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2012年08月11日

豊橋3題(8)

豊橋市自然史博物館(のんほいパーク内)
見て くらべて 学べる 大型哺乳類化石
でっかい動物化石
 ほ乳類を中心に、動物の分類と特徴となる部分の化石から、とくに動物の大きさに焦点を当てた展示。
 夏休みと言うこともあって、歯の化石・現生のオオカミの歯のレプリカづくりやスタンプラリーなど子供むけの企画も充実している。
 展示は図録ありなので、バックナンバーも含めて自由研究のアイディアになるのではないだろうか?
 おしむらくは脊椎動物としての骨格の要件、背骨があって骨盤、頭蓋骨・アゴ、あばらがあって腕・脚から指という概説があった方が比較が容易にできたのかもしれない。
 自然史博物館の常設もカンブリアから恐竜、猿人・原人・新人の展示が充実しており、地域の自然環境も概観できるのでオススメ。
 動植物公園部分も、行動展示が充実しておりエサやりの時間なども確認しておくと楽しめるのかも。植物園では食虫植物の企画展も。

豊橋市地下資源館・豊橋市視聴覚教育センター(プラネタリウム)
プラネタリウム
秘密結社鷹の爪 THE PLANETARIUM
~ブラブラ!ブラックホールのナゾ~
 Eテレ『ビットワールド』で絶賛放送中ということもあって、子供づれの方が多かった。満員ではないにしても、オススメの座席がある程度うまる、あのぐらいの人数がプラネタリウムの適正(もう少し増えてもいいのかもしれないが…)なのではないだろうか?
 ブラックホールは極端に大きい質量による相対性理論的な時空のひずみの話で、難しくすればいくらでも難しくなるのだが、うらしま効果を筆頭に非常にわかりやすい感覚的なたとえ話で、うまく説明している。
 投影機がデジタルの最新鋭のものなので、これまでなじんできた投影機との性能の違いが、どうしても違和感として残る。どちらにも、いい点があり金銭的に全てのプラネタリウムが即座にデジタルに変わることはないだろう。ただ、デジタルとアナログ、両方のコンテンツをコンテンツ企業が用意しないといけないのは、それはそれで負担なのかもしれない。

豊橋市美術博物館
夏休み企画展
自然と幻想の博物誌
 そもそも博物館は博物学といって、標本などをあつかう学問の展示施設として発展してきた。
 美術館は美術に特化した博物館ともいえ、〈美しい〉とか創作性の高いモノが展示される場合が多い。
 今回、「自然と幻想の博物誌」と銘打っての展示なのだが、美しいスケルトンの標本から、標本を美術的にアレンジした作品、幻想生物の標本と美術と博物学の接点を模索した作品群で展示は構成されている。(こう書くと、こ難しいか?)
 んっっっと、なんていったらいいんだ? ようはドラゴンの標本とか、美しい動植物の標本の展示である。美術館デビューとかには楽しい展示なのかもしれない。
 別に悪く書くつもりはないんだけど、愛知トリエンナーレで長者町アート活動の一翼を担っていたからではないと思うんだけど、渡辺英司氏の作品ってピンと来ない。ピンと来ないというか、渡辺氏の作品制作に対するスタンス(というか芸術に対する理論的な背景)とか、展示する為のスキルに疑問を感じる。
 ある意味「作為的なアール・ブリュット」と言ってもいいのではないかと思う。1度構築された『図鑑』を切り抜く行為自体は、知の再編集というか、編集からの解放として、みうらじゅん氏のスクラップ芸術を引き合いに出すまでもなく、ポストモダンの知的営為として評価というか、前提的に存在する手法であろう。
 しかし、それを針金に貼り付けて、床に置いてしまった時点で、作品に対して所有権を放棄したというか、『図鑑』として秘蔵されていた〈宝〉を加工してさらに〈個人的〉な〈宝〉となったものを、その感情の昇華が伝わらないまま床に置かれるのは、『図鑑』や書籍から多くの情報を得て、再編集している僕には、『図鑑』や〈編集的営為〉の冒涜にしか思えない。
 確かに展示ケースや標本箱に収めれば、冒涜感に近い違和感はなくなるだろうが、たぶん、渡辺氏の制作欲求とは調和しないのではないだろうか? 床にマットや草原のプリントをひいてはいけないのだろうか?
 アール・ブリュットが〈芸術〉である要件は、一旦作者から切り離されて、展示され、しかも、その展示方法が〈美術〉としての違和感がない場合だけなのではないだろうか? 不謹慎な言い方だが、作者の押し入れの天袋や、ゴミ捨て場に作品が存在しては、そのものが〈美術〉であることは発見されず、逆に〈美術〉と認識した人間に、そのコピーライトが移るぐらいの〈現象〉がおこるのではないだろうか?
 これはアール・ブリュットが特殊な〈芸術〉だからではなく、〈美術〉の前提としての「制作に関わる理論」と「展示の要件」が歴史的に決定づけられているのではないだろうか?
 当然、ポストモダンは、その〈歴史的背景〉を疑うことから始まるのであって、作品から愛着的所有権を放棄して、展示室の無造作な床に並べることに、存在理由が必要なはずで、それが伝わってこないのが違和感なのである。
 もう中学生氏の段ボールの小道具の裏に何も書いていないことは、〈笑い〉的な存在理由があるのではないだろうか?
 展示ケースに作品を貼り付けて、あえて裏側を見せる〈真意〉とはなんだったのだろう? 例えば仮に反転カラーコピーした像を貼ることは渡辺氏の芸術的センスには適わないのだろうか?
 そもそも切り抜くことに芸術性があるのであれば、切り抜く様子を展示すべきなのではないだろうか?

