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2010年09月30日

目次

稲沢
一宮
尾張南部
尾張東部
名古屋A
名古屋B
名市博
徳川園
リニモ沿線
知多
西三河1
西三河2
東三河

三重
西濃・岐阜
東濃・中濃
飛騨

奈良
京都
滋賀
大阪
静岡

関東
兵庫
北信越
関西以西

巡回展
リンク集

2010年09月26日

2題

奈良県立万葉文化館
写真展
小川晴暘と奈良 飛鳥園のあゆみ
-小川光三・金井杜道・若松保広-
 奈良にある文化財写真を中心にする飛鳥園の写真展。4人の写真家をクローズアップして、飛鳥園の歴史みたいなものをあぶり出している。あれだけ拡大されても、見応えが落ちることがない。現像の技術もそうなのだろうが、アナログ写真の味わいというか、デジタルの描点上の限界を考えずにはいられない。
 図録も前評判がいいがB4版と普通の図録より1回り大きい。もう、製本をほどいて1枚1枚を額装したいぐらいにキレイ。図録のレゾンデートルが変わるかもしれない。ポストカードの製本のようなスタイルを採れば、もう、そういうことは不可能な話ではないもんね。ヨン様の『スキャンダル』のパンフ思い出した。

天理大学附属 天理参考館
創立80周年記念 特別展
よみがえるヤマトの王墓-東大寺山古墳と謎の鉄刀-
 金関先生の講演会があるのを近鉄の車中で知って少し急いだ。
 東大寺山古墳から「中平銘」の鉄刀が出ていて、遼東半島とか帯方郡の中国でのドメスティックな独自性と、銘文の隷書の微妙な崩れから、漢の王朝は直接関係はなくて、帯方郡あたりで案件が処理されて鉄刀が下賜されているのではないかといった内容だったか?
『後漢書』から『魏志』の間に政治的空白というか、史書の散逸のようなことがあって、現在に伝わっていない日中の交流も考えられるらしい。
 すごいよね。東大寺山古墳。あれだけの武器が一括破棄されるわけだから、現在の感覚らからすると不思議としか言わざるを得ない。埋葬のための副葬品として新たに入手されたモノなら、軍事的な緊張を想定せざるを得ないし、伝世品を埋葬するのであれば、葬儀後の軍事的な弱体化が想定できないか?
 古墳から、大量の埋葬品が見つかるから畿内はスゴいというのは、一見分かりやすいけど、実用品とか、貴重品、軍事的な資材を一括破棄するという視点から見たら、それを担保していた〈社会構造〉って、案外独特なんだよね。へんなドツボにはまってしまった!

奈良県立万葉文化館
写真展
小川晴暘と奈良 飛鳥園のあゆみ
-小川光三・金井杜道・若松保広-
20100918~1026

天理大学附属 天理参考館
創立80周年記念 特別展
よみがえるヤマトの王墓-東大寺山古墳と謎の鉄刀-(仮称)
100922~1123

2010年09月19日

2題

安城市歴史博物館
特別展 親鸞聖人像の原点
安城御影(あんじょうのごえい)
 しまった! 浄土真宗ありきで話が始まっていた。まあ、親鸞聖人の御年忌なので大人の事情もあるのだろう。
 画幅なんかを考える上で、仏光寺派の絵系図の系譜に連なるような、光明本尊。親鸞の玄孫、存覚の「真向き親鸞」。蓮如の真宗中興的な流れが、大づかみにできるように展示されている。
 欲を言えば、例えば、法然は向かって右向きで、親鸞は左向きの肖像が有名であることに着目して、法然と親鸞の立ち位置の問題。そして、比較的早い段階で、真向きの恵心というのが存在しているように思われて、法然の肖像は誰を右に持ってきて、本尊は阿弥陀なのか恵心なのか? 光明本尊なんかだと、右に法然、左に恵心というそうとう無理をした配置の画幅も存在するし、、、と類例をあげるだけで紀要ぐらいにはならないか?

