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2010年03月19日

カクレクマノミ

もし お父さんが いなくなると、
いちばん大きい子どもが お父さんになって たまごをそだてる。

 鈴木克美氏・石井聖岳氏『カクレクマノミは大きいほうが お母さん』あかね書房p16
http://www.amazon.co.jp/dp/4251011120/

 別に、カクレクマノミの生態の説明なんだけど、つい、普遍性というか、一般性を考えてしまった。
 自然誌の入門書というだけでなくて、時に子供にとって、人生訓にもなるであろう良書だよね。

2010年03月03日

「小型人類の謎」

「衝撃の発見! 身長1m・小型人類の謎」『サイエンスZERO』
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp294.html
 ちょつと偏向しているかもしれないが要約すると、インドネシアで縄文時代が始まる頃にいた原人が異様に小さくて、形態的にも猿人に近いところもあって、進化の多様性がうかがわれるというような話。
 しかし、「進化の多様性」を強調するあまりに「重層的な生活面」が、軽視されていないだろうか? パーティー間の交流のようなものをどのくらいに見積もるのかは難しいのかもしれないが、たとえば、ジャワ原人から北京原人くらいの広さでもって、原人の分布群があるとしたときに、本当にあの距離感で亜種化するだろうか?
 いや、ジャワ原人と北京原人でどのくらいの時期差があって、どのくらいの形態差があるのか知らないシロウト考えなんだけど、、、まあ、物理的な距離感より環境的な距離感の方が大事なんだろうけど、、、
 脳の容量にしたって、一度進化したものに対して、容量の問題って重要なのだろうか? つまり、男と女の間で平均的に男の方が頭が大きいから男の方が賢い的なステレオタイプではないか? もっと、ミームが存在していて、どうしてそうするのかは考えられないけど、そうするということがあるのだろうか? だから、類人猿が道具を使うというのは、道具の使用というミームを人間が教えているだけなのだろうか? 見てまねるということから、伝統は生まれるんだろうけど、、、
 結局、思うに、種とか生物学に関する価値観やタームって、キリスト教的世界観であったり、そのアンチテーゼとしてのダーウィニズムに、ガチガチに束縛されてて、実相がちゃんとみれてるのかな? と思うときもある。こういう時に、日本人でよかったと思う。

2010年02月22日

『多賀城』

『白瑠璃の碗』関連で、多賀城、調べなくちゃいけなくて、
http://www.amazon.co.jp/dp/4787710362/
http://www.amazon.co.jp/dp/4886214525/
http://www.amazon.co.jp/dp/4163693009/
 どれが、いいんだ? 県のA氏と市のH氏が同時に本出してる感じだよね。あんま適切な例えじゃないな。シリーズの方針もあるし、ううう、2冊も買っちゃうのか?
 なぜ、多賀城なのかと言えば〈征夷〉という行為が、畿内から軍事力が東国を横断するという、不思議な行為であること。
 そして、多賀城の瓦当。レクイエムである。単弁系の瓦が鎮魂の瓦として、当時、意識されていたとしたら? 蝦夷に対する鎮魂としての多賀城の存在は、考えられないだろうか。
 そして、その〈鎮魂の装置〉を作り上げた人物も気になる。瓦当の文様からすると、近江・湖南地域に、その源泉を求められるのかもしれない。近江といえば、少し時代は前になるが、多治比水守が国司をつとめていることが知られている。そして、征夷大将軍の中にも多治比縣守の名が見える。
 多治比氏の尾張での活躍を考えた場合も、小子部サヒチに対する鎮魂は大きな任務の1つであったのかもしれない。その多治比氏が〈鎮魂〉として単弁を採用し多賀城を建てたとすれば?
 壮大な歴史スペクタクルの中で、尾張や尾張氏の果たした役割、同系氏族、多治比氏の立ち位置。
 なんか、わくわくする!

