脳みそのないカエル
なんか「奉仕」「奉仕」って、そんなに日本に奉仕なんて言う言葉がなじむんだろうか? なんか昨日、奉仕と言われるたびに、うさんくささを感じずにはいられなかった。
案外、「我々の目的は□奴国の復興です」的な、一見圧力団体と見まごうような野望を語られた方が健全なのかもしれない。とも思う。それは、大目的というのは微細な活動の構造の中にも宿るから、「奉仕」を旗印に進んでいって大目的がない故に破滅へむかっているのも気づかないなんてことは、ただの夢想ではないだろ?
ボランティアが無償であることに対してほこりを持っていると言う意味なら、まわりのいい迷惑だ! 金持ちの道楽で、マーケットやビジネスモデルが破壊されているかもしれないという「自分を客観的に見る」ということができないのだろうか? 「誰が金、出してまで稲沢の歴史なんて見に来る?」と思うなら、奉仕か有償とか以前に歴史研究者として不的確だと思う。たいしたことないんだったら、最初から関わらないでくれ。
まあ、歴史系のサークルが増えることによって、どうも行政の歴史系部署も増員の傾向があるのだから、現時点での一時的なことかもしれないが、良好な傾向が存在すると言っていいのかもしれない。欲を言えば発掘考古学の正規の専門職というか技師の20代の若手の充実をはかって欲しい。発掘の技術も日進月歩、GPSやレーザー計測のような最新技術を使いこなすには、やはり若い力は欠かすことはできない。そして、今ひとつは、やはり代替わり。歴史系とひとくくりにされても、専門分野は各自異なる。稲沢市域の発掘考古学の成果を反芻するだけでも、これからの時間だけでは少ないくらいだと思うのは、筆者だけではあるまい。
結局、自立思考ができて独自研究で進めていけるような団体よりも、いわば「脳みそのないカエル」のような、行政の手足になる無償のイエスマンの方が有償のセクションを温存できるのかな? と、なれば、次は新陳代謝だな。
2010年05月29日
尾張国府
「府中府宮」と「国府宮」で全然指すモノが違うと言うことになるのに、みんな、その場の勢いで納得させられてしまったのだろうか?
後期国衙という現象が、少なくとも尾張にはあるわけだから、まあ、学術用語と実際の歴史的な言葉使いに相関関係を求めるのが、どだい無理な話かもしれないんだけどね。
「国府」の定義にしても、逆に無限に拡大解釈ができてしまって「大国府」でも尾張一国でも「国府」と呼べなくはないのでは? あえて、そこに含みを持たせたかったのか?
まあ、話し言葉だからなのだろうが「初期」「前期」「国府」「国衙」の併用が目立たなかったか? 8世紀段階の国府を「初期」と呼ぶのであれば「前期」との意味の違いを明確にして欲しい。(って、これは小子部サヒチ時代を初期国衙と呼ぶから、僕しか気にならないのかもしれないが、、、)
以上、気になったところを箇条書き。余談は後日。
勤労福祉会館 多目的ホール
尾張国府を学ぶ講演会
20100529(土) 午後1時30分~3時
2010年05月28日
中国の瓦当
春日井市道風記念館
中国古代 瓦文字の面白さ
~近年出土秦漢瓦当文拓本を中心に~
久しぶりに瓦の特別展だな。蓮華文成立以前?の文字を中心にした瓦の展示。瓦と拓本が見比べられるのは壮観。
展示内でも紹介されてたんだけど、偽物の存在。特に高句麗の瓦なんか、何が本物なのか? 古物商のみならず、学芸員にも、その鑑定眼は求められるんだよね。
