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2010年04月30日

ハマヲタがエリカ様移籍を感謝しない件

 どうして、ああも無自覚なんだ? もっと社長に感謝すべきだろう。
 そもそも、エリカ様の移籍の利益を一番に享受するのが、ハマヲタ自身であることに気付いていない。末期症状だよね。
 よく考えてもらいたい。安室氏~ゴマキ、ガルネクがどこに所属しているか?
 そして、彼らの過去の影響力というものを、、、
 歌姫というマーケットが厳格なヒエラルキーを持っているのは明らか、そして、そのヒエラルキーを担保している組織・構造を考えたら、ハマヲタは、誰に何を感謝すべきか判るだろう!

 やっぱ、「ゆとり」って、、、

2010年04月29日

媒体としての氏

 耳が悪いのか滑舌が悪いのか、最近歌詞が聞き取りづらくてね。「きめられたルール」とか「きれいな足跡」とかの「た」の後の「ル」とか「き」の後の「れ」とかが「ら」に聞こえる。口を大きく開けた後の、少しすぼめる音なんだよね。歯のかみ合わせがうまいこといってないのかな?
「Last Links」


本当に この星に〈愛〉は残っているの?
だけど 続けないといけないんだね

「Don't look back」

どうして、今が1番ぢゃないの?
どうして、過去はあんなに、まぶしいの?
でも、どうして、進むべき道は決まっているの?

 なんか、こう並べると相似に見えるでしょ。氏の映像表現の中で、媒体としての〈浜崎あゆみ〉に対して、傷つけるような行為が目立つんだけど「Don't look back」は、さすがに飽きたという感じ。
 極初期から〈あゆ〉と〈浜崎あゆみ〉がいて、、、という話は、氏の話の枕なんだけど、結局、媒体としての存在と、個人的な存在が乖離しているという状態を演出したかったんだなと今は思う。
 まあ、ツイッターって媒体が氏の思考スピードに適しているのか?(普通、10万人の話はいっぺんに聞けない)という問題はあるが、その受け答えは、凡庸そのものだ。これも「普通です」を強調する商法なのかもしれないが、それ以上の凡庸さを感じるのは筆者だけだろうか?

2010年04月28日

レトリック

 なんなんだ? 鼻血、出したおっさんがカワイかったってなんの報告なんだ?
「count down」


 私には何の感情もない。無表情。
 さあ、終焉の開始よ。

〈病理〉にとって「終焉」も「開始」も禁句である。それをあたかも「どん底」という概念から、その対比の「シャングリラ」を提示して、「シャングリラ」→「どん底」そして、そこからの浮上という一見技巧的な構造でオブラートにくるんでいる風というのが、なんか鼻につく。
 現状からの逃避というのが〈病理〉にとって不可欠であることを利用して、スパイラルに苦しめているのだ! 〈病理〉について記号としてしか知りようのない〈過去〉ならまだしも、研究対象にできるくらいの情報があふれている中で、このような言動が、はたして節度あるものとして許容されるのだろうか?
 それにしても、ツイッターはじめて、つぶやきかければ、いいようなものだけど、なうで楽しんでるね。もう、それほどでもないのかな?
「meaning of Love」

「あなた」を〈あなた〉と思っているのは
きっと 私の心なんだね
だって〈あなた〉の具体的な姿って想像できない

 構造的に相反でフィルターをかければ、このような歌詞が生まれるだろう。別にそこにリアリティーがなければ問題ないのだが、その男の表情って、彼女の歌詞の常套句だろ? 案外、そこにリアリティーを求める人間も少なくないのでは?