2010年02月01日

大阪歴史博物館図録

「展示の見所」

 形態に対するセンスがいいのかググッときてしまった。
 常設展の図録があって、その細説が「展示の見所」という小冊子になっている。赤が~律令、青が中世~近世、近代が緑だったかな?
「とりあえず、赤いのだけちょうだい!」
 という買い方をしてしまった。みんな買った方がよかったのかな?
 あと『なにわ考古研究所』の野帳。付録に展示内容の冊子がついてて、それが僕のツボなの。ああでも、もう、こういう内容は、自分でプレゼンできないといけないよね。『新てびき』が入手できるものなら、それ準拠でQSにするか? もっと現説QSみたいなものの方が利用価値があるか?
 ああ、児童・生徒で野帳買った人は、展示内容を自分でまとめ直すような作業を野帳に書き込むといいよ。何回も大阪歴史博物館に行けるようなら、その次は、時代ごとの土器の様子を実物を見て、まとめてみよう。あとは遺跡地図をもって表採かな?(大阪市内は無理なのかな?)と書きつつ、こんなのボランティアのマニュアルの領域だよね。
 鈴鹿でも、こういうバックヤード的な施設はそろえているけど、どのくらい活用されているんだろう?

2009年12月29日

『幻の王国・狗奴国を旅する』

 赤塚次郎氏『幻の王国・狗奴国を旅する-卑弥呼に抗った謎の国へ』風媒社
 別に向こうはαなんだから、こっちで宣伝することもないな、、、
「邪馬台国のお話といえば、お決まりの西日本を中心とした物語が定番だ。(中略)ではしかし、東海以東の東日本社会は無人の広野であるのか。そんなことはない」(p30)
 なんか『芸能野史』より先に読み終えてしまった。
 遺跡の全体的な評価から墳丘墓の被葬者を論じるのは新しいのではないだろうか? 考古学の最先端の手法のオンパレードだよね。

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2009年12月23日

「リボソームの正体に迫る」

「ノーベル賞受賞! リボソームの正体に迫る」『サイエンスZERO』
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp285.html
 もう10年も前になるのか、、、『パラサイト・イブ』という映画をテレビで見て「おお! 分子生物学やりたい!」と思ってしまった。そのまま分子生物学やってたら『生物と無生物のあいだ』はネットで無料配信されてたかもしれない。(ありえない、タラレバだな、、、)
 そう考えると、独習の習慣というのは学校、出てから身についた習慣と言うことになる。図書館行って、やたらに文献をコピーするのは、やってたけど、それをあまり読んでなかった。ほんと資料を、なんとか操れるようになったのは最近のこと?(まだ操作の仕方が甘いのかも、、、)のような気がする。まあ、こんなところで謝罪するより、少しでも学術的に有用なモノを、1つでも多く出していくことが「あの時はスミマセンでした」「元気でやっています」という証なのかな? と、何でセンチメンタル。
 リボソームは細胞内にあるタンパク質を作るところ、タンパク質がDNAから転写されたRNAの情報によって作られるのは、ある程度の人が知っていることだろう。
 そのRNAを使ってリボソームがタンパク質をつくるシステムが見つかって、それがノーベル賞をとったという話。
 リボソームの細やかな格好も分かってきたから、その構造からカギになる部分をふさいでやれば、タンパク質を作らない(つまり細菌が毒を出すようなシステムを作らせない)こともできるようになるという。
 いや、ちょっと待てよ、天然物から単離された化合物なら他の部分でどのような働きをするのかも分かるかもしれないが、これからの新薬の構造って、逆に、人類未知な部分が多くはならないか? 例えば環境ホルモン的であったり、幻覚作用であったり、、、
 まあ、サリドマイドに代表されるように、人類の大きな代償の存在があって、化学的な発展というのはあるわけで、、、
 、、、やっぱ、文系はいいナ。

2009年12月19日

『国分寺瓦の研究』

 梶原義実氏『国分寺瓦の研究-考古学からみた律令期生産組織の地方的展開-』名古屋大学出版会
 おお! 1万円! ちょっとしたクリスマスプレゼントだな。論文集なのかな?
 新聞広告に『平城京 別冊太陽』の存在があって、アマゾンで調べてたら、上記の本を発見。
 便利な世の中になったモンだ。

