日のシナの検討もございまして、今日はご挨拶だけ」
音をさせずに戸を閉める、寅次郎。小さくため息をつき、その場を後にする。
玄関、初老の男が上がりがまちに腰掛け、寅次郎をじっと見据えた。
「もう、ここじゃあ、あんだけ立派な口上を挙げられるヤツは、もういないな。だけど、兄ちゃん。気位が高いのは、この家業には向かないぜ。って、そんなこと本人が1番理解しているな」
初老の男は肩をすぼめニコリとした。寅次郎は深く頭をさげ、玄関を出て行く。
寅次郎は旅回りの中で、1人の男に出会う。年の頃なら、さくらより2~3歳上。テキ屋だが、どこか生真面目なところがあった。寅次郎、何を思ったか男をとらやに連れて行こうとする。
『国分寺瓦の研究』
梶原義実氏『国分寺瓦の研究-考古学からみた律令期生産組織の地方的展開-』名古屋大学出版会
おお! 1万円! ちょっとしたクリスマスプレゼントだな。論文集なのかな?
新聞広告に『平城京 別冊太陽』の存在があって、アマゾンで調べてたら、上記の本を発見。
便利な世の中になったモンだ。
2009年12月18日
クリスマス
「ただいま」
「おかえり、テツジ。ねぇ、ギュッとして♡」
「どうしたの? 鮎(なまず)恐い夢でも見た?」
「うん。ちょっとね」
「鮎、ゴメンね」
「えっ? どうして? うたた寝してる間に私の寝顔がカワイくて、チュッとしちゃった?」
「(自分で「カワイイ」とか言うか?)ああ、それも、そうだけど、、、」
「ダメ! 私に断りなくそんなコトしちゃ、、、雑誌みたいにカピカピになっちゃうんだから」
「えっ? そうぢゃなくて、恐い夢見てるときに、そばにいてあげられなくて、ゴメンね」
「ふふふ、そんなの、いつ恐い夢見るか分かんないぢゃん!」
「でも、、、」
「で、テツジ、どこ行ってきたの?」
「ああケーキ買ってきたんだ」
「私、ケーキ苦手だよ」
「いや、クリスマスだから、冬至に南瓜、食べるのと一緒だから、、、」
「なに? そのくくり、なんかロマンチックぢゃないねー」
「そうか? だからいいよ、1口、2口、食べれば、アレルギーがあるなら食べなくていい。あとは、僕とわんちゃんで食べるから、、、」
「で、何ケーキ?」
「イチゴショート、何号だったかな?」
「私、イチゴもダメ、、、」
「見た目がいやなんでしょ。咀嚼してあげるから」
「バカ! そんなクチャクチャもイヤ」
「モンブランのホールケーキもあったんだけど、クリスマスにモンブランというステレオタイプがなくてさ。。。ああ、「くり」」
「バカ! テツジ! 似てない!」
「ぢゃあ、食べようか? ローソクとか何本立てるんだろ?」
「私たちが出会ってからの年数で、いいんぢゃない?」
「そうか、、、」
「えっ、あの、、、テツジにプレゼントがあります」
「わぁ~~っ、な、なに?」
「ちょっと目つむって」
「うわ~~っ、ワクワクするな、、、」
「いいよ」
「えっ? なに? 首にリボンなんてつけて」
「えっ、プレゼントだよ。恥ずかしいから、私に言わせないで!!」
「えっ? 本当にいいの?」
「そう、今日だけは、あなただけのオルゴールだから、、、」
2009年12月16日
業務連絡
PVで、あっくんに対して、ああいう、ちゃかし方するんだったら、
a氏とa社で、保証するんだよね!
バカにするんぢゃないよ、お金なんて、ないくせに! ふふふ、、、ないくせに!