2010年04月24日

インスト曲

 今、たまたまテレビつけたら、子供が縄跳びしてるの。なんで、こういう番組に、児童福祉の管轄が待ったかけられないんだろう?
 そりゃ、ハタから見たら、美談とかガンバったねってってレベルの話だろうけど、その対応は無責任すぎないか?
 番組内容そのままだから、どの程度、客観性があるかは置かないといけないんだけど、手を痛めたり、ノドをつぶしたりしてる子供がいるんだよ。そりゃあ、何重もの「大人の判断」というのがあって、OKなんだから、OKとして見なくちゃって話なのかもしれないけど、1時間か2時間の番組で、その子の将来、潰しちゃうかもしれないんだぜ。
 アイドル歌手が、あ然とした顔で「ガンバレ」とか言ってるけど、どっちが頑張らないといけないんだか。
 なんか、1社提供みたいだけど、そのような児童福祉の見地からのアセスメントがなされたのだろうか? 後で問題になれば、担当者どころか、その企業、そのものがダメにならないか? この不景気なご時世。
 たぶん、本当に問題のあるような映像は、放送されないんだろうし、そう言う意味でお蔵入りになった映像・タレントは天文学的な数字なのかもしれない。
 だけど、それでバラエティー番組はいいのかね。バラエティーだよ。娯楽だよ。
 いかん! 枕が長くなる。わかった、背伸びしすぎた「マイクロホン」の意訳から始めたのがいけなかった「この地球(ほし)以外に高等生物はいないわけで、この地球の音楽と出会うのは必然だった」なんて、大層な。もし、それがそうなら、こんなアポトーシスにならないね。たぶん。
 ああ、長ったらしい。「THE introduction」は「マイクロホン」のイントロなんで、楽曲として成立していない。ともすれば「マイクロホン」のイントロのパイプオルガンもインストに入れてしまってもいい。ジャジャ、ジャン。ジャジャ、ジャン。からでも「マイクロホン」の荘厳性には変化がない。「montage」は、いい名前がついてるね。例えて言うと、鯛の頭に鮃のしっぽがついてて、CGだから違和感なくみれてるという感じ。もちろん、いい意味で。釣りしてて、そんなんが釣れたらどうだろ?「Jump!」は、すごくいい。この尺ならアルバムに20曲くらい入るから20曲、入れたら、売れるね。たぶん。
 光トポみたいな脳波を計測できる機械が発達すれば、その時の気分にあわせて「Jump!」的な楽曲が自動生成されるようなシステムも、もう、ドラえもん的ではないだろう。ゆくゆくは、気分や性格に合わせてアーカイブスの中から楽曲が選ばれてゆくのかな?(それって、どっかの映画の原案だな)
 氏のアルバムというと、「インストはいらない」的な発言がよく為されるのだが、はたしてそうだろうか? 少なくとも『ロクサカ』に於いては、それはないだろう。

そんなプロデュースもあったのか!

そうか。よく見ると2食分だよね。
キャベツの酒蒸しなんて、温め直したら美味しくないし、2人で食べたんだろうな。
料理ができたことに対する喜びようからして、香辛料の類は自分で使うものではないのだろう。とすると、いつもは作ってもらってるのか!
なんで、こういう図像学を、みんなしないんだろ? 暗黙に、みんな思ってて、微笑ましく見ているのだろうか?
「今日はこんな料理にしてみたよ。美味しい?」
「うまうま」
「「うまうま」うただきました」
とか、やってるんだろうな。

べっ、別に、うらやましくないんだから! いや! 今、こっち見ないで!!!

2010年04月22日

あっくんのモトへ

そっか、あっくんの所に行くのか。
もし、あっくんに逢ったら、よろしく言っといてよ。
あっくんの思いがムダにならないように、いつも見ているヤツがいるって、ネ。

いいな東北。「かまくらクライシス」も『白瑠璃の碗』も、東北がカギになるんだよね。
平泉、多賀城、、、

ま、楽しんでおいでよ。

2010年04月21日

核心3題

 まずは、歌詞の解釈学から、、、
「You were...」


 ねぇ、あっくん。
 今も、覚えているよ。
 あなたの語った夢。
 (@^ω^@)ドゥルルル、、、忘れられないよ。。。

 ねぇ、あっくん。
 もう、1号がいるんだもんね。
 あなたなら、なんて答える?
「私は何を思えばいいの?」

 でも、、、まだ、忘れられないの。


「夢」であるとか「口ぐせ」とか、もろヒットしてるんだよね。宛てずに、本当に、このような歌詞が書けるのだろうか? と思ってしまう。

「BALLAD」


 もう終わったことだから、思い出を書き足すことはできない。
 現在が満たされてないから、思い出は色あせない。

 今、あっくんの夢、見てたの。
 どうしてだろう。涙。解ってるハズなのに、、、
 どんなに遠くても、あっくんのこと思ってる。

「いかないで」「そばにいて」、、、そんな言葉、もう、あっくんには、きれい事でしかないよね。

 この夕映え見てる? あの月影の下にいるの?

「あっくん、どうして? この構造から、解き放ってくれないの!」
 ただ、独り、そっと、つぶやいてみる。

 この詞(うた)が、あっくんに届くといいな(ハート)


 この歌詞で問題なのは、構造からの解放を訴えていることで、実は、そのような内容は一部の人間の反社会性を引き出さないだろうか?