そう言う意味で、瓦当がずらっと並べられるのは壮観な訳だが、それを、いちいち検算していくという鑑賞にも、それは、どっかで求められるわけで、、、
まあ、最初は読みというか判読なんだろうけど、、、
春日井市道風記念館
春の特別展
中国古代 瓦文字の面白さ
~近年出土秦漢瓦当文拓本を中心に~
20100423~0606
2010年05月27日
2題
三重県立美術館
Tsu Family Land 浅田政志写真展
ウメ氏に始まるのか? ラフでポップなセルフポートレイトというか、その拡大解釈としての家族写真。確かに、何かの役柄を演じているわけだから役者なわけだが、それは、よく考えてみると、僕にとっては見ず知らずの〈家族〉なわけだわ。しかし、見れば見るほど、ステレオタイプ的に、1人1人の「生き様」が、立ち現れてくるわけで、それは、やはり、何かを〈演じて〉いるわけだ。
それは、社会的な〈家族〉にとっての職能であったり、もっと根っこのジェンダーであったりするのではあるが、、、
見せ方についても、いろいろ練られている。オブジェであり液晶絵画?であったり、もっと〈場〉と言うものを立ちあらわせたり。地域振興的なコラボ企画も楽しいよね。
なんていうの? 変な言い方をすれば写真なんて(別に写真を低く見るわけではないが、、、)例えばオナニーするみたいに「撮りてぇ~!」っと思って感覚的に撮るものぢゃん。それを「どお?」って見せる時に「うける~」と言わせたいわけぢゃん。
ああ、そうかそう言う目で見ればいいのか?
PARAMITA museum パラミタミュージアム
土門拳の見た日本人
写真つながり。パラミタミュージアムはじめてだったんたけど、本当に『般若心経』のために作られた美術館なんだね。雄大で荘厳な〈祈り〉の空間。しかし、それば「色即是空」、どこかで俗で欲望にまみれた人間が真剣に祈っているのだ。ちと色眼鏡すぎるか?
土門拳だけみてて、あの、にらみつけるような仏像写真だと思ったら、土門拳と彼の生きた時代というか、当代の著名人のポートレイトと子供たちの写真。
やっぱダメだね。街並みの写真見て「映画のセットみたい」と思っちゃってさ、なんか、土門拳の写した全てが、なんか記号のように思えてしまってヘコんだ。もっと、畳とか線香とか、便所のにおいがちゃんと立ち現れて感覚として、その時代を感じ取らないといけないな、、、と思うの。でも、現代の密閉空間の中で、その感覚を呼び起こすのは難しいことだ。
三重県立美術館
Tsu Family Land 浅田政志写真展
20100417~0530
*あの『浅田家』シリーズの! いよいよ登場。
PARAMITA museum パラミタミュージアム
ギャラリー企画展
写真家・土門拳没後20年
土門拳の見た日本人
20100401~0530
2010年05月26日
〈無償の愛〉?
あの西村氏の発言って〈読み〉ようによっては、ヒカルに対する〈無償の愛〉だよね。やっぱ、誠意という名前のお金が目当てなのかな? 僕には西村氏がそんな人間には思えないし、西村氏の論破の仕方で勝ち取れるものでもないと思う。
政府だってシベリア抑留の保証云々で、ほとんど屍にムチ打つようなこと平気でしてるもんね。あの程度の「汚れちまった哀しみ」くらい、と、ふとムキになってみたくなる。
