2題
名古屋市蓬左文庫
江戸の粋−尾崎久弥コレクション−
ようは江戸時代のライトノベル(耽美小説)の展示。江戸時代の西尾維新さんというと解りやすい?
現代のライトノベルというとメディアミックスという手法が多用されていて、小説の装幀というかカバーデザインにあからさまにカワイイ女の子の絵が使われて、小説が人気になるとアニメ化が決まり、アニメ化と同時進行で系列のマンガ雑誌にマンガの連載が始まる。それら全てがコレクターズ・アイテムになって、読者の側も自分に入って来やすい媒体(メディア)を選択できる特性がある。江戸時代の本の説明するのに、なんでライトノベルの説明してるんだ?
江戸時代のメディアミックスは、どっちかと言ったら一粒で何度もおいしい。
装幀は錦絵のような、まるでライトノベル。挿絵は白黒ではあるものの、挿絵というより吹き出しのついたマンガのよう。
ライトノベル好きはもちろん、江戸時代の庶民の生活に興味のある人、浮世絵・錦絵好きには必見といった感じW
徳川美術館
豪商のたしなみ−岡谷コレクション−
現在の岡谷鋼機の前身の「笹屋」の当主が集めたコレクション。
文字鏡(古筆を時代順に貼り合わせた折り本)、茶道具、屏風など堂々とした壮観さがある。
興味のおもむくままに、あげていくと、織田長益(有楽斎)の次男・八道の茶杓、利休の朝顔に関係する書状、黒織部はチラシのより沓茶碗の方が好き、伝豊臣秀吉の茶杓というのもある。ああ常設展示に青磁香炉の「千鳥」が展示されてた。個人的には砂張(さはり)の鉄鉢形の水指しというのも好き。
円山応挙の浜松図屏風は少し離れたところからみると、すごくセクシー。古筆や絵画は言わずもがな(見る目がないともいう)なので省略。
ちと、図録の抜き書きの羅列に過ぎないかもしれないが『へうげもの』好きは見に行って損はない展示だと理解していただければ・・・
松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
北斎展
京都であった巡回展? とは別系統の展示になるのでは?
まあ、手堅い展示といっていいのでは?
全点ではないけど富嶽三十六景が結構な点数あってそれだけでも壮観!
版画、肉筆、冊子、刷り物という高級な版画。
蓬左文庫とのかけ持ちがオススメ!
名古屋市蓬左文庫
寄贈40周年・徳川園80周年記念 春季特別展
江戸の粋−尾崎久弥コレクション−
2012.0414〜0527
徳川美術館
新館開館25周年・徳川園開園80周年記念 春季特別展
豪商のたしなみ−岡谷コレクション−
2012.0414〜0527
松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
生誕250周年記念 葛飾北斎美術館所蔵
北斎展
2012.0428〜0522
2012年04月28日
3題
高浜市やきものの里 かわら美術館
アール・ブリュット・ジャポネ
どちらかというと刈谷系の展示なのでは? と思ったら2005年に「アウトサイダー・アート」というネーミングで展覧会をおこなっていたという。
まずはアール・ブリュットやアウトサイダー・アートの説明をしないと、、、ようは正規の美術に関する高等教育を受けていない人の作品群。なんていうの知的に障害のある人の作品が中心になるのか?
僕は歴史に関する高等教育を受けていないんだけど僕の手法をアウトサイダー・ヒストリーというのかな?