2009年12月14日

『天上の虹(21)』

 里中満智子氏『天上の虹(21)』講談社コミックスKiss 777巻
 待望の21巻。時代は氷高、藤原宮子(聖武の母)、文武、多安麻呂の時代に、、、
 多安麻呂には、僕も思うところがあるから、それは『白瑠璃の碗』を読んでくれ、、、って、まだ書き出してもいないよ、、、『白瑠璃の碗』の取材で、また、最初から読み込まないといけないなぁ、、、いや、先入観なく『日本書紀』や『続日本紀』を読むのも1つの手だが、当たりをつける資料として参考にするのは便利(と、ダメな研究者だ、、、)『女帝の手記』の多治比氏の記事なんかは、藤原氏に対するニュートラルな貴族として描かれているので、逆に利用しやすい。(普通に作品として楽しもうよ)
『氷輪』の最初の方を読むと、

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2009年08月09日

ボビー・オロゴンの研究

 松本清張『火の路』文春文庫
 最近、文庫本の装丁というか、カバーデザインがくちゃくちゃになっている中、手堅い装丁。生誕100年の新版にあわせて、そろいの装丁なのか。。。
 これと、
 伊藤義教『ペルシア文化渡来考』
 で『白瑠璃の碗』は決まってしまうのではないだろうか?
 でもボビー・オロゴン氏が日本へ来たことの研究と、日本人がボビー・オロゴン氏からどのような影響を受けたかの研究では大きく異なる。
 つまり、ペルシアからの文物の伝来、そこから日本人は何を享受し取り込んだのか?
 管見では古墳時代の中期末から後期初頭には、ペルシアからの文物の渡来があったのだと思う。正倉院の白瑠璃の碗も、そんな時代からの伝世品なのではないだろうか?
 多くのガラス製品が古墳に埋葬される中での伝世。これは王権を保持するための呪具のように思えてくる。

 と、いいつつ「かまくらクライシス」が書きかけだったな。

2009年07月20日

はだか祭り参考文献

 佐藤道子氏『東大寺 お水取り』朝日選書852
 はだか祭りの参考文献だと思う。
 はだか祭りフリークでこの本読む人もいないだろうし、この本読んではだか祭り知ってる人も、この本がはだか祭りと関連のある本だと思う人も皆無に近いだろう。
 いや、郷土史研究家と僕の乖離というか、でも、中央史の研究者でもないもんな、僕。
 詳しくは、いづれ読んでから、、、

 でも、公立図書館っていったい何なんだろ?
 リクエストでもしてやろうかしらん。

2009年06月21日

『光の回廊』

 清原なつの氏『光の回廊』小学館文庫。
 光明子を中心にしたマンガ。
 まあ、マンガだから、、、
『阿修羅展』で仏像ブームの違和感って、文学的にいうとこういうことかーーー! と、妙に納得してしまった。
 どっぷり『白瑠璃の碗』なのでは? と、思うと、こうゆうフィクション性の高いものもふくめて、「仏像鑑賞QS」であったり「レクイエムが聴こえる」で、そのものズバリわたりあわなければならない訳で、ちゃんとわたりあえてるのか?
 あと、一緒に『水色時代(1)』を買ってしまう。表紙が無性にカワイくてさ。
 でも、コレって、オレが読んだら、児○ポル○ぢゃない? 捕まるとかないよね? 逆R指定とかあると、オレ読めないぢゃん!
 違うの! オレの中に16才の少女がいて、こういうモノを欲するの! って、病理だ。

2009年05月20日

『ダーウィン 現代思想 4月臨時増刊』

『総特集 ダーウィン『種の起源』の系統樹 現代思想 4月臨時増刊』青土社
 表紙がキレイだから買ったんだけど読めるのかな?
『人類の足跡』の原題が『アウト オブ エデン』で、日本で言った『天岩戸の研究』で日食の概説をはじめるような、日本ではあり得ないんだから、この例え、うまいのか、どうか?(英語とか英語的感覚ってわかんないし、、、)
 えっと、、、そうそう、ダーウィニストという感覚?(つづりあってる?)宗教的史観から逸脱してしまう事への恐怖というか畏怖? まぁ、わかんないこと書いてもわかんないのか、、、
 んで、読めるのか?