コンテンツ賞
なんやかんやと考えていると、あれもこれもとなってしまう、、、
『爆問学問』(NHK総合 火曜・午後11時)
今年の特展の企画やる前からある番組だし、ある意味、本1冊分を30分に収めているのだから、おもしろくないはずはない。しかし、理系分野は、僕がMCをした方が学術的におもしろくなる。(そういう意味なら、あのポストを狙っている半学者は多いのか、、、)
だから、その「おもしろさ」が太田氏の言う「おもしろさ」なのかは疑問だけどね。しかし、逆に言えば編集点を失うと言い換えてもいいのかもしれない。
極論を言ってしまえば、太田氏の理解が、そのまま「一般の教養」のレベルといえるのかもしれない。(その意味では内容ごとにMCが変わるのはおかしいのか?)
いや、ある意味、理系分野の研究って、存在理由を突き詰めていくと、どっか空虚になる。太田氏は、ときどき、それを突き止めようとしてしまうから、、、
なんて言うの? 大学レベルでも難しいのに、大学院レベルはもっと難しい。研究者レベルになれば、逆に孤独との戦いと言っても過言ではないだろう。それをひっくり返すと「存在理由が空虚」な理由になるのだ。
(別に学者が智にあぐらをかいているとか、太田氏がつまらないという議論をしているのではない! 補足まで)
『ダイアモンド☆日本史』(podcast)
この2つを並べてしまうと、何が何だか分からなくなる。
どうもJTのプロジェクトらしい。あのニワトリのコーナーも楽しい。
大学のポットキャストというのは、こういうのとも、わたりあわないといけないわけだから大変だな。
まだ、そこまで聞き込めてないので、今回はココまで。。。
2009年12月15日
苦手なキャラ
やっぱ「陛下のお気持ちは○○だ」はいただけない。相手を、おもんばかることは人間として必要不可欠だが、おもんばかった、その気持ちは相手の、それではないと言うことを注意しておかないと、大変なことになる。やめられない戦争とか、、、
マニフェストには書いてなかったのかもしれないけど、国王制について、どんなイニシアチブを持っているのか解って、みんな投票したんでしょ? 巨媒体が、それを知ってて、事実のみを伝えているのが、僕には正しいとは思えない。まず、この2つのキャラは苦手。(話の枕ぢゃなかったんだ)
いや、なんかお気に入りを言ったので、苦手も言うべきかな? とふと思ってしまった。
『GOEMON』の茶々は苦手。なんか、ジェンダーがそのまま服着てるみたいで、、、
それで全国ネットの朝番組の、あのアナウンサーが苦手なのか? 良識が服着てるみたい。
逆に、ジェンダーをかぶろうとしているのに、どうしても地がでるというのは、最強にカワイイ。(しまった! また好きだと言ってしまった)
2009年12月14日
『天上の虹(21)』
里中満智子氏『天上の虹(21)』講談社コミックスKiss 777巻
待望の21巻。時代は氷高、藤原宮子(聖武の母)、文武、多安麻呂の時代に、、、
多安麻呂には、僕も思うところがあるから、それは『白瑠璃の碗』を読んでくれ、、、って、まだ書き出してもいないよ、、、『白瑠璃の碗』の取材で、また、最初から読み込まないといけないなぁ、、、いや、先入観なく『日本書紀』や『続日本紀』を読むのも1つの手だが、当たりをつける資料として参考にするのは便利(と、ダメな研究者だ、、、)『女帝の手記』の多治比氏の記事なんかは、藤原氏に対するニュートラルな貴族として描かれているので、逆に利用しやすい。(普通に作品として楽しもうよ)
『氷輪』の最初の方を読むと、
天皇家の妻の家系をたどっていくと、持統、阿閇、氷高なんかは、蘇我の家系でみたいな言われ方をするが、やはり、天智・天武の天皇親政の中で育った純血種のように思えてならない。あとは草壁・文武という皇統をゆるがなくする、という使命感による対立? 時代はそれだけでは済まされない大きな曲がり角を曲がろうとしている。
だから、宮子に男子誕生という出来事は、彼らにとっては厳密な意味で喜ばしいことであったのか? 逆に紀皇女に対する嫌悪からの無策を描きたかったとすれば、それは成功しているのかもしれないが、もう少し政治的なギリギリ感が、あってもいいのかも?(って、ネタバレになっていないよな、、、忘れて、忘れて)
ちなみに『天上の虹』のキャラで、今、1番のお気に入りが紀皇女。なんで、ああいう、自分では手に負えないモノを好きになってしまうんだろう?