刈谷市美術館
宇野亜喜良展
AQUIRAX
 リアルタイム(ご存命だけど)には存じ上げなくて、刈谷展のチラシで存在を知ったくらいなんだけど、スゴい。
 エログロから絵本まで、どうしても絵本のような子供向けの作品を手がけてしまうと「オレ、子供向け書いててエログロでいいのかな?」と躊躇が出てしまうのだが、それを感じさせない勢いがある。
 展示室をみっちりと使った展示で、見出があるのだが、あれで全作品のどのくらいなのだろう?
 60~70年代のパッションにやられた。それを受けて何ができるか? なんだよな。

安城市歴史博物館
特別展 親鸞聖人像の原点
安城御影(あんじょうのごえい)
20100918~1024

刈谷市美術館
宇野亜喜良展
AQUIRAX
20100918~1103

2010年09月18日

2題

鈴鹿市考古博物館
企画展
須恵器-自然釉の妙-
 鈴鹿市域の須恵器ではなく、全国から自然釉のかかった須恵器を集めている。もう6世紀のある段階で陶邑系か尾張・猿投系かを云々するのは意味のないことのように思う。陶邑に産業センターのようなのがあって、技術のないところには陶邑から派遣する。猿投は必要がなかったから独特の形式を用いるというような感じなのではないだろうか?
 自然釉に関しても、付着のさせ方が自然に近いだけで、比較的早い段階で技術的に完成しているのではないだろうか?
 例えば、永仁の壺と尾張一宮・法圓寺の瓶子と見比べると、釉薬に微妙な違いが見られる。法圓寺の瓶子というと黄瀬戸のはしりのように考える向きもあるようだが、自然釉に近い、燃料として生木を用いて、ガラス成分を窯内に送り込むような仕組みを採るのではないだろうか? 永仁の壺は釉薬の垂れ方が厚ぼったい。何らかの形で釉薬を壺にかけて、それを垂れるように仕組んでいるのではないだろうか?
 須恵器の場合も薪に生木を用いないといけないという、生産上の制約から、自然釉の付着に着目して、生の葉っぱを焚き込むとか、技術的な改善が、すでに古墳時代のある段階には確立するのではないだろうか? って、こんな事、キャプションに書いてあったのかな? 読んでないんで。

松阪市文化財センター はにわ館
仏教開花~花開く仏教文化~
 あれだけ線違鋸歯文の瓦をみると壮観。あれだけ多くの遺跡から出土しているとは知らなかった。どうも、川原寺系統の亜種化? としてとらえられているのかな? 先日レビューしたように、線違鋸歯文には地域的な広がりと歴史が存在するので、面違鋸歯文が稜線の線鋸歯文になって、なんらかの着想で線違にしたという単純な話ではないような気がする。
 外区に飛雲文や唐草文を配する、いわゆる近江系の鐙瓦が皆無ではないことから、線違鋸歯文の系譜抜きにも近江の影響というか、田村第(藤原仲麻呂邸)が七葉の飛雲文なんだな。あれ? 年代が逆になるな、、、

講演会
天武・持統の寺から聖武・称徳の寺へ
 壬申の乱や聖武の関東彷徨のような国史レベルの問題と三重の白鳳~天平寺院をかみ合わせた労作。
「天武・持統の寺」と言っても、天武・持統時代の寺なのかな? と前置きしときながら、天武・持統は草壁を連れて桑名まで来ているのは大きいよね。