2009年01月31日

白瑠璃の碗

寺沢薫氏『王権誕生 日本の歴史02』
熊谷公男氏『大王から天皇へ 日本の歴史03』
渡辺晃宏氏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04』
 いずれも、講談社学術文庫。
 講談社本『日本の歴史』が、ついに文庫化。文庫になるとは、、、
『白瑠璃の碗』参考文献として。。。

2009年01月26日

「落語と私」

『私は河原乞食・考』、「付録 落語と私」の前半部分。落語体験と戦争体験のくだりは印象深い。とくにp379の「ナニモノカ」への言及は、なにか的を射ているような気がする。

演歌師

桜井:ですから、逆に露天側からいうと、これは人寄せにもなる。仲間に入れた方が得だということにもなる。すると兄貴分の頭のいいのが、「(略)俺らと、親分子分になりゃ、安全に商売できるんだ。うちの若いもんになれ。」

『私は河原乞食・考』p209
 演歌は昔、演説の歌で「演歌」だった。政治的な歌であったのがテキ屋の傘下に入る。それが、大正の頃であったという。

アウトロー

大著『病理集団の構造』は、博徒、的屋、グレン隊、土建、港湾、炭坑暴力団、壮士、院外団など「親分乾分(こぶん)の結合を基本的な連結軸として構成されるところの諸集団」について、その内部構造、活動機能、及び、これらの集団を存続せしめるところの条件について、社会学的観点から分析究明して、、、
p186
つまるところ、彼らは、体制の「病理」が生んだアウトローなのである。これは、そのまま、かつての芸能者の生まれた基盤を思い出させるのである。
p188

『私は河原乞食・考』
 親分・子分の関係で成り立つ組織にもいろいろあるようだ。
 アウトローであり、「病理集団」とさえ言われる。用語の問題とか当時の時代性も考えなければならない。

2008年12月30日

テキ屋のおこり

B:これね、もとの起こりをはっきりいうとね、大岡越前守さまが、上野東叡山でもって作ったのが一番の始まりなんですよ。さんずんっていってね。はじめゴザ敷いて商売してたんです。ほこりがかかるというんで三寸の台を作っていいって、それで、さんずんってもんが出来たんだ

『私は河原乞食・考』p171
 p178に享保廿年(1735)の「諸国商人掟極写」が引用されている。これを口伝えすると上のような内容になるのだろうか。
 p180・181あたりに香具師、乞胸(ごうむね)の細かな職種が列挙されている。
 興味を引くのは反魂丹売。「反魂丹」とは、どんな薬でどんな口上(タンカ)で売られていたのだろう。

見世物

だから、トクダシが見世物であると同時に、美術展覧会も、動物園も、花火大会も寄席も歌謡曲大会も、みんな見世物である。

『私は河原乞食・考』p101
 見せるということは見る人にあきさせない努力というのが必要で、その努力をして初めて「見世物」となる。
 と、このブログちゃんと見世物になっているのか???

河原乞食

でも徳ちゃん。ちっともはずかしがることはないぜ。そりゃ、門付けはみんなから乞食扱いで軽蔑もされたろう。しかしわれわれ芸人は−−芸能人といってもいい−−みんな昔は、乞食みたいなもんだったんだ。浮浪民だったんだ。

 小沢昭一氏『私は河原乞食・考』岩波現代文庫 20005年 P67
 書名にもつながる言及。小沢氏の芸人(芸能人)としての存在理由と深くつながるものなのだろう。

2008年10月05日

『ブルータス081015』

『琳派(りんぱ)って誰? 日本美術史上、最も華麗なる系譜。これが琳派だ! BRUTUS 081015』マガジンハウス
 美術オンチというか、永徳、宗達、光琳、写楽、、、ってなんか、違いが判らなくて、、、
 桃山文化が、そのまま元禄文化になって、町人のすみずみに浸透してゆくような。
 思想的背景(儀軌)知らなくても「キレイ!」ですまされる美術。こんな認識しかないのかな?