だから、つまり、西村氏は宇多田氏のこと好きなんだよ、たぶん。(厨房の冷やかしチックではあるが、、、)
先日、浜崎氏が「重大発表があります」って言うから、いよいよ参院選出馬だなって思ったんさ、そしたらシングルの発売だった。もう、そこまで、状況は悪化してるんだね。音楽家が音楽発売することが「重大」なんだよ。もう。
今、参院選出とくと、あとあと楽なんだろうけどな。若輩だから何も知らなくても当たり前だし、40過ぎてから政界進出して何も知りませんぢゃ目も当てられないもんね。3年、参院で勤め上げて、衆議院に鞍替えするんさ。もう、たまんないね。
知恵袋見てたら、
ある日、とても思いつめた顔で相談されたのですが、内容が荒唐無稽でとても信じれる話ではありませんでした。自分はとても有能であらゆる人から狙われている。
政治的な思惑もあり、自分を消そうとして暗殺者が動いている。部屋中に無数の盗聴器、カメラが仕込まれている上、真上の階の部屋には常に情報を聞きだそうとするやつが潜んでいて安心して暮らせない。
そんな自分を救ってくれる○○(女性アイドル)との恋路も邪魔されている。他にも色々ありますが要約するとこんな感じです。彼の話ではもう10年以上前から上記のような事が起こっているようです。
こんなことは、ざらにあるんさ。しかし、アイドルの名前を伏せられてしまうと手の出しようがない。しかし、このような事例を管轄するセクションがあれば、対応できるかもしれないし、論破のしようによってはビジネスチャンスかもしれない。
2010年05月21日
3題
帰り路、八木から左の窓側で、発車して、しばらくで耳成山がキレイに見えて、次は三輪山か、、、と思ったら、夏霞がかかっていて、ぼんやりとしている。黄砂だったかな? 山の新緑が芽吹いて、常葉の樹でも、案外、この時期が一番、色味が変わるのかもしれない。楠? なんか、真っ赤だもんね。。。
飛鳥資料館(奈良文化財研究所)
特別公開 キトラ古墳壁画
「青龍・白虎・朱雀・玄武」
連日、待ち時間なしなのかな? 相対的な入場者の減少というより、言い方は悪いが客廻しが熟達してきたという所ではないだろうか? やっぱ実物を見る機会というのは貴重で、当初のことを考えたら易々と見られる今年は狙い目かも。
あの、フリーペーパーのキトラbookが楽しみなんだよね。
奈良県立万葉文化館
平山郁夫展
『視点・論点』に館長が出てて、そうか原爆の絵なのか、、、と思ったら、展示替えらしく見られなかった。薬師寺の夜景がキレイで「ああ、たぶん何度も奈良に来ているけど、いつも探している奈良の風景って、平山(別に入江を含めてもいいのだが)の中にしかないんだよね」って、まあ、それでも行きたくなる魅力が奈良にはあるから、また行くんだろうけど、やっぱ、探しちゃうよね。
橿原考古学研究所附属博物館
大唐皇帝陵
渋い。渋いが、確かに、この機会にしかできないか? あの遠景のまっすぐな道の先に〈山〉って、東之宮に近いよね。あっ、でも埋葬施設は地下か、、、頂上に古墳というのは独特なのか? 白山平ってモンキーセンターからも、鵜沼側からも見れるんだよね。
ところで、四神ってどっち向いてるのか正解だと思う? 陵墓に進入するものを睨むのか? 焼き魚を盛りつける時みたいに決まった向きがあるのか? 薬師寺と高松塚・キトラの違いって見る人が中にいるか外にいるのかなのかな? もっと、違う見方があるかな?