鈴鹿市考古博物館
企画展
須恵器-自然釉の妙-
20100911~1031

松阪市文化財センター はにわ館
仏教開花~花開く仏教文化~
20100724~0926

講演会
天武・持統の寺から聖武・称徳の寺へ 山中章氏
20100918(土) 午後1時30分~3時

2010年09月17日

代表戦について

 まあ、いまさら代表戦でもないんだけど、マスメディアで争点として取り上げられなかったが「音楽倫理上の利権の取り扱い」というのは、見逃しがたい争点であった。
 まあ、どのみち、この手の話は享受者の認知の問題だから、ないものはないという人には何も見えないことになる。
 候補者は、方や、どんだけ情報が秘匿されていても国民が正確な判断を下すはずだから、国民の多くがミュージシャンを支持する現段階で音楽倫理上の問題は存在しないと言わざるを得ない。方や、国民の1%未満であろうとも、陳情が挙がっている以上、その問題は検討されるべき。だいたい、それぞれの立ち位置はこんな所ではないだろうか? まあ、どちらがどちらの言い分かは、明確にするのはよそう。
 結局、結果として(僕の思惑として)いい方向に転んだのではないか? 国民全体にとって、それが幸福な結論であったかは、国民の1人1人が判断すればいいことで、僕は知らない。だから、僕1人の結論は、いい方向に転んだのである。
 例えて言えば、最小不孝と対に無限幸福という社会構造が存在して、無限幸福社会では、公共の福祉のに反しない限り、どんな人が、どのような思想信条を持っても幸福を得る権利があると考える。
 しかし、最小不孝は、誰かが不孝のセクションを担う必要がある。ある種の思想信条を持って、それが、国民の総意としての感情に反すれば、すなはち、その人は不孝確定である。これは、非常に判りやすい。
 僕も、最小不孝社会には期待したい。思想信条をコントロールすればいいだけの話だから、みなん幸福になるチャンスがある。
 まあ、音楽倫理については、当事者の立場から、どうも戦略的な思想を持って取り組まれているようである。当事者ではない僕が、もう、あまり、どうのこうの言うのも失礼に思えてきたぞ。
 生史君については、もう、痴情のもつれだね。「さよなら」って言葉を知らない女の子に「「さよなら」って言ってないぢゃん!」と腹を立てたって、ボキャブラリーにないのだから仕方ないのでは? と野暮なことを、また言ってしまった。

2010年09月12日

尾張国分寺跡

 ツイッターの画像投稿して、なんで「あちゅら」って流行らなかったのだろう? といぶかしくなる。ここ借りるか、あちゅら借りるか悩んだことがあって、博物館や観光地の画像投稿をメインにするなら、あちゅらだろうと思った時期もあった。
 画像と、画像のタグになるような、つぶやきを入れて、それがゆるくバインドされたら、ツイッターより優れたツールだよね。あちゅらのアルゴリズムが劣っていたとも思えないし、よくいうガラパゴス化なんだろうな。一概にマネーフローの問題だけではないだろ? そんなんだったら不公平すぎる。
 まあ、掲示板借りても、こういう使い方もあるわけだし、ツイッター借りても、ツイッターとして使わない使い方もあるんだと思う。
 世界で1社とか言う、独占・寡占の状態がプラットホームには必要なところがあって、それではマーケットが死んでしまうという側面がある。
 とか、偉そうなこといいつつ、怖くて、あっちではネガティブなこと書けないの。

勤労福祉会館
文化財講演会
尾張国分寺跡~古代尾張と川の関わり~
 武蔵国の東海道への帰属、春日大社の奉斎が尾張国分寺の造営の時期と重なっていて、畿内の東国経営の再編としてとらえられるのではないか? というような話。
 畿内が東国を経営するのと同じように、東国(とくに尾張)の対畿内政策というのが、存在したように思えてしまう。たとえば、聖武の東国行幸の時の多治比真人の立ち位置なんて気になる。よく考えたら、広嗣の乱の九州には、防人が沢山いて、防人は東国の人だ。聖武は防人の故郷のノド元を通ることになる。広嗣の乱が成功すれば、即、聖武は尾張に攻め込んだのかもしれない。しかし、聖武が暴発すれば(あるいは、暴発を押さえるべく)多治比氏が黙っていなかったのだろう。
 なんか、1つのことが1次元的にとらえられないことは確かな気がする。

勤労福祉会館
文化財講演会
尾張国分寺跡~古代尾張と川の関わり~ 井口喜晴氏
20100912(日) 午後2時~3時30分

2010年09月11日

2題

おかざき世界子ども美術博物館(地域文化広場内)
~古代の人びとの造形~
古墳(こふん)とはにわ展
岡崎市外山3号古墳の出土はにわを大公開!
 思いがけず、良品に出くわす。岡崎市外山3号古墳は内部施設が縦穴系横口式石室らしい。赤くて堅い焼き物の埴輪。なんて説明したらいいんだろう? ギリギリまで高温で焼成して酸化状態を保っているような焼き具合。陶質の埴輪というと、春日井みたいに還元性の青灰色を呈しちゃうのが嫌で、断夫山、熱田・白鳥と苦心して、やっと、熱田・白鳥で赤黒い到達点にいくみたいな雰囲気に思っていたら、もっと違う現場では、容易に酸化・還元の窯内雰囲気をあつかっていたことを思わせる。
 まあ、外山3号の埴輪を、土師窯で、より高温で焼いたのか? 須恵窯で酸化性雰囲気で焼いたのか? 両論があげられそうだが、って、もう、黒斑・無黒斑という議論ではないもんな、、、