「RED LINE~for TA~」


 有り難い先達のお導きを、いつまでも、大切にしてゆきたい。

 あなたが儚く祈った祈りでも、
 ほら、私が祈り返してあげるよ。
 そしたら、その祈りは、もう虚しくない。きっと叶うから。

 そう、みんな同じ十字架を背負った迷える衆生。

 ねぇ、あっくん。あなたは心を折らないで!
 あっくんの見ている風景。それは昔、誰かが見た風景なのだから、、、


「祈る」は「信じる」行為そのものを指している。信じれば、その祈りは叶う。その確信が、このような歌詞になっている。まあ隠喩的になんだけど、、、

 まあ、popミュージックなんだから、二人称がいて、一人称が二人称に何かを求める、あるいは、与えるという構造は陳腐と言えるくらい一般的なのかもしれないが、それが、ある種の現実とリンクしてしまっている場合、特殊な環境の下にあれば健常な人間でも〈病理〉的な行動をとってしまうかもしれない。このようなことを全否定できるのだろうか?
 ビデオクリップで特に注目されるのは「BALLAD」であろう。
 沢山の送られない手紙は、閲覧されないブログのように見えるの筆者だけではあるまい。「閲覧されないブログ」と表現した瞬間に、そのブログは閲覧されているという不思議なパラドクスを含むことになるのだが、、、いや、宛てて描いてるとしか思えないんだけど。。。

2010年04月19日

あきた!

 なんか書いてても、心に澱が残る。ガルネクの場合は、批判したら、批判しただけよくなるだけの、バネというか伸びシロがある気がする。浜崎氏には、それがないというか、誤解のないように言えば、その方向へ浜崎氏が伸びることを筆者があまり期待していないのだ。
 氏は、もう音楽媒体というものにとどまらずに、もっと体系的な局面に立つべきなのではないだろうか?
 そのためには、あの企業も変わる必要があるように見るのは筆者だけだろうか? 現在のあの企業、あるいは音楽界の「歌姫」的なセクションというのは、浜崎氏を頂点にした、ヒエラルキーの構造をとっていはしないだろうか? それは、ガルネクについて触れてみることによって如実に実感できる。
 しかし、そのヒエラルキーの構造は、氏に対して莫大な負担を強いているように思えてならない。ピラミッドの頂点が沈下すれば、その分だけ「歌姫」というマーケットが萎縮するのだから、、、
 そう考えたときに、氏にどれだけの伸びシロを設定しなければならないか? それはネットの普及による音楽需要の縮小とは別の次元ではあるが、真剣に考えなければならない問題のように思う。
 かといって「ファルスの哀しみ」のやっていることは、どうも個人的な恨(はん)の燃焼にしか思えてならない。そう言う意味で、この問題を論じることに飽きてしまった。
 と、このくらいヨイショしとけば、続けられるな。

2010年04月18日

〈信じる〉の解釈

 いよいよ各論に入っていく訳だが、「Sunrise ~LOVE is ALL~」「Sunset ~LOVE is ALL~」から始めたい。
 今回行うことは、ようは歌詞に対する「誤解」に近いものの抽出なのではあるが、少し歌詞の解釈について言及しておこう。
 浜崎氏の歌詞の中で〈信じる〉というのは、独自の意味が付加しているように思う。それは〈信じる〉という行為に対して、信じる対象に見返りを求めるのである。つまり「信じさせて欲しい」は、信じる対象に「信じるに足る見返りが欲しい」という意味になるのだ。

ねぇ、あっくん。そばにいて、見返りをちょうだい。
もっともっと〈愛〉を、あっくんに届けたいよ。ひびかせたいよ。

 というのが、両歌の大意となろうか? まあ単数なのか複数なのかは疑問が残るが、二人称が登場し、二人称に一人称が〈愛〉をあたえたいというような構造を、相反の心理状態を表す文句をはさんで、相反を打ち消しているような、、、
 ビデオクリップについても言及しておこうか、天気図が読めれば、1時間待つ必要があったのだろうか? 「待ち」の文化というのも、普通になってしまうとなんか、考えもんだよね。