そう言えば、i_氏に同期していただきました。相似に近いスタンスで、局部的に相反にして、当たり障りなくすると、ああいう感じになるんだけど、こういうことを公言すると、ゆくゆく辛くなるかな? ただの僕の中の〈病理〉なのかもしれないしな。同期・非同期云々より〈同期的〉であるという状態が心地いい。坊主が憎ければ、袈裟まで憎いわけで、まあ、袈裟 = 悪という図式に、万民が耐えうるのか? という、まて、それ以上に悪なんだ! という悪即社会不適合というより社会が構造として袈裟についてどういうスタンスを取るのか? という1種不思議な、ものの考え方をしているので〈同期的〉というのが、一番心強い。って、これ、あっちで俺がやろうとしてたことぢゃん。
飛鳥資料館(奈良文化財研究所)
開館35年 平城遷都1300年祭記念 春期特別展示
キトラ古墳壁画四神
20100416~0613
*0514・31のみ休館
特別公開 キトラ古墳壁画
「青龍・白虎・朱雀・玄武」
20100515~0613
http://nt-s.ne.jp/mm2/kitora
(待ち時間情報)
奈良県立万葉文化館
平城遷都1300年記念特別展
シルクロード-奈良への道
平山郁夫展
20100417~0530
橿原考古学研究所附属博物館
平城遷都1300年記念 春季特別展
大唐皇帝陵
100424~0620
2010年05月19日
あとは享受者の問題だから、、、
木村カエラ氏の着信音を聞いて「雨上がりの風」を聞きたくなるのとか、「金魚花火」が、坂本氏や久石氏を彷彿とさせるというのは、なんか、もう、かわいらしいもんでしょ。まあ原曲が思い出せないというのは、享受者の知識というのもあるのだけど、逆にハンカチ落とし的だとすると、それはまあ、オマージュではないわけだから、考えもんなんだけど。。。
まあ、いいや。
結局、コレまでの話って、最終的には、ウチを見た享受者が何を再生産するか? という問題に行き着くんだわな。
まあ、取り得る行動というのは、以前、どっかで書いたかもしれないけど、
(1)相似(2)相反(3)展開(4)飛躍(5)誤謬(6)無視
だったか? くらいしかなくて、この場合、無視することは、とりもなおさず相反だから、、、ね。
なんか、荒れる予感というのもないわけではないが『白瑠璃の碗』が脂のってきたから、カンベンして欲しい。ぶっちゃけ。。。
ああ、享受者に対して配慮が足らないな、、、とりあえず以上で、、、
2010年05月17日
〈自己優勢性〉
結局、こっちでコレ始めると、こういうことに言及しなくてはならなくなるから、アッチでやりたかったんだけど、門前払いだったから、結局、こういうことを書き進めろと言う、啓示なんだわな、、、
〈病理〉で一番、特徴的な症状を書き忘れた。それは〈自己優勢性〉と名付けてもよいのではないだろうか?
つまり、これだけ似通った〈病理〉の状態があると説明したところで「オレは、あいつらとは違う!」という強い主張である。時には〈病理〉になる自分こそが〈優勢〉で、発症しないのは〈劣勢〉であると考える事まである。
〈自己優勢性〉こそが、この〈病理〉の救済を、ある意味、難しくしている。たぶん、カテゴライズされた瞬間に〈病理〉は反発するのではないだろうか?
だけど、歌謡曲のスピンオフとして〈病理〉が存在する状態を続けたいのか? そりゃあ、真っ正面から、取り扱うのは貧乏クジかもしれない。しかし、ある種の人たちには、何らかのビジネスチャンスのような気もするが、、、
2010年05月15日
〈病理〉の〈心的現象〉
まあ、この前までは〈病理〉が享受するであろう媒体の分析をやってたんだけど、逆に〈病理〉の〈心的現象〉って、興味ない? おおよそ、このような〈心的現象〉が考えられるのではないか?