それはどっかで僕のおごりであるのと同時に、アール・ブリュットという言葉で作品をくくってしまうことが、区別や差別の源泉になりかねないという危険性をはらんでいる。
作品自体は、表現するという欲求と、思いぐせやトラウマに近い強迫観念による造形というか1階の講堂と2階の展示室の展示なのだが、もう、すべてを見てまわるだけで、ふらふら。
作品はフランスで開催された展示の凱旋展で、以前『新日曜美術館』で紹介された作品群になる。
すすめる、すすめない以前に、そういう精神状態に学術的な興味があるかとか、お気に入りの作家がいるのか? という基準でないと見ても意味のないモノだから、いや別にどんな美術作品でも、それはそういうことなんだと思うんだけど・・・
名古屋市見晴台考古資料館(笠寺)
春季ロビー展
「尾張氏」をささえた産業
−古墳時代の鉄・塩・須恵器を探る−
資料館のエントランスというかロビーの展示だが、キャプションがしっかり作られていて、展示品以上に内容が立ち現れてくるつくり。
展示室は常設展の期間で、しっかり作り込まれた展示。見晴台遺跡の弥生時代はもちろん戦中の戦争遺跡までのクロニクル、名古屋市域のクロニクルと、小さいながらまとまった展示。
名古屋市博物館の展示で名古屋の考古学や歴史に興味を持ったら、1度は訪れてみたい資料館。
名古屋市博物館
企画展
尾張氏(おわりうじ)
☆志段味(しだみ)古墳群をときあかす
以前、ブログで紹介したんだけど、志段味のこの一族って「少治田」氏ぢゃない?(『愛知県史 古代1』三一六)
尾張戸神社ってのも「少治田」からの転訛なのでは? そう考えた方が、尾張戸の「戸」の説明がしっくりくるのではないだろうか?
なんか、ここまで書いたら、疲れちゃったので、あとは後日。。。
展示は志段味の調査成果を中心に古墳時代を概観。前期の東谷山の3古墳と白鳥塚、中期〜後期の志段味大塚などのホタテ貝式古墳、〜終末期の東谷山古墳群(群集墳)と志段味の調査だけでも十分概観できるところに、いわゆる大ナゴヤ古墳群の八幡山、大須二子山、断夫山や、墳丘が存在したのか疑問が残るが北名古屋の能田旭古墳、最後の前方後円墳になるのか? 小幡茶臼山古墳などで補強している。
志段味大塚古墳に関連して他地域のホタテ貝古墳。
大ナゴヤ古墳群の被葬者が造営主体かもしれない名古屋市域の集落遺跡・伊勢山中学校遺跡など熱田台地のヘリの所の遺跡群、春日井の古窯、味美古墳群。
少し主観的でとっ散らかった感じになってしまったが、博物館へ行って現物を見た方がしっくりくるだろう。
常設展示のフリールームも古墳時代関連なので常設展もオススメ。
もし疲れて力が出なければ、常設展示の全てを見る必要はないし、お気に入りの展示があればお気に入りの場所と、注目の資料として池禅尼(和久井映見さん)の経塚といわれる大御堂寺の資料は大河関連なので注目、あとフリールーム、フリールームの隣の甲冑の展示は『へうげもの』関連、加藤清正(具志堅用高さん)にまつわる伝説のある甲冑が展示されていた。
高浜市やきものの里 かわら美術館
パリから凱旋! 63人の日本人作家による自由で純粋な創造から生まれた芸術
アール・ブリュット・ジャポネ
2012.0407〜0603
名古屋市見晴台考古資料館(笠寺)
春季ロビー展
「尾張氏」をささえた産業
−古墳時代の鉄・塩・須恵器を探る−
2012.0424〜0610
名古屋市博物館
企画展
尾張氏(おわりうじ)
☆志段味(しだみ)古墳群をときあかす
2012.0428〜0610
2012年04月22日
2題
安土城考古博物館
湖(うみ)を見つめた王
−継体大王と琵琶湖−
個人的には副題が悪い意味で足を引っ張っているでは? という展示。
湖を見つめた王は在地の首長でもいいはずで、実際、水運や漁労の利権は、そのような在地の首長が握っていたのではないだろうか?
そう考えた時に、滋賀県内の古墳のレビューとクロニクルは貴重で、そのしばりとして時代を古墳時代中期後半から後期中頃までに限定してという意味で継体大王の名前が登場するに過ぎない。
展示自体は、滋賀県内の古墳のレビューとクロニクル、若狭の古墳、尾張系埴輪、水運としての船の説明と充実した内容。
特に注目したいのは、埴輪棺として使用されたとされる越前塚遺跡の円筒埴輪棺。東海地域で考えたら、この法量の埴輪は110m前後以上の盟主墓に使用されるのではないだろうか?