2010年04月16日

〈あなた〉は「音楽」

「Microphone」の〈あなた〉は「音楽」ということで、、、
 ガガ氏が「テレフォン」歌うのに、「作品未定」ってどういう事? 「Sexy little things」を当然、歌わないと、、、って「Microphone」なのか? 意味不明。
 ああ、くまちゃんの「Microphone」の〈あなた〉はリラックマなのか、、、すると、僕にとっての〈あなた〉は、、、と明言は避けておこう。
 オフィシャルには「Microphone」での〈あなた〉は「音楽」ということになっているけど、音楽の享受ということは、そう単純な話ではない。
〈あなた〉が「音楽」だとしても、トポロジー的に「音楽」と「あっくん」が同位相にいた場合、〈あなた〉は「あっくん」でもあるわけだから、、、
 一見、〈あなた〉を「音楽」と表明する事は、〈あなた〉が「あっくん」ではない必要十分条件のように見えるが、実際は必要条件ではあるのかもしれないが、十分条件を充たしていない。
 それよりも歌詞の中で〈あなた〉に対して「その存在感には、逆らえず、敬うことしかできない」と表現していることである。これは〈あなた〉が絶対的な存在であることを意味する。
 このような楽曲を享受する場合、とくに〈病理〉的な指向のある場合における享受側の〈心的現象〉の象を、いかように想像するべきであろうか?

2010年04月15日

開催趣旨

 これいいね。
http://www.youtube.com/watch?v=OgtS1Fn-l7w
 東方神起はあんまり聞いた事ないけど、これはK-Popちっくなアレンジだよね。ドンドンドン、、、って、低音のアレがいいんだよね。
 まあ、ああしろ、こうしろは言ってないでしょ。こういう選択肢もあるし、こういう可能性もある、でも、それだけは辞めてってだけで、、、その「辞めて」だって強いているわけではないし、、、
 たくさんある可能性の中から、自分でコレとコレを選択して、現在というのがあって、その現在の中で、僕はできうる事をしているだけだから、文句があるんだったら、自分でしたコレとコレを責めなよ!
 と、訳のわからない事を言いながら、、、
 世の中には、いろいろな人がいるもので、現代のネット社会で、そのような人々の生活を垣間見れるようになった事は、はたして幸なのか? 不幸なのか?
 いわゆる〈病理〉と呼ばれる、人々がいるんだわね。
 あっくんであったり生史君であったり、三浦朋春氏であったり西村典弘氏であったりとか、、、あげ出すとキリがないか?(まあ僕は医学関係者ではないので彼らを〈病理〉と決めつける事も、〈病理〉ではないと言う事もできない。存在するのはカテゴライズできそうな集合としての個人である)
 管見〈病理〉というのは彼らの精神構造に潜む病魔ではなく、彼らの精神構造と現実の間にある乖離(ようは精神構造によって日常生活に支障をきたしている状態)が〈病理〉的であると思うんだ。つまり、彼らの精神構造の中にも〈心的現象〉が起こっていて、一般に言われる「壊れた状態」ではない気がするんだ。だから、一般に言われる「心の中で起こった事と現実の区別がつかなくなる」というのも違う気がするんだ。(〈病理〉の具体的な説明を行おうとして抽象的な言葉を使ってゆくと、どんどん自分の使いたくない文字列になってゆくな)
 ようは、何が言いたいかって言うと、例えば浜崎氏の歌詞世界の中に〈あっくん〉的な偶像が存在した場合に、あっくんに対して著作権者が追うべき責任とは何か? というような事を考えるために「浜崎氏の歌詞世界から〈あっくん〉的な偶像を抽出する」事を行ってゆきたい。
 今回、その抽出を行う対象は浜崎あゆみ氏『Rock'n'Roll Circus』である。『NEXT LEVEL』を用いれば、より明確に〈あっくん〉的な偶像が立ち現れるのかもしれないが、それは読者に任せよう。
 ちなみに、
あっくん
http://ameblo.jp/akkunfutatabi/
生史君
http://stillfly.exblog.jp/

2010年04月14日

NHK3題

「microphone」

音楽。その存在感には、逆らえず、ただ敬うことしかできない。
わかってる? 音楽なしの私たちなんて、無意味でしょ。
音楽と出会うのは運命(さだめ)なのだから、、、
音楽が音楽である事、音楽が存在する事を示して、導いてくれるのは、あなただから、、、
さあ、あなたが完全だと思うリリックを、ほら、僕の目の前に示してご覧。

 長ったらしいなと思って削ってったら、5行になってもた。「逆らえず、ただ敬う」とか「示して、導いて」とか、まんか、まどろっこしい。この辺も、なんか違うんだよね。
 なんか、もっと「恨(はん)」のある歌詞なんだけど、僕が言うと大層になりすぎたり、嘘っぽく聞こえちゃうんだよね。
「自分を自分とたらしめているのは〈あなた〉」って、よく考えたら当たり前だな。自分以外は他人、つまり、〈あなた〉たちなのだから、、、