2009年12月13日
妄想
なんのかんので、50日も、ほっとかれてるぢゃないか!(「ほっとかれてる」と思う時点で横柄なのだが)
と、言いつつ、、、「契約」で日本語のメッセが制限されてる可能性もないわけではないし、、、
かくなるうえは、勝手に妄想してやる!
「姫(ひぃ)、あーんして」
「あーん♡」
「どう? 美味しい?」
「うん、美味しい」
「そうか、、、」
(なんか、美味いもの喰うときの顔って、エクスタシーの顔に近いんだよな)
「天神君、料理、上手いよね」
「違うよ、無農薬だから、味が違うんだよ」
「もう「味」なんて言わないで!」
「あっ! ゴメン。何て言うんだ? 無農薬だから、美味しいんだよ」
「GJ!」
「姫、オレはアイツみたいにオマエを手放したりしないよ」
「天神君♡ 私から離れていく人はみんなそう。ある意味、私を手放したの」
「大丈夫。オレがいる。もう、そんな悲しい思い、姫には、させないから、、、だから、いいだろ?」
今度、こんな事があったら、もっとえげつない妄想しちゃうんだから! ポンポン!
2009年12月12日
万歳
安城市歴史博物館
江戸後期の三河万歳事情
『私のための芸能野史』をカバンに入れて行ってきました。(『日本の放浪芸』『私は河原乞食・考』の3部作を、年末年始に読むのが、この数年のお気に入り)
ちょっと内容とは違うことを、、、
尾張万歳の縁起考えてて、長母寺・無住と唱門師に行き着くことになる。しかし、万歳の本文(ほんもん)を考えると「棟上げの言祝ぎ」であったり「真宗の極楽浄土へ導くモノ」、「神道系の七福神(だったか?)」と、唱門師というか、陰陽道へ行き着く題材があまりないことに気づく。この縁起と本文の内容の齟齬は、なんか構造のズレなんだよね。
ほかの芸能であれば、安倍晴明親子の『葛の葉』みたいなものを演目としてあげるものは少なくない。
あるいは土御門家との結びつきの神話が、縁起の唱門師と結びつく説話の構造を生み出しているのかもしれない。
あんま、せっかく唱門師関係の芸能としてフューチャーしているのに、あんまり声高に言ってはいけないことなのかもしれない。
安城市歴史博物館
歴博講座
江戸後期の三河万歳事情
091212(土) 午後2時~
2009年12月10日
譚詞
もう終わったことだから、思い出を書き足すことはできない。
現在が満たされてないから、思い出は色あせない。今、あっくんの夢、見てたの。
どうしてだろう。涙。解ってるハズなのに、、、
どんなに遠くても、あっくんのこと思ってる。「いかないで」「そばにいて」、、、そんな言葉、もう、あっくんには、きれい事でしかないよね。
この夕映え見てる? あの月影の下にいるの?
「あっくん、どうして? この構造から、解き放ってくれないの!」
ただ、独り、そっと、つぶやいてみる。この詞(うた)が、あっくんに届くといいな♡
すげえ! なんとなく、やっと『ネクストレベル』の意味が理解できてきたぞ!
アルバムの全歌詞意訳も、あるかもしれない。
2009年12月09日
アーチストの殺害
ジョンレノンの命日だから、それについて、なんか書けと言われて、、、
やっぱ、そういう追悼文は趣味ぢやないな、、、
ジョンレノンよりは、平山郁夫の方が身近。というと、なんか文化的背景が見えてくるかな?
「ジョンレノンが銃弾に倒れた」より「平山郁夫が事業仕分けに卒倒して倒れた」の方が、自分に身につまされるというと、分かりやすいか?