埴輪棺という特殊な用途であることはあれ、この法量の埴輪を作れるという技術・情報は継体大王という個人名を出すことなく、滋賀県内の首長がなんらかの盟主の支配の中で水運・交易あるいは漁労の利権を安堵されていたことを感じさせる。
逆に言って、この時代の滋賀県内の水稲の生産力って、どの程度なんだろう? 電車での道すがら、河岸段丘というのか、水田のフラットな面から川の水面まで、高さがあるんだよね。農閑期で水位が低いだけなのかもしれないけど、水田より畑作の方がむいてるようにも思うんだよね。
まあ、神話的といわれかねないが歴史書が記すように継体大王の擁立には、滋賀や福井の豪族の協調が欠くべからざる存在であったのは特筆を要しない事実であったであろうし、滋賀県内の埴輪を見ても、多彩な地域性が見て取れるという、それが遺跡を中心にして間近に見られるのは貴重な体験。
大津市歴史博物館
ミニ企画展
大津絵大図解
常設展示内のコーナー展示だが、大津絵の主要な画題を詳細なキャプションによって説明している。
大津絵はヘタウマ系の江戸時代にブームを起こした大津を中心に売られた絵画。低価格であったことからか庶民の土産物として定着していく。
「鬼念仏」という赤鬼がお腹に鉦(しょう)をたずさえた画題が有名なのではないだろうか?
大津絵の入門として整った展示。
安土城考古博物館
春季特別展
湖(うみ)を見つめた王
−継体大王と琵琶湖−
2012.0421〜0617
大津市歴史博物館
ミニ企画展
大津絵大図解
2012.0417〜0527
2012年04月16日
3題
奈良国立博物館
解脱上人貞慶
−鎌倉仏教の本流−
新館東館と新館西館の1室を使った展示。観覧券で西館となら仏像館の常設展示も見られるので、ある意味、お得感がある。
この特別展は、是非、音声ガイドを借りて欲しい。なぜなら、貞慶という人は、多くの法会の式次第である『〇〇講式』と呼ばれるような著述を残していて、その願文は、一種の迫力のある文章。展示の都合で願文を全て展示することもできないし、短い時間に原文で、それを読解するのは特殊な能力が必要になる。
それが音声ガイドでは歯切れのよいテンポある現代語訳で楽しめるようになっている。音声ガイドと展示のコラボレーションとして、1つの到達点にあると思う。
貞慶を一言で説明するのは難しい。一番カンタンに説明してしまえば『大河ドラマ 清盛』で阿部サダヲさんが演じる信西の孫というと、一番近しいのではないだろうか?
業績からいえば、大河の次の時代くらいに興福寺を中心に南都の復興に尽力した人。ある程度、復興が終わると南山城の笠置寺や海住山寺に隠棲してしまう、隠棲後も著述活動をしているんぢゃないのか?
貞慶没後には、その隠棲の姿からか自戒の僧の集合名詞として活躍する。最もポピュラーなのは『太平記』・謡曲『第六天』の中で〈魔〉と対峙して調伏をはたす姿は一種のファンタジーとして貞慶の超人性を語る説話が創造される。まあ、今回は展示としてはない部分なんだけど。。。
展示内容は要約するより展示そのものや『図録』で確認して欲しい。
当然、仏像は慶派、快慶、快慶一派と、この時代の一流の作家の手によるもの海住山寺の四天王像は小像ながら、仏像をつくる方針となる儀軌(ぎき)的にも、重源の復興した復興大仏殿に作られた四天王と共通するとされる。(ここの音声ガイドがいささかややこしい。形式差による順序より南都で共通の儀軌が採用され、それが『興福寺奏状』などの確執があっても保持されたことを強調するべきなのでは?)
貞慶という人物自体に少し地味さを感じる向きもあるかもしれないが、展示方針、展示内容ともに当代一流のキュレーション。これからも規模は関係なくこういう学芸活動をおこなえる場を提供することは博物館の展示水準を維持するために必要なのではないだろうか?
そうそう、なら仏像館の図録がマイナーチェンジしてた。行快の降三世明王の図録化は価値があるが、マイナーチェンジのたびに買い換える経済的余裕が僕にはない。個人的には、なら仏像館の図録は館蔵品と小牧・正眼寺の誕生仏など常時、鑑賞できる仏像を中心にして、期間で変わる仏像は割高でも四つ折りのA4(博物館だよりのような体裁)とかのリーフレットや極個人的には絵はがきで構わないと思う。あとは動線の問題だよね。新館見てショップよってなら仏像館へ行って感動して、引き返して図録買うのはマイナーといわざるを得ないのではないだろうか? なんか、いい方法があればね。
奈良県立美術館
光と影のファンタジー
藤城清治 影絵展
最近でいえば太田光さんの『マボロシの鳥』を絵本にしたことで、さらに注目を集めるようになったのではないだろうか?