 4月から、いろいろ番組が始まったが、1番ショックだったのは『758Label』が終わってしまった事。もう少し続いてたら、コンテンツ賞だったかもしれない。ああ、「番組」にしてしまえば益若つばさ氏も、、、(以下略)って、ユッキーナのプロデュース力、調和力を認めるのが怖いのかな?
 いや、NHKで『スコラ』と趣味悠々のワクの『エレキギターの講座』『デジスタ・ティーンズ』は、なんか、ビビビと来る内容。
『スコラ』って、まあ、バッハの回だからなのか、ようは義務教育の音楽の教科書なんだよね。ゆとり世代でどの程度、削られているのか知らないけど、義務教育の音楽は、実は教科書の内容をしっかりと詰め込むと、音楽鑑賞や実践に大いに役立つ内容が詰まっている。どうしても、合唱コンクールなんかの行事の練習に明け暮れて、教科書の内容に踏み込む事は少ないのが実情だろう。(地域によっては音楽の期末テストがある地域もあるのだろうが、、、)
 だもんで、作曲家の名前や曲名を覚えるのは必ずしも重要ではなく、和音のしくみや、ピアノの音程の原理的な話というのは、理科とか数学・算数に通じる、1種の〈美〉なんだよね。(受け売りぢゃないか!)
 今の義務教育の音楽は純邦楽や古典芸能の習得にも力を入れていると言われるが、西洋音楽の基礎がしっかりとあって、日本の独自性、古典芸能の特殊性って、判るものなんぢゃないか? バッハの回だから、そう思うのかな?
 美術や図工も、似ているのかもしれないけど、現実は少し複雑だ。ようはデジタル分野が発達しているから。『デジスタ・ティーンズ』は、そう言う意味でも、学校の勉強を補助する番組なのかもしれない。思うんだよね、音楽作成も含めて、ボーカロイドのビデオ・クリップのようなものの作成は、ある意味、綜合学習として優良な題材なんだよね。

2010年04月13日

『いいとも』の花

『scholar』について書く予定だったけど、枕が長くなったので枕のみ。とりあえず、ざっと一覧。
・花輪
○松浦勝人
・花
○第一興商
○パナソニック
リンメル
本田技研工業
講談社ViVi
SCawa
ビーズアップ
ZACC
EXILE
・以下風船
××
××××
××××
・以下ロビー花
○BoA
┏倖田來未
┣misono
┣光上せあら
┗BRIGHT
(以上4人連名)
┏Do As Infinity
┣前川紘毅
┣坂詰美紗子
┗メガマソ
(以上4人連名)
ワニブックス
Team ayu member's
┏Every Little Thing
┣高杉さと美
┣後藤真希
┗宮脇詩音
(以上4人連名)
┏TRF
┣m.o.v.e
┣AAA
┗miray
(以上4人連名)
 以上確認できたものだけ。○は番組内で紹介されたもの。
 こんなのネットのどっかに一覧が載ってるだろ? と思ったらないみたい。花屋も独占か寡占なんだから、さっと調べられるようにしとけばいいのに、、、
 ざっと見た感じ大塚愛氏とalan氏が確認できていない。ウイダーとネスレもないな不思議だよね。あの金メダリストとのパイプ企業だと思うのだが、、、
「マスターフー」まで読めたんだけど、何だ? と思ったら、ペットフード関係かもしれない。
 スポンサー企業、ファッション誌、美容院、ペットフード? ときたら、1種のマルチメディアだよね。キャラクターのイメーヂに付随する企業イメージ。この企業数が多いのか少ないのか、、、