ああ、そうかジョンレノンは殺されているんだね。犯人の思想・信条は報道されているけど、それは犯人のキャラクタリゼーションをしているのか? と言えば、否だろう。
もっと、犯人に何がインプットされ、脳内でどんな化学反応が起こったのか? の方が興味深い。(こう書くと、白々しいか?)
こういう犯罪が起こると、どうしても「犯人は統合失調基質で、、、」みたいにいわれて、はたして正しいのだろうか?
例えば、寺山修司は作品の中で何度も自身の母親を殺している。しかし、彼は、その母親と同居していたとも聞く。犯罪が起こらない、けど寺山修司の体内での葛藤は確かにあったとすると、それは健全な精神だったのだろうか?
そういえば、僕もあるアーチストを殺しているんだった。何度、殺してもアイツは生き返ってくる。何度も何度も、、、
誰かに、そのアーチストについてどう思うか聞かれたら、僕はこう答えるだろう。
「ああ、彼女は、僕の母親のような存在だよ!」
そういえば、そのアーチストも恋人と別れたとき、
「恋人という存在から「家族」のような存在に昇華したんだ」
と、いっていたな。「殺してやりたいくらいに憎い存在になった」って意味にもとれるよね。ただ「金に困ったら、まとわりついてくる存在になった」と言っているようにも思える。まあ「家族」という概念は幻想の一領域だから(「対幻想」は使わない。対幻想と呼ばれるところは、個幻想と共同幻想に弁別できるはず。だから「「家族」だったら○○だ!」は存在することになる)共同体ごとに違うし個人ごとにも違う。
逆に言えば、リアルに殺してしまえば、一度きりだけど、観念の殺人は、その構造がなくなるまで(あるいは、なくなった以後も?)何度でも、何度でもできるから、それは「恨み」が深いのかもしれない。
まあ、余談だけど、現実的に殺人が認められるというか、有意義な殺人というのは(ジョンレノンには殺される意味はないと思う、オノヨーコ氏は否定するかもしれないけど、、、いや、犯人が有意義であったか? と言われれば、それは「すごく無駄なことをした」と言ってあげたい)自身の自身による殺害と「子孫を残さない」というネガティブな殺人。誰かの受け売りなんだけどね。。。
2009年12月06日
補遺
まあ、江戸時代から現代(大正期)までの古物商の身体検査をおこなったら、たいてい、グレーというより黒なんだから、現物を見て、形式学だったり、金石文学で整合性があるとかないとか、、、結局、鑑定眼なのか、、、
いや、話のなりゆきで、聖徳太子云々になったから「聖徳太子はいた説」を少し書いておこうか? 以前、書いたんだっけ? まあ、いいや。
結局「聖徳太子はいなかった」という説は、藤原不比等の『日本書紀』編纂に対す評価の話だから、発端は梅原猛氏の3部作にいきつく。法隆寺は聖徳太子鎮魂の寺とする『隠された十字架』、記紀神話論『神々の流竄』、柿本人麻呂論『水底の歌』が3部作。
『神々の流竄』の藤原不比等の活躍から「聖徳太子はいなかった」に発展するのなら、『隠された十字架』の存在理由がなくなって、3部作が成り立たなくなる。そのことに気づいた梅原氏は『聖徳太子』という大著を、その後なしている。『聖徳太子』の手法は、その後、梅原氏の法然論『法然の哀しみ』に受け継がれているような気がする。
「聖徳太子はいなかった説」は、すでに多くの研究者に受け入れられているので、まあ、これからの話は、マイノリティーの意見である。
とりあえず『日本書紀』に登場する「聖徳太子」の存在に嫌疑がかけられているので、『日本書紀』を用いない。
用いるのは、
「聖徳太子が不思議なありさまを示された話 第四」『日本霊異記』東洋文庫と、
「四一五」『萬葉集』である。
同様の内容が「推古二十一年十二月条」『日本書紀(四)』p126に記されている。
まあ、『萬葉集』も『日本霊異記』も『日本書紀』以後の作品であるので、『日本書紀』からの引用も考えられるだろう。しかし、中で歌われる歌謡が、それぞれ異なる。このことは、『日本書紀』を祖本と考えるより、3本に共通の祖本を想定した方が合理的だと思われる。ここから、『日本書紀』で作り上げられた「聖徳太子」像、以前に、庶民にあまねく認識される〈聖徳太子〉像が存在したことを意味しているのではないだろうか?