2008年09月07日

積読2冊

稲田智宏氏『三種の神器』学研新書
「神璽」が出てくるのに「第六天魔王譚」が出てこない。パラパラ見たかぎり、、、
 だから、神璽を勾玉と決定する過程が重要な気がして、『記紀』をあつかっていても、それは近代の比定に過ぎない。神武創業という神話から「三種の神器」を見通すことに意味があるのか?
中沢新一氏『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書
 NHKの『知るを楽しむ』の新書化。あとがきがいい。

たとえば、どういう歌手のどういう歌が、
人類の心をふるわせる「芸能の精神」に触(ふ)れているもので、
どういう歌はそこからはずれてしまっていて、
ただ芸能を装(よそお)っているだけの「アート」にすぎないものなのか

なんか難しい問題だぞ、、、

2008年08月10日

『神仏習合の本』

『神仏習合の本 本地垂迹の謎と中世の秘教世界 ブックス・エソテリカ第45号』学習研究社
 内容の厳密性という問題はあるのかもしれないが、この値段でこのような内容の、一冊での守備範囲の広さ、、、まあ、手頃な入門書と言ってよいと思います。
 もし、僕の子供の頃にこんな本があったらナ、、、
 って、感じですかね。

2008年06月29日

図録鑑賞

 図録鑑賞
 大和文華館『特別展 鏡像(きょうぞう)の美−鏡に刻まれた仏の世界−』平成18年
 鏡面に神仏を刻むことは、鏡の機能性を損なうことにほかならない。
 しかし、『神道集』の「鏡宮」の縁起に象徴されるように、当時、鏡は魔法の装置であり、人々を信心へとむけるきっかけでもあった。
 そのような、呪術的な鏡に神仏を刻むこと。
 その表裏が写真で見れるのは、うれしい。

2008年06月08日

『天の果て地の限り』

 大和和紀氏『天の果て地の限り』講談社漫画文庫。
『キトラ展』から、ずっとカバンの中に入っていた。
 中大兄、大海人、額田王の、いわゆる3人の話。
『キトラ』『尾張国分寺』『仏法の初め、』と律令づいてる。
 中世に、どっぷりつかりたいのだが、、、

2008年04月20日

『太平記』

「巻十二 千種殿竝文観僧正奢侈事附解脱上人事」(謡曲『第六天』)
「巻十六 日本朝敵ノ事」(第六天魔王譚)
「巻二十二 大森彦七事」(怨霊)
「巻二十五 自伊勢上宝剣事」(宝剣)
「巻二十七 雲景未来記事」(愛宕)
「巻三十 尊氏兄弟和睦附天狗勢揃事」(天狗勢揃)

正誤表

『第六天魔王信長』p344
誤:「正嘉年間(一二五七〜五九)」
正:「弘長年中(一二六一〜六四)」
 が、正しいように思われる。異本があるのかもしれないが、、、
 この「弘長年中」に意味がある。

2008年03月30日

せくすぃ〜

 セクスィ〜だよ、セクスィ〜。
 いかん、いかん、こんな妄想をしてしまってはいけない!

