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2012年12月12日

『日本の放浪芸』について考えるのココロだ!

 そうか『日本の放浪芸』に、たどり着くために、そんな紆余曲折を経ていたのか・・・
 まず、話は永六輔氏の『南無阿弥陀仏』から話は始まる。
『南無阿弥陀仏』に小沢昭一が解説を書かれていて(p176)、そこからダイレクトに『日本の放浪芸』にたどり着くのではなく、関山和夫氏『説教と話芸』という本が紹介されている。恥ずかしながら、この時、初めて関山氏を知るのだが、当時、手頃な入門書がないかと探して手に取ったのが『庶民芸能と仏教』であった。
 まあ「手に取る」と言ってもも、当時すでにネット書店の全盛期で、僕の場合はヤマト運輸のやっていた『クロネコブック』から、『Amazon』への移行期間というか、絶版系の本を両方で頼んでみるとか、けっこう嫌な客をやっていた。(ときどき入手できたりするんだよな)
 あと蛇足だが、個人的に故人は敬称略。ある人が参考文献リストで〇〇氏と表記しているのを見て、基本的には個人名には敬称を付けようというスタンス。でも故人に織田信長氏というのはなんか変でしょ? 歴史上の人物だし。そこで、もう大胆に故人には敬称略でいこう立場になりました。

 えっと、なんの話してたんだっけ? そう『庶民芸能と話芸』のなかで小沢昭一の「『日本の放浪芸』始末書」が引用(p84)されていて、ここでようやく『日本の放浪芸』の、すごさというか、存在を知ることになる。(あくまで記憶に基づいて書いているのではなく、図書購入履歴や付せんから導かれる、最も合理的な道筋を示しているにすぎないんだけど…)ちなみに「『日本の放浪芸』始末書」の引用箇所は岩波文庫版のp391。

 小沢昭一の訃報記事のなかで「民衆芸能研究家」という肩書きが附されていたが、個人的には厳密ではないと思う。放浪芸の研究者という方が適切なのではないかと思う。
 そのことに関連して『日本の放浪芸』から、対応箇所を拾えば、
「私の関心は一点、職業芸−−金に換える芸、ないしは芸を金に換えるくらしについて」(p364)
 と言及している。
〈芸〉を金に換えること、つまり衣食住に関わらない所作が〈芸〉であり、その〈芸〉が衣食住を支える金銭に変換される。このシステムが知的生命体として人間が知的営為をおこなって生きていることに直結しているのではないだろうか?
 小沢昭一の放浪芸以外の研究を含めても「人間とは何か?」「人間としての〈楽しみ〉とは?」ということを追求された方なのではないだろうか?

 5年ほど前に明治村で小沢氏の講演が催されたことがあったのだが、都合がつかずに行けなかった。桜を見たと言うより、見れなかったに風情があるとはいうけれども、とても残念なことのように思う。

 まだ小沢昭一と呼び捨てにすることに抵抗があるのは、実感がわいてないんだろうな。

ものがたり芸能と社会
 こっちは放送大学での講義をもとにした、もう少し概論的な話らしい。

2012年12月11日

小沢昭一について考えるのココロだ!

 先にことわっておくが、僕は初代・小沢昭一については知らない。
 これから話す内容も「初代・小沢昭一の語ったことなのでは?」と思われる向きもあるかもしれないが、僕の持っている本には、必ず2代目の、あとがきなり、まえがきが附されているので、これはすでに2代目に関連される事項に僕の中では含まれてしまう。

 やはり初代の真骨頂は役者としてのそれで、僕は2代目が相武紗季さんが介護福祉士か家政婦で主演のテレビドラマで、少しいぢわるなおぢいちゃん役を一度きり、あとは細木数子さんの番組で、ハモニカを吹いてたのしか覚えていない。
 もちろん『小沢昭一的こころ』はネットで聞けるので聞いていたが、ラジオで拝聴するのとテレビで見るのには、いささか違いがある。
 宮坂さん(ある意味、ラジオドラマだったのか?)も好きだけど、年末・年始に放浪芸の話を少しからめる回が好き。でろれん祭文になるのか? 犬が竹カゴをかぶって、弘法大師が「いや「笑」だ!」というのを、実演していたのが忘れられない。

放浪芸雑録』のような大著もあるのだが、ネットで目次を見ると、

第1部 私は河原乞食・考
第2部 私のための芸能野史
第3部 日本の放浪芸
第4部 放浪芸雑録

 とあるので、勝手な解釈で
私は河原乞食・考
私のための芸能野史
日本の放浪芸 オリジナル版
 の3冊を、まず買いそろえた。(今、入試困難なものもあるので、しょせん文庫なので適正価格のものを、いろいろ検索した方がいい)
 先にことわっておくが、民俗というか祭とか民衆芸能については、あまり得意ではない。ホントに、この3冊と、関山和夫氏『庶民芸能と仏教』くらいしか読んでいないし、しかも読んだだけで、実際を見にいくことは滅多にない。尾張万歳(知多)と三河万歳(安城)を数えるほどしか見ていない。
 関山先生が尾張に関係あることもあり、東海圏の芸能についても多く取り上げられている。見ないのはホントにもったいないことだ。
 そうそう写真集として『日本の放浪芸』とDVDとして現在購入可能な『小沢昭一の「新日本の放浪芸」〜訪ねて韓国・インドまで〜』があるので、喪に服さずに正月に見ようかな。鈴鹿の農家の人が集まっての三曲万歳は壮観。