(1)懐疑
(2)妄想・重圧
(3)躁鬱
(4)憎悪
およそ、このような〈心的現象〉が考えられて、ほぼ、この推移でいくのではないだろうか? つまり、現在〈憎悪〉の〈心的現象〉が現れているとしても、そこにたどり着くまでには〈病理〉の心の旅というのが想定される。
また(1)~(3)までは(4)に比して比較的、短い時間で推移するように思われる。(4)は非常に長い。はたして、4~5年というオーダーで解決するのだろうか? 10年~20年、あるいは一生涯、〈憎悪〉の念を抱いてゆくのかもしれない。これは、一部の〈犯罪被害者〉の加害者に対する〈憎悪〉の抱き方と似ている。まあ、よく考えれば構造的に相似な訳だわな。
まあ、現代のようにデータがネット社会の中であふれているのかで、未必の故意としても、故意に〈病理〉を生み出そうとすれば、それは加害者に対する〈憎悪〉を得るためにした行為としか考えられない。と思う。つまり、アイドル歌手が、何らかの〈洗脳〉で〈病理〉的な状態を導いて、好意を得ようとしても、それは、ほとんど必ず逆の意思として結実すると考えられる。
すでに〈妄想・重圧〉期でも、その治癒・改善には相当の努力が要するわけで、〈懐疑〉段階で、いかに早く発見し治療・改善するかが〈病理〉に対する社会的取り組みとして、必要なことだと思われる。
2010年05月14日
2題
「音楽なんて、どーせ、どうにでもなればいい」と言わんばかりの別題。でも、クソアーのせいで、あの電気仕掛けの乗り物に乗れなかった。(どうも、そもそも乗れなかったらしい、、、)やっぱ、ダメだね。どうしても、音楽に対する生理的嫌悪感が消えない。(あくまで個人的な感想です)
奈良国立博物館
大遣唐使展
意外に渋い展示。音声は、藤原仲麻呂。新館西館の改修だったか? 本館の展示替えだと思ってた。
本館の展示は、常設展でも奈良とか奈良時代のビジターセンターの役割をします的な展示だよね。
薬師寺の聖観音って台座って複弁だったか。平城京時代ではないよね。複弁の発生って意外に難しいのか? 奈良時代前期って藤原京時代を言うことがあるからね。ソレでしょ。
平城宮跡会場(メイン会場)
平城京遷都1300年祭
しまった! 午後からでは回りきれない。でも、平城京歴史館(遣唐使船)と大極殿の高御座は見てきた。
奈良博の時間延長を、ねらって歴史館の整理券から、ねらうといいのかも。
「整理券なんて私は聞いてない」ってゴネてる、おばちゃんがいて、もろ『警察24時』だった。おもろい「遠くから来た!」って、もろ、関西弁やん。奈良市内と見た。
いや、僕は主催者ぢゃないから、こういう切り口で言えるんだけど、、、
案内が善意の人ぶるから、やりにくい。「規則ですから」「見たいなら、これにこりずに、また、来てください」と、俺なら言ってしまうが、、、
奈良国立博物館
特別展
平城遷都1300年記念
大遣唐使展
100403~0620
平城宮跡会場(メイン会場)
平城京遷都1300年祭
20100427~1107
20100514
『大遣唐使展』 A&Dオーディオガイド 作品リスト附
*自分がどこにいるのか? 見取り図だけでは解らなくなる。とくに本館。本館、久しぶりだからかな?
*展示替えの品のガイドは必要なのか? 不要なのか? 意見の分かれるところだろう。「期間を区切って展示します」とか「前期のみの展示ですが」とか「図録でご確認ください」とか常套句は意外とありそう。聞くだけ聞いとけば図録で確認するだけだもんね。展覧会のストーリー性から必要不可欠の場合もあるもんね。
2010年05月13日
ジレンマ
「音楽倫理」と言っておきながら、はたして〈病理〉のない世界を、僕は望んでいるのだろうか?
あえて〈病理〉という言葉を使わせてもらうが、あくまで彼らの中にも〈心的現象〉と言うのがあって、現在の状態ではない別の〈社会構造〉があると考えているという意味で、適切な言葉があれば、その言葉を使いたいくらいだ!