松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
帰ってきた江戸絵画
ニューオーリンズ ギッターコレクション展
 若冲、琳派、白隠、花鳥画、山水、風俗画、美人図、文人画と、そのバラエティーがすごい。音声ガイドのリストがなくて、なんで、そんなところケチるんだ? 出品リストも乱丁気味。(確かに、この方が使いやすいのか、、、)
 僕の中で、1番の見出は那智参詣曼荼羅。金銀の日月、黄土の大地、、、

おかざき世界子ども美術博物館(地域文化広場内)
~古代の人びとの造形~
古墳(こふん)とはにわ展
岡崎市外山3号古墳の出土はにわを大公開!
20100717~0912

松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
帰ってきた江戸絵画
ニューオーリンズ ギッターコレクション展
20100911~1017

重箱のスミ
20100911
『ギッター・コレクション展』 カセットミュージアム ガイドリストなし
*受付にガイドリストが1枚だけ。ガイドリストはないのが当たり前的な受け答えで、全品目録があちらにあります、という対応。1枚あれば現場でコピーは、いくらでもできるハズで、主催者サイドも「外注だから」という疎外意識は捨てて鑑賞者のニーズを1番に考えるべきなのでは?
*音声ガイド自体は、作者の概説と作品の鑑賞が、それぞれ独立していてコンパクトにまとめられていて、聞きやすかった。しかし、ガイドリストがないのと、その対応の悪さがメンタルに響いていたな。(って、まだ言うのか)

2010年09月04日

2題(グズグズ)

田原市博物館
秋の企画展
挿絵画家 宮川春汀展
・愛知県美術館所蔵作品による 川瀬巴水展
渡辺崋山と小華
 三河田原駅から歩いたんだけど入り口を忘れて蔵王山の麓まで行ってしまった。入館しても、常設展示室見忘れた。「渡辺崋山と小華」は見ていません。ショッパナからグズグズ。。。
 企画展示室2室の、1室半を使って宮川春汀。巴水は目録によると24点。画集は結構な値段するし、版画独特の味わいは現物にしくはないわけで、見応えがあった。
 宮川春汀は、渥美・福江の人。柳田国男とかと同時代の人らしい。明治時代の『少女の友』的な画風。作品だけでなく、生涯にも焦点を当てていて、「宮川春汀がいなかったら、柳田も伊良湖に来てなくて「椰子の実」の歌もできなかったろう」というキャプション。なんてタラレバ、、、

豊橋市美術博物館
すりもの展[錦絵・引札・包装紙]
-印刷物にみる豊橋の近代-
 こっちもグズグズで、本当は内田古窯? の埴輪を見に行ったんだけど展示終わってた。馬越長火の杏葉とか『白瑠璃の碗』的な文物が穂の国(東三河)にはあるような気がして、古窯の埴輪でしょ。見てみたかった、、、
 受付で「埴輪の展示終わっちゃった?」って聞いたら「出土品の茶碗の展示はやってたけど、埴輪なら、おかざきぢゃない?」って言われてしまった。埴輪と認識されない埴輪って、、、埴輪ぢゃなかったのかな?
 すりものは、地図、軍関係(地図・図会)、たばこの包み紙、引札(ちらし)、映画のちらしだったか? 豊橋という街が、どういう風にできてきたのかが判る展示。

田原市博物館
秋の企画展
挿絵画家 宮川春汀展
・愛知県美術館所蔵作品による 川瀬巴水展
渡辺崋山と小華
20100828~1017

豊橋市美術博物館
すりもの展[錦絵・引札・包装紙]
-印刷物にみる豊橋の近代-
20100828~1003