 なぜ、小沢昭一の放浪芸研究に興味を持ったかといえば『日本の放浪芸 オリジナル版』を買ったのが最初になるのではないか? 『日本の放浪芸』を買う10年ほど前に知多で、活字化された尾張万歳の台本を見つけて、もう実演されてしまうと、言葉を聞き取るだけの能力が(文語だから)ないから、それが台本のカタチになると、御殿万歳でも門付けのめでたいものでも、七福神でも神仏習合的というか、仏菩薩、神祇を言祝ぎする修辞に興味を持った。
『日本の放浪芸』を手にしたのは、その影響があるのではないか?
 2007年の正月に読んで・・・と、書いててウソがあるぞ。
 2004年〜2007年くらいまでの記憶って曖昧なんだよな。皆無と言っていい。

 ちょっと思い出してみるので、今日はここまで。

2012年12月06日

大須観音展(8)

大須観音展を見るうえで事前に押さえておきたい用語集

・音声ガイドは非常にコンパクトに要点だけを伝えている。もっと内容を足すこともできるが、複数の人物名・書名などが登場して、煩雑になるのかもしれない。
・子供むけのキャプションが、かわいいイラスト入りで、簡潔に要点がまとめられている。まとめて、子供むけ(簡易版)の図録になっている。図録とのセット販売もあるので注目!

【聖教(しょうぎょう)】
 聖教は寺院に所蔵される典籍類をいう。おおまかには仏教関連の内典(ないてん)と呼ばれる典籍と、それ以外の外典(げてん)にわけられる。

【血脈(けちみゃく)】
 ある僧が誰から〈法〉を授かったかの系譜。大日如来あるいは釈迦如来を頂点として系図としてまとめられる。中世には真言宗といっても、さまざまな系譜があり、血脈を追うことで、僧同士のネットワークが垣間見える。
 キャプションの「大須観音真福寺法系図」を参照のこと。有名どころの僧と地域で活躍した僧の名前が頭に入ってくると、ぞくぞくする。

【印信(いんじん)】
〈法〉を受け継ぐ時に、現代のように勉強しただけでは完全に伝えられたと考えず、灌頂(かんじょう)と呼ばれるイニシエーションを必要とした。その時の契約書類が印信である。
 印信にある祐禅(ゆうぜん:人名)・信瑜(しんゆ:人名)の花押(かおう)と呼ばれるサインは、いわゆる明朝体と呼ばれる花押のひながたのよう。上下に横に2本線を引き、その間を埋めるような感じ。
『愛知県史 中世1』一五二一では信瑜、祐禅の花押は、紹介されている能信の花押に近い。

【東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記(とうだいじ・しゅうと・さんけい・いせ・だいじんぐう・き)】
 源平の争乱の中で東大寺が焼け落ちる(いわゆる「かまくらクライシス」)。東大寺の僧たちは再建を祈願しに伊勢神宮へ向かう。その時の記録。重源(ちょうげん:人名)や貞慶(じょうけい:人名)に関する記録(伝説が記載されているという説もある)もある。当時、なぜ仏教の僧が神道の神社に参詣したかは「かまくらクライシス」に詳しい。

【麗気記(れいきき)】
 中世の神道では『日本書紀』とならんで重んじられた典籍。
 一般に両部神道(りょうぶしんとう)と呼ばれる、神道の事がらを仏教とくに密教の教義を使って説明したものに分類される。
 なぜ神道の書物が仏教の寺院に残されたかというと、神道も灌頂の対象になっていたから。伊勢神宮などの神道の施設で、どのような知的体系で神道書が伝えられたかは疑問が多い。春瑜(しゅんゆ:人名)など伊勢神宮系の僧の名前も登場する。

【類聚神祇本源(るいじゅう・じんぎ・ほんげん)】
 度会家行の著作。抄出(しょうしゅつ)と呼ばれる以前に著された典籍からの抜き書きを中心に、記紀・伊勢神道・両部神道・漢籍・仏典を綜合的にとりあつかっている。
 まあ、書物なので博物館の限られた展示室での見開きだけでは全体像はつかめないが、絵入りの典籍については意識的に絵の部分がクローズアップされているので、初心者には、とっつきやすいつくりになっているのかも?

【遊仙窟(ゆうせんくつ)】
 桃源郷に遊ぶ男の物語。中国で作られたが、中国では失われ現存していない。大須文庫の貴重さとともに、日本人の物持ちの良さという視点でも注目を集めている。
 奈良時代の『萬葉集』に『遊仙窟』に取材した和歌が残されている。

【尾張国郡司百姓等解文(おわりこく・ぐんじ・ひゃくしょう・ら・の・げぶみ)】
 文末には「尾張国解文」とある。解文は下から上へあげる公文書のこと。当時の国司・藤原元命の悪政を尾張国内の郡司・百姓たちが訴えた体をとるが、作者には諸説ある。まあ、日本史の教科書にも詳しいよね。

【空也誄(こうやるい)】
 空也(くうや:人名)の伝記。尾張国分寺での剃髪の記事があるが、個人的には「尾張国〻□寺(カ)」くらいにしか読めない。

【紙背文書(しはいもんじょ)】
 裏紙に文章を書いて製本した場合、以前に書いた文章は本の内面に隠れてしまう。また、文書の修理の折に文字の書かれた紙を補強のための当て紙にする場合もある。
 後の時代の修理の時に、そのような裏側に書かれた文書が発見される場合がある。

【覚禅鈔(かくぜんしょう)】
 密教の修法(しゅほう)とよばれる儀式別に図像を集めた図像集。稲沢市長野・萬徳寺に禅海の書写した『覚禅鈔』が残る。一説には覚禅に仮託され著されたものと見る向きもあるが自筆本が展示されていた。別名、百巻鈔(ひゃっかんしょう)と呼ばれるが、実際、何巻あるのかは不明なところが多い。

名古屋市博物館
特別展 古事記1300年
大須観音展
2012.1201〜2013.0114