で、なんて言うの、研究者というのは類例を重んじるわけで、類例のないもの、つまり、カテゴライズされなければ、そのものに対する学術的研究というのはないわけで、その意味で、研究者は「常に類例を求める」訳だわな。
だったら、「だらしない音楽倫理」で、類例を多発するような〈社会構造〉が、研究者の求める〈社会構造〉なのかもしれないと思えてくる。
確かに、浜崎氏、宇多田氏以外の類例(あっくんは大塚愛氏にも、そうなのか? 倉木氏にも?)を求めているし、発症以前から書きつづられたブログというのを発見してみたいとも思うわな。
しかし、研究対象に畏敬の念がないと言えば嘘になる。それは現代社会が直視せざるを得ない存在なのであるから。
2010年05月12日
日本音楽倫理審査会
うわぁ~~っ、貧乏クジだ、、、
あくまで「言葉狩り」をするのではなくて「アーティストの将来を守るため」のようなニュアンス。
レコード協会の中に「レコ倫」はあるみたいなんだけど、ホームページもなんにもない。
映倫みたいに第3者機関でもなくて「この辺から、こうなったらヤバくない?」と各レコード会社に言うだけなんだって、それとは別に、アーティストより上の人が「ゴメン。レコ倫が手直しシロってさ」と、言葉狩りをする時にも便利に使われている組織だそうな。
いや、西村氏にも顧問になってもらいたかったんだけど、小我が強すぎるって言うのかな? もっと、権利侵害的な状況の普遍性に目を向けてもらいたいんだけどムリだね。
そのカウンタでアーティストというか芸能人の〈無謬(むびゅう)性〉を信じ切っちゃってる人がいて、見てて痛い。それって、ファンにとってもアーティストにとっても損だと思うんだけど、、、
I(ハンドルネーム、ぢゃなくてイニシャルね)氏が「アーティストをもっとよくするための議論をする場がない」ということを言っているんだけど、かくして、僕はアンチに成り下がるんだわな。
2010年05月09日
AAA
仮に浜崎氏がウチのこと知ってるとして、彼女の言動からしたら、ウチのこと相当、憎悪してるよね。そこまで馬鹿ぢゃないだろ? そこ「相反」で返したらだめなところでしょ? 調べたら、やっぱ怪訝に思ってる人がいて指摘してたわ。別に関係ないけど、、、
AAAの新曲がいいって話だったのでMJ見たらやってたので見てみた。えっ? コレ、小室氏? って感じ。小室氏をよく勉強した、ゴーストなんぢゃないかな? なんて言うの往事の「時代との同期」的なリズムがない。平板。
よっぽど「サクラサク」や「Uh Uh」の方が小室氏的。なんか、そう言う意味で、聞き比べるといい作品だよね。
なんて言うの? ある意味、新曲を作ると言うことは、彼にとっては過去の自分を敵に回すことで、どっかで、過去の栄光にしがみつこうとしているというか、きちっと、自分というモノを見つめ直して、過去の自分と対峙できていない気がする。
まあ、ブランクの分の穴が埋め切れていないという表現の仕方をする人がいるかもしれないけど、それは違う。ブランクがあくには、それなりの元凶があったのだけど、それもとどのつまり、小室氏が自分と対峙できていなかったということにつきないだろうか?
どういう精神状態にいるか判らない人に、こんなに厳しく言っちゃいけないんだけど、、、
2010年05月05日
かくして薬害は広まる
ここで副題発表「音楽のニルヴァーナ」別にニルバーナでもアポトーシースでもいいのだが、ニルヴァーナ。固有のバンドを指す言葉ではないんだけどね。
あの「いつ会う?」というのも不思議だよね。まがりなりにも音楽やってるんだろ? 友達の友達の、、、友達が目的の相手とか、リアルなコネクションは考えないのかな? 自分がめぐまれた環境にあるから、そう思うだけなのかな?