 まあ、かように〈すぐれた芸術作品〉というのは、時にわだかまり的な不信感として、見る側に多くのことを考えさせるモノなのである。

豊橋市美術博物館
F氏の絵画コレクション
~福沢一郎から奈良美智世代~
 なんか、書いてたらつかれちゃった。
 まあ「F氏」という個人コレクターのコレクション展。
 パトロンという存在がいなくなって久しいが、これからは多色刷りの版画や0号の絵画など、個人が購入できる芸術というジャンルも注目されてくるのではないだろうか?
 その中で、また別視点で注目されるのが、トレカやガチャガチャ・フィギア。こうゆうモノが美術品のカウンタになったり、美術品に手を伸ばす架け橋になったりするだろう。そういう意味で注目。

豊橋市自然史博物館(のんほいパーク内)
特別企画展
見て くらべて 学べる 大型哺乳類化石
でっかい動物化石
2012.0713〜0902

豊橋市地下資源館・豊橋市視聴覚教育センター(プラネタリウム)
プラネタリウム
★秘密結社鷹の爪 THE PLANETARIUM
~ブラブラ!ブラックホールのナゾ~
★ディープワンダー
~宇宙と深海のはるかな旅~
2012.0630〜1028

豊橋市美術博物館
夏休み企画展
自然と幻想の博物誌
2012.0714〜0819

豊橋市美術博物館
F氏の絵画コレクション
~福沢一郎から奈良美智世代~
2012.0728〜0826

2012年08月05日

2題(7)

松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
魔法の美術館
ようこそ。ここは光のワンダーランド
 コンテンポラリー・アートは観客に常に躁状態の対応を求め、その意味で、その存在は欺まんに満ちている。と訳のわからない文章を書こうとしてもどうしても言いたいことが表面に出るな。。。
 なんていうの、もう科学技術とも言わないんだろうな、センサーなどを利用して〈光〉をテーマにインタラクティブ(相互方向的)なアート活動の見本市。
 動ける格好で、家族かカップルでの来場をオススメ。対戦ゲーム感覚の展示や下をのぞき込んだり、床に寝転んだり。
 個人的には、ヘタに人出の多いトリック・アート展を見に行くより、家族づれなら、こっちの方が楽しめるのではないだろうか?(あんま、こういうこと書いても観客の出入りって変わらないんだよね)
 まあ、親が率先して楽しんで、キャッキャやらないと子供って(意外に?)シャイだから、、、
 風の原理を使うものもあるんだけど、センサー系はどこに影が落ちればどう反応するか? フェイントで1回休み的なセンサーもあるので気をつけないとね。
 キャッキャすることが苦手でないならオススメ!