つまり、『日本書紀』に記される「聖徳太子」は過去にいた聖人(せいじん)を任意に誇張したのではなく、庶民に認知された〈聖徳太子〉では、なくてはならなかった! ということでは、ないだろうか?
では、その説話の内容に入っていこう。
『日本霊異記』では、聖徳太子が片岡村で病気で伏せた乞食をみつけ、衣を与える。太子が引き返してくると衣は木にかけられていた。その乞食が他所で死んだ。太子は死者をまつった。後に使いをつかわすと、墓の入り口に歌が書かれていた。「聖人は、聖人を知り、凡人には分からない」ものだ。
この話の構造を取り出せば、「身分の卑しい者の真価を見極めた」とは、ならないだろうか?
これは、「冠位十二階」の構造に他ならない。
つまり、「冠位十二階」の業績をたたえるために作られた説話ということはできないだろうか?
あるいは、蘇我馬子あたりが、自身と浅からぬ血のつながりがある聖徳太子を自身と一門の看板とするために、この説話を作ったのかもしれない。
厩戸皇子に対して思いを巡らすこと、〈聖徳太子〉信仰は、厩戸皇子の生前から存在したのではないだろうか?
少なくとも『日本霊異記』などの典籍をみるかぎり、「冠位十二階」は聖徳太子の業績である(業績と考えられていた)ということになろう。
結局、聖徳太子いた、いないって、馬子と太子の力関係の強弱だから、、、
2009年12月05日
大賞!
さあ、いよいよ大賞の発表です。
さあ、大賞は、今後の展示の期待も込めて、
『日本瓦の基礎知識』(高浜やきものの里・かわら美術館)
です。
有名所が出たり、お金かけた展示は、別にウチで評価しなくても、他所で評価されるだろう。しかし、機転をこらした展示や、館蔵品を新たな視点から見せる展示の評価は、ウチの得意とするところ(?)なので、、、まあ、やっぱ、『美濃の古瓦』は、見たいところですね。といいつつ、『美濃の古瓦』が見れないのは、ウチの怠惰のせいでは? という話を、、、
隋様式として山田寺系統の重圏文単弁瓦を考えてて、その隋様式の国風化として坂田寺形式の素縁単弁瓦を考えている。山田寺形式が、天智朝の瓦だから、その後続の坂田寺系統は、壬申の乱前後の瓦と考えられると思う。
だけど、坂田寺の瓦と奥山廃寺の単弁の前後関係は、もう少し坂田寺の精査が必要かな?