2010年04月12日

「ファルスの哀しみ」

『稲澤文化博物館(仮称)』
開館準備企画展
ファルスの哀しみ~副題未定~

 某国の治安を邦人の死によって知る。まあ邦人はジャーナリストなんだから、当たり前に自己責任の死な訳だが、その死に対してのコメントに、某国の〈治安〉を維持すべき組織について疑問を感じる。某国の〈治安〉は政府に求められるべきで、銃弾がデモ隊のものであったにせよ政府には〈治安〉を維持する義務というのは存在しないのか? まず〈治安〉が維持できていない事を詫びるべきではないのか? 「オレのせいぢゃない」と主張するのが政府の役割なら、そんな政府、はたして必要なのか? いや、そもそも、そう言う政府だから〈治安〉が守られていないのか? 別に、その国の人ではないので、どっちでもいい話なのだが、、、
 まあ、今回の企画展も音楽評なのだが、音楽評なんてやっても、僕には一銭の得にもならない。あんまりやりたくもないのだが、、、それでも音楽評をしなければならないのは、音楽評をきちんとできる人が皆無という状態が久しく続いているからで、それは、音楽好きの音楽評で学生時代をこぢらせて、音楽ライターになって営利目的で、音楽評を始めてしまうと、どうしても、評がマネーフローに流される向きがあるわけで、そのことに対して、どんなに慟哭したって、音楽評そのものが定位置に戻るわけではない。
 もっと、ポップミュージックの享受者が、イコノロジーに近い領域で、音楽を鑑賞し評価し、そして、さらなる享受を行わなければ、結局、大衆音楽は、営利目的の商品な訳だから、正しく〈音楽を楽しむ〉という状態にはならないだろう。
 いささか、前置きが長いわけだが、明日、フラゲしたら、本題に入っていきたい。
 まあ、何が「ファルス(farce = 道化劇)」で、何が「哀しいのか?」は、おいおい。。。

2010年04月10日

それは本意なのか?

ふと思ったんだけど、「待ち受け」なんて書いたら、精子くんが飛び出さないか?
ちと、配慮に欠けてない? そんなに、荒れてるん?

だけど、「カジノ・バカラ」と「シャケフレーク」には反応して、
「くまちゃんはゲイ」と「サインしたボールを投げる」には、反応してないのか?
「サインしたボール」って「つば付けた〈男〉」の、もろメタファーにしか思えないよね。
「新聞(CD)は要らない」のに『心の駅』とか、端から見ると整合性に欠けるのだが、気にならないんだろうね。
この〈心的現象〉については、今後、詳しく論じたい。

2010年04月09日

ボランティアは有償を基本に

 いや、別に金持ちの道楽なら別にどっちでもいいのだが、未曾有の不景気で誰の財布でも薄いのが現実だろ?
 そんな中、「ボランティア = 無償の人材」という発想は、現実にそっていない気がする。そりゃあ、台所事情は、それぞれだから即座に有償に切り替えるのは現実にそぐわないという意見もあろう。しかし、そのことが、なし崩しに無償ボランティアを強要するのであれば、日本ではボランティアは根付かない。
 ちゃんと、有償ボランティアからの自主的な返納があるものとして、組織の経理をおこない、ボランティアを有償にしたときにも黒字にできる組織体質を構築していく事が、非営利法人にとっても必要なのではないか?(ドラッカーが、この辺なんて言ってるのか知らないが、、、)
 文化財行政に即して言えば「無償ボランティアの学芸員」のような理不尽が、この先、起こらないと言い切れるのだろうか? つまり、「市民参加」「経費の有効活用」のような甘い言葉にしびれて、自分の職を失してしまうのではないか?(お前のやっていた事を考えたら、お前にそんな事を言う資格はないだろうと怒号が飛びそうだが、、、)
 まあ、文化財行政に絞って言えば理不尽な話に聞こえるが、ラジオ・テレビでの「ノーギャラ作家」とかADのオーバーワークを考えれば、まだ、めぐまれた環境がそこにはあるのかもしれない。
 このサイトにしたって、僕が鈍くさいんで「商売」になってないだけで、うまい事したら商売になっているんだろうし、逆に、商売にならないんだったら、マーケットとして成り立たないんだから、もっと行政が手厚くカバーすべきだろう。
 そう言う意味でも、非営利法人の経理や文化財行政におけるマネーフローは検討されるべき余地を残している。
 まあ、そう言いつつ、ウチは趣味人の道楽サイトという体をとって、気楽にできる部分もあるわけだから、誰が悪いとは言えないんだわな。

2010年04月02日

次回企画展

 特別展『白瑠璃の碗』が、始まったばかりだが、あの特別展は4~5年を目安に造り上げていけばいいと思う。というわけで同時進行で企画展。で、次回企画展について少し。
 タイトルは、
「ファルスの哀しみ」
 あるいは、
「悲しきファルス」
 副題未定。

 内容は、ファルスが、観衆、あるいは、観衆たちに語りかける内容、その構造解析、構造解析によって得られる情報になる予定。
 4月中旬以降の開始になるのか?