名古屋市美術館(伏見)
大エルミタージュ美術館展
~世紀の顔 西欧絵画の400年
『ぶらぶら美術・博物館』などで、とりあげられていたエルミタージュ美術館展の名古屋会場。このあと京都市美術館(2012.1010〜1206)へ巡回か?
 エルミタージュ美術館はロシアの美術館で、展示はルネサンスから、バロック、ロココと新古典派、ロマン派からポスト印象派、アバンギャルドの世紀と作品を見ていくだけで、西洋のルネサンス以後の絵画史を概観でき、中野京子氏の『怖い絵』?などを参照すれば、その絵画がなぜエルミタージュ・コレクションなのかがよく判る。ちなみに音声ガイドはモデルの杏さんを中心に中野京子氏も執筆、及び声の出演をされている。杏さんの声も聞けるし(デート感覚をぶちこわしなのだが)男の人のカチッとした解説もあり、しめるところを中野先生がしめてる優れた音声ガイド。もっと『ぶらぶら』のスピンオフみたいな感じも聞いてみたいが、杏ちゃんの歌もワンコーラス?聞けるし、西洋絵画好き、杏ちゃん好きにはオススメ。もちろん入門にも。
 個人的に、すきな作品を何点かあげておこう。ダ・ビンチ派の「裸婦(9)音ガ(3)」、ゲランの「モルフェウスとイリス(57)音ガ(16)」、ヴェルネの「死の天使(58)音ガ(15)」、オザンファン「食器のある静物(88)」とかかな?(番組で紹介された有名作品は除く?)
 1番は死の天使。まず女の子がカワイイ。そして〈死〉というネガティブな題材にも関わらず、死の恐怖を感じさせない。なにか崇高な儀式のように〈死〉があつかわれている。夏のけだるさに、そんなタナトス(死への希求)がマッチしている。

松坂屋美術館(矢場町・南館7階)
魔法の美術館
ようこそ。ここは光のワンダーランド
2012.0728〜0902

名古屋市美術館(伏見)
大エルミタージュ美術館展
~世紀の顔 西欧絵画の400年
2012.0728〜0930
http://www.ntv.co.jp/hermitage2012/

2012年08月04日

挑戦状な2題(6)

京都国立博物館
古事記1300年
出雲大社大遷宮 大出雲展
 古事記1300年の冠に違わず、古事記と古事記の享受資料から風土記、風土記に対する研究と文献資料に富んでいる。熱心な解読家が多く訪れているようでなかなか本文にたどりつけなかったので、目録などを確認してお目当ての文献があればどうぞ。
 考古遺物も気をつけて見ないと関連資料も多く、東之宮の合子、大場磐雄の『まつり』に出てくる奈良・三輪山の祭祀遺物など、俺得な、それこそ〈まつり〉現象がおこる空間。
 出雲の文化財では宇豆柱や鰹木はもちろん、摩多羅神や牛頭天王など神像も注目。アシナヅチぢゃないや、老翁神が出雲タイプとして注目できそう。

 んで、帰りのバスなんだけど、混んでるのに修学旅行生がゆずりゃしない! 10年前くらいの感覚で「あと2人くらい入れるな」と思って乗り込んでも、うんともすんとも言わない。それでも、先頭付近で座席の間に身を乗り出してプレステやってるヤツはいるし、涼しい顔してスマホいぢってるヤツもいるし(激怒!)
 なんていとう公共の場におけるプライベート・スペースの問題は文化的基盤の相違に起因するんだけど、超満員のバスの中でスマホできるって、どんな田舎モンなんだよ! って、1本待てば多分、がら空きのバスだし、1台の中に修学旅行生が5組かそれ以上いたんだから、イレギュラーな状態なんだろうな。
 もっと清水とか平安神宮でなく、東福寺や醍醐寺へ行け!

奈良国立博物館
頼朝と重源
−東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆−
 すげー! まさに「かまくらクライシス」をテーマにした展示。東館と西館の1室。今年は西館・平常展押しなんだな。
 なんていうの国立博物館で、この内容で展示をされてしまうとデジタル・ミュージアムの限界を、まざまざと提示されてしまう。しかし、デジタル・ミュージアム限界に挑戦していないのも確かだ。
 個人的に『吾妻鏡』の西行が好き。なんか『カリオストロの城』のルパン三世みたいに、どこか紳士的で、紳士的であるが故にデカダンが強調されてしまう、はたして奥州の金を東大寺に持っていったのは頼朝か? 西行か? みたいな?
 展示は、南都や重源関連の遺宝はもちろん、頼朝の肖像画が3つ。個人的に神護寺に「文覚上人像」と「僧形八幡神像」があるのに、なんで「源頼朝像」でないのかよく判らない。肖像は礼拝対象であると同時に、寺院の縁起を語るためのツールでもあり、足利時代に有力な壇越がついたとしても、中興を語る縁起としての肖像画として「源頼朝像」がないのは不可思議で仕方がない。近代に焼失したとかなら別だが、前近代に、その補強もなく別の壇越像は存在しないのではないだろうか?
 あと、八幡神のコーナーが充実。有名な鶴岡の「八幡宮」の扁額が「八幡宮寺」の扁額だったとは、見落としていた。

京都国立博物館
特別展覧会 古事記1300年
出雲大社大遷宮 大出雲展
2012.0728〜0909

奈良国立博物館
特別展
頼朝と重源
−東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆−
2012.0721〜0917