「Lady Dynamite」
「Sexy little things」
もう意訳すると体を為さなくなるから止めとく。なんて言うの? 日本の深夜にやってる米国ドラマみたいな感じ。それも20年くらい前の。
フェミニストになっても幸せにならないぢゃん! プン! 的な、今、思うと1種の〈勘違いをした女性〉これを難なくこなせるのは、1種の独壇場だよね。「なんとかの空」なんて、額田やえ子が松金よね子氏に言わせるような台詞だよね。
これも「そ」の音が「と」に聞こえて、そんな諺、知らないな、、、と思ってしまった。意外に歌詞カード読まない人なんだよね。
ミュージッククリップ、いっとこうか?「Sexy little things」最初のコンセントから血が出るのって意味不明なんだよね。あえてのグロにしてもレゾンデートルが感じられない。1種のロンドン風なのかな?「Microphone」と1倶なつくりなんだけど、1種の出オチ。いや、たぶん「rule」に1種の頂点があって、あえて、その頂点を捨てた「0」をなんか表現してるから「0」なんだよね。あれだけ、ごちゃごちゃしてても、たぶん「0」
逆に言わせてもらうと「Lady Dynamite」は可能性を感じるね。本編とメイキングが、ひっくり返る瞬間が、たぶんその先にはある。たぶん浜崎氏は、それに気づいてて、あえての押しなんだと思う。
でも、なんて言うの「芸能界」というのはイジられてナンボの世界なのかもしれないけど、あのイジりの下品さって、本人が気づいていない分だけ悲しいよね。それを誰も指摘できないのか? あえて無視してるのか? 影響力のある人たちだけに、笑いにも品性をもってもらいたい。
2010年05月04日
ジブリのレイアウト
やっと、本格的に2010年度だな。
松坂屋美術館
高畑・宮崎アニメの秘密がわかる。
スタジオジブリ・レイアウト展
もう、30年くらい前になるのか? 藤子不二雄氏が、よく特番を組んでアニメの舞台裏をやっていたのを思い出す。ある意味、ああいうモノの変換された展示なんだよね。
この前の背景画の時も、そうだけど、会場の順路が、ある意味亜空間で不思議な感覚におちいる。
もう、レイアウト、そのものが、どうのこうのではなくて、僕が考えていたのは『未来少年コナン』というのがあって、あのシナリオのDNAを受けるカタチで『エヴァ』があるんだよね、たぶん。現在の青年系アニメで『エヴァ』の影響を示さないものの方が少ない気がする。
それって〈健全〉なのか? と思うのは少し意地悪な気もするが、まあ『カレカノ』も監督あの人だし、でも『エヴァ』を知ると影響とゆうか、しっかりと指紋が付いているのがわかる。
そんな中で『コナン』の次が『ぢゃりン子チエ』なんだよね。「ああ、この巾なんだよ!」と絶叫したくなる。
やっぱ、感覚がおかしいのカナ?
松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
高畑・宮崎アニメの秘密がわかる。
スタジオジブリ・レイアウト展
100429~0613
20100504
『スタジオジブリ・レイアウト展』 日本テレビ/アートアンドパート 音声ガイドプログラム附 副題「レイアウトの秘密がもっとわかる話。」
*重箱のスミなので改善されている所は置いて、、、
*BGMが長い。もっと音楽ってフレーズを聴いただけで、よみがえってくるモノだから解説の部分だけで十分だと思う。レイアウトとしてシーンが展示されているのだから最小限のBGMでセリフや効果音も、よみがえってくる人は少なくないと思う。
*まあ、展示位置の制約もあるのだろうが、音声ガイドの間隔がいびつ。具体的な箇所は指摘しないが、同じ映画内なら展示と音声ガイドの位置関係はもっと有機的であってもいい気がする。
2010年05月02日
著作権者って、、、
あっくんに、変なムシがついちゃってさ、ネットにおける権利侵害というか、誹謗中傷の好例と言ってしまうと、被害者に失礼か?
なんかいかにも浜崎氏が著作権者で「悪」だ的な言説に聞こえるかもしれないが、それは、そうではない。
というのは、音楽著作権の特殊性があるからだ!
音楽著作権協会が委託を受けているという状況を見逃してはいけない。
たとえば、ある楽曲が〈病理〉を引き起こすトリガーとなっているとしたら、それは協会に、その責任があり、そのような〈病理〉が発展しないように策を講じる責任が存在しないか? 協会が〈病理〉に対して社会活動ができないだけの保証をしないといけないのではないか? そんなに不思議な話を、僕はしているのだろうか?
そりゃあ、創作者には創作者の責任があるさ、その創作者をプロモートする企業にも、もちろんだよね。
しかし、権利を委託管理されている組織がある以上、〈病理〉のような状態を最小限にとどめる責任を協会が持っていると考えるのは間違いぢゃないだろう。