いや、ある意味、壬申の乱のレクイエムとして国風化された単弁瓦が生まれる気もする。
同様に、パルメット文も、重圏文を持つことから、天智朝の瓦だと考えてて(これは当たり前か、、、)666年という記年は、その年代と相反しない。
あの弥勒菩薩を考えるときに、薬師寺の尊像はものさしになるだろう。
主要な金銅仏は本薬師寺から移転していると考えていて、聖観音は足の所の左右に広がるヒダが飛鳥様式を残しつつ、その肉付きは白鳳期の、それに近い。金堂の薬師三尊は、白鳳期、つまり、天武・持統朝の段階で造られた、初唐(並行)の末的な尊像だろう。
そこに、弥勒菩薩を当てはめると、半跏思惟という形式は飛鳥的な要素で、白鳳的な肉付き。これは、記年の666年と相反しない。
逆に言って、大正期に弥勒菩薩が新造されたとすることは、当時の形式学から言って、ありえないと思う。野中寺、もしくは、その周辺に弥勒菩薩像は伝世していたと考えたい。
銘文のみを大正期に刻んだとするのも考えにくい。やはり、この菩薩像を「弥勒」と認識するのは大正期では早すぎる。大正期であれば「救世観音」と刻むのが妥当であろう。
逆に大正期に銘文を刻んだとすれば「中宮天皇」は「推古」を指すと考えられ60年前の606年の作となり、銘文が後補であることは、あきらか。
「推古」であれば、なおさら「救世観音」としないことの不自然さは顕著になるだろう。
まあ「栢寺」が何を指すのかは置くとして、弥勒像・銘文とも、当時のモノと考えた場合「中宮天皇」が誰を指すのかは気になろう。
「宮」が「大兄」の異体字とも考えられるのかもしれない。しかし、666年は天智称制の時期で「中大兄皇子」は天皇ではない。また「中宮」は「皇后」に並ぶ天皇の后の称号で「中宮天皇」は女性を指すとも考えられる。
あるいは天智の妹、天武の姉である「間人皇女(はしひとのひめみこ)」を意味するのではないだろうか?(詳しくは『天上の虹』白村江の戦い前後参照)
間人皇女は孝徳の皇后に当たる。
また、天智朝で「天皇」の称号を使うことにも、違和感があろう。
しかし、この時期の対外情勢を考えたい。白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れ、天智は内陸の近江・大津に遷都する。対外的に「天皇」のような強い字面を使えない時代だと考えたい。
しかし、法隆寺金堂の尊像の蓮華文を見る限り、単弁の隆盛の時期(隋様式期)に、その造仏のピークを考えたい。舒明~天智朝の段階で焼失以前の造仏の可能性がある。(あるいは造仏にかかわる鋳造の火の気により伽藍が焼失しているのではないだろうか?)
法隆寺の釈迦三尊、薬師如来の光背銘も舒明~天智朝の作と考えられるのではないだろうか?
まあ、「日下(ひのもと)」「天皇」のような用字は、すでに聖徳太子の時代に存在したと考えたい。
それが、天智朝の段階で自粛されるものと考える。
まあ、とりあえずアウトラインだけ、、、
「You were...」
ねぇ、あっくん。
今も、覚えているよ。
あなたの語った夢。
(@^ω^@)ドゥルルル、、、忘れられないよ。。。ねぇ、あっくん。
もう、1号がいるんだもんね。
あなたなら、なんて答える?
「私は何を思えばいいの?」でも、、、まだ、忘れられないの。
まさに神曲。あっくん、なんて答えるんだい?
「ちなみに浜崎あゆみとメル友のあゆは別人です」
なんか根拠のある発言なのだろうか?
「エルメスのバック」って、普通に気になる。
2009年12月04日
智のもつれ
「ねぇ、私はアナタを「男」にしたいの! だから、今は、目をつぶって」
変なの、上半身がそんなこと言ってきやがった。
あとは大賞の発表だけだな、、、と思ってたら、コンテンツ賞を思いつく。
『ブラタモリ』(NHK総合、木曜 午後10時)
映像コンテンツというか、動画コンテンツの強み。
地図と地形をリンクさせて表現するというインタラクティブ。
坂道と暗渠(あんきょ)から見えてくる、東京という都市。
逆に『空から日本を見てみよう』(テレビ東京系列、木曜 午後8時前?)は、ネット地図を動画化したコンテンツで、動画という事がカセになっているのかもしれない。
(まあ、地図繰れない人には、便利な番組)
と、考えてて、『坂道美学入門』があって『アースダイバー』があって、その間に『TV見仏記』があって、『ぐっさん家』があって『ホトチャンネル』『ゴリ夢中』、、、ああ『旅してゴメン』、『ご縁です』『そこ知り』、、、
なんか、名古屋に旅番組が多いことを気にするタモリ氏、と、言うのは、ぐるり一周しているようにも見えてきた。
『アースダイバー』『TV見仏記』の辺りで、僕の智の大系がもつれ始めたんだナ。
2009年12月02日
巨星、落つ
なんだ、虚勢乙って、励起しすぎて卒倒したとかぢゃないよね。
巨星というか、保守王道、太陽だよね。
なんか、あのぼんやりとした筆致が、あまり好きではなかったんだけど、NHKの特番みてたら、すごく精緻なデッサンをしていて、ああ、勝ち取った筆致だったんだな。と、改めて認識する。
なんか、東山魁夷の「次の人」みたいなイメーヂがあって、2人に対して失礼な認識なのかな?