『マボロシの鳥』は読んだことがないが、影絵のあの男の表情と、太田さんのトリッキーなテレビでの表情があいまって、すぐれた作品であることは判断できる。
本当に前知識なしで、影絵が美しいと言うこと以上に、ストリーが立ち現れて、我々を感動させてくれる。
キャプションも紙芝居の裏のように番号とカンタンな説明が示されていて、見る側に便利になっている。
ああ、そうそう、この奈良県立美術館と奈良国立博物館、入江泰吉記念奈良市写真美術館の3館は、いずれかの半券を見せることで団体割引がきく。
写真美術館は新薬師寺のそばで1度は訪れておきたい美術館、奈良国立博物館もなら仏像館など常設展示だけの観覧も可能なので、鑑賞計画を検討の余地アリ。
天理大学附属 天理参考館
大布留遺跡展−物部氏の拠点集落を掘る−
個人的には物部氏って尾張氏の部曲なんぢゃないかと思う。だから、石上神宮への奉斎がいつから始まるか? とか、5世紀の布留遺跡の造営主体が誰なのか? とか、今の時点では意味不明。
『記紀』に武内宿禰という人が出てくるんだけど、この人の実在は疑われている。丁度、神功皇后から応神天皇の時代の人なのか?
『先代旧事本紀』「天孫本紀」によると、この時代は建稲種とか尾綱根という尾張系の人物が活躍していたとされる。
欽明天皇が尾張氏の活躍を抹殺したのか、太安万侶が記紀のアウトラインを正当化するために尾張氏の活躍を自重したのかはよく解らないけど、なんらかの作為があって、5世紀の尾張氏の活躍については隠されている可能性がある。
5世紀の布留遺跡の造営主体は東大寺山古墳の被葬者の後裔と考えるのが適切なのではないだろうか? 和邇氏になるのか?
奈良国立博物館
御遠忌800年記念 特別展
解脱上人貞慶
−鎌倉仏教の本流−
2012.0407〜0527
奈良県立美術館
米寿記念 特別展
光と影のファンタジー
藤城清治 影絵展
SEIJI FUJISHIRO EXHIBITION
2012.0407〜0624
天理大学附属 天理参考館
企画展
大布留遺跡展−物部氏の拠点集落を掘る−
2012.0404〜0611
2012年04月08日
榊莫山展
三重県立美術館
榊莫山展
以前、伊賀に出身の人が「榊莫山さんは当たり前にすごい人で、全国的にどの程度、スゴいのか判らない」という話をされていて、そういうものかと思った。
榊莫山のような生き様の人が、スゴいのかスゴくないのかは、意見の分かれるところで、例えば荻須高徳のように、パリを第2の故郷にして骨を埋めるような生き方、故郷を離れて大成して、その状態をキープしている人を高く評価するのは、どの地域も意外に同じなのではないだろうか?
ところが榊莫山の場合、中央での大成のあと、故郷の伊賀での閑居の生活が長く続いている人を、どう評価するのかは、地域思想的な地域の歴史と文化的背景が強く影響をしている。
「あの人は中央から負けて帰ってきた」とヒキコモリあつかいする地域も少なくない。
個人的な印象的背景として、「よかいち」というお酒のCMや近鉄のデラックスシートのCM、土という字を、独特の筆致で書いているドキュメンタリーなど印象深い人物が榊莫山という人。
作風は王羲之調というのか楷書のスゴいのを12歳とか、本当に若い時に極めていて、あとはダサウマ的な「ひゃ〜〜ん」とした作風。
書というものを、市民に広めた人を失うことは、大きく悔やまれるが、それを契機に作品の保存・研究に着手され、多くの人々の目に触れられる機会は貴重。
何も前知識のなくても、しっかり見られるが、寒山拾得、松尾芭蕉など、前知識があると、ホントにエロい展示。
三重県立美術館
受贈記念
榊莫山展
2012.0407〜0520