文化財保護の活動にも造詣の深かった人なだけに、その欠落を補うのは大変なのかな?
『歓喜する岡本太郎』(四日市市立博物館)
『没後40年 レオナール・フジタ展』(松坂屋美術館)
ピックアップした今年の特展は、上の2つで以上。
最後に残った、論じるべき事は「巨星と特別展」。
なんで、すごく今を生きているんだろう? と思ってしまう。
いや、「ビックネームは、それだけで集客力があるだろうから、「巨星と特別展」というスタンスで、もう考ええることはないでしょ?」
はたして、そうだろうか?
藤田嗣治の認知度って一体どのくらいだろう? 1%~5%という所ではないだろうか?
以前指摘したが、1億の1%は100万である。フジタのポストカードが100万人に届いているだろうか?
その点、岡本太郎は安心できる。CMに出ていたから。
「グラスの底に顔があったっていいじゃないか!」
しかし、岡本太郎 = 「グラスの底に顔があったっていいじゃないか!」は、認知していることになるのだろうか?
だから、今日のニュース見てて、
「もう、言葉になりません」とか、
「惜しい人を亡くしました」なんて、
たとえ50%の認知度があったとしても、その認知されていない方を棄却して、本当に中立な報道なのだろうか?
なんか、こう書いていると、言葉遊び、というか数字を並べて幻惑してるように見えるだろうか?
そうそう、これも今日のテレビの話。「事業仕分け」にかこつけた企画で、目に付いたモノに「事業仕分け」してみようというような企画。「迷走地図」と何が違うのかと思うが、そこには悪意が見え隠れするね。
「おもしろい」と思わせるのはいいが、朝から「けしからん!」と思わせるのが正しいのか? バラエティーもいろいろよね。
いかん、話がそれた。
ある博物館の話。もう「周辺住民の50%が必要ない」ものなのだ、そうな。
(上の試算がまんざらでもないって事だと思うよ)
なんかひどいこと言ってたな。
「あんなヘンテコなモノがあっても見に行かないし、一体、あれが何なのかも知らない」
ある遺跡に浴びせられた罵声と、そんなに変わらないんだよ。
つまり、文化事業に対して、50%以上の好意(認知では不十分)がなければ、プロパガンダ的に「事業仕分け」されてしまう可能性も0ではない。
つまり、お前が、どんだけ重要な1人かって、話だよ!
いや、、、その、、、同じものが好きなんだから、仲良くしようねって、もう、おそい???
2009年12月01日
博物館のアプリ
『江戸っ子が見た三河万歳』(安城市歴史博物館)
『トリック・アートの世界』(豊橋市美術博物館)
なんか、これでもか! ってくらい我田引水で、いいんだろうか?
もっと、展覧会の構造に根ざして、評価していくべきなのかな、とも思いつつ、今年はこんな感じ。
今回は「博物館のアプリ」、街中にしたって、デジタル上にしたって、博物館は、そこに厳然とあるわけで、一次元的には博物館は、資料の収集と分析をおこなえばいい、ということになる。
蓄積された情報を、二次的・三次的に活用するにはみたいな話。
まあ、いいや書いちゃえ、「御鍬祭り」というのがあって、60年に一度の祭りらしい。もう、何をどうしたらいいかという「古老の話」もなかなか聞けなくて、教育委員会や博物館に問い合わせがあったそうな。民俗というもののアーカイブスは、そんな活用もあるんだなあ、という話。
巡回展と単館の展示で、予算的にどっちがどうかってのは、まあ、内容によっても違うのか、、、そういう、台所事情みたいな事を、もっと勉強しておけばよかったと今更思う。まあ、こっちは今後のテーマだな。