『第六天 廿三ノ五』檜書店
 を入手。
 読みやすい、くずし字に感謝。

 ここの構造がこうだから、これとは相似で、、、
 みたいな、解釈は後回しにして、その世界観にどっぷりととりあえず浸っていたい。

2008年03月27日

第六天

彌永信美氏「第六天魔王と中世日本の創造神話(上)」『国史研究(弘前大学)一0四』1998年

「第六天魔王と中世日本の創造神話・中」『弘前大学國史研究』1998年10月号

「第六天魔王と中世日本の創造神話・下」『弘前大学國史研究』1999年3月号

2008年03月02日

重源

『特別展 重源上人 東大寺復興にささげた情熱と美』四日市市立博物館 平成9年
『御遠忌800年記念特別展 大勧進 重源 東大寺の鎌倉復興と新たな美の創出』奈良国立博物館 2006年
赤川一博氏『伊賀国新大仏寺−歴史と文化財−』平成7年
『重源とその時代の開発 平成14年度特別展 重源 狭山池改修800年記念』大阪府立狭山池博物館 2002年

渥美4

沢田由治氏『常滑 渥美 越前 珠洲 日本陶磁大系7』平凡社 1989年 p106〜
愛知県高等学校郷土史研究会編『愛知県の歴史散歩(下)三河』山川出版社 2005年 p225〜
『特別展 渥美と知多・半島の中世窯〜その相似と差異〜』常滑市民俗資料館 1992年

2008年02月26日

渥美3

p154〜『開館20周年記念特別展 海道をゆく――渥美半島の考古学――』豊橋市美術博物館 2000年

2008年02月21日

渥美2

小野田勝一氏「渥美窯の文字考」『田原の文化 第23号』 1997年
小野田勝一氏「渥美焼のひらがな」『田原の文化 第25号』 1999年
『開館5周年記念特別展 愛知の中世陶器 渥美・常滑・瀬戸』安城市歴史博物館 1996年
『特別展 三河の古瓦』高浜市やきものの里かわら美術館 1998年
『渥美古窯と東大寺瓦』渥美町郷土資料館 平成11年

渥美1

稲垣晋也氏「伊良湖でやかれた東大寺瓦」『渥美の古代史をさぐる』伊良湖自然科学博物館 1981年
浅田員由氏「渥美窯の成立に関する一試論」『愛知県陶磁資料館研究紀要12』 1993年

2007年12月13日

『クリスマス・カロル』

 読みたくなる季節ですね。
 って、お菓子のカレンダーとか作る風習が日本にないのはナゼ?

2007年12月10日

読書記録2007年10

(20)中沢新一氏『三位一体モデル』東京糸井重里事務所
(19)橋本治氏『橋本治という行き方』朝日文庫
『三位一体モデル』のような装丁の『in myself』という本が出したい。2〜3年をメドに。。。
 でも、やっぱ自分を「子」の位置に置くように考えないと、いきなり自分は「霊」とするのはなんかいただけない。
 もう少し考えるともっと分かりやすくなる気もするけどね。
 で、現在、
(6)レヴィ = ストロース氏著・河田順造氏訳『悲しき熱帯II』中公クラシックス
 が、読みかけだったので読んでいる。「王の気前のよさ」が本書だったとは。

読書記録2007年9

 ゴール間近! あと、1、2エントリーで「読書記録2007年」終了か?
(16)松本郁代氏『中世王権と即位灌頂   聖教のなかの歴史叙述』森話社
(17)山本ひろ子氏『変成譜   中世神仏習合の世界』春秋社
(18)田中貴子氏『『渓嵐拾葉集』の世界』名古屋大学出版会
 まあ、とやかくはいいや。

2007年12月06日

読書記録2007年8

 7のつづき。
『王法と仏法』は、やはり、このなかに中世思想史のエッセンスがある。(当たり前ですが、、、)
『熊野考』と『王法と仏法』。とりあえず、この2冊から始まるのかな?

読書記録2007年7

 いよいよ! 怒濤の中世思想史篇って2冊。
(14)丸山静氏『熊野考』せりか書房
(15)黒田俊雄氏『王法と仏法  中世史の構図』法蔵館
『熊野考』は「馬頭観音」は、言いにくいんですがビビッと来ない。
 それよりは「小栗判官」の餓鬼阿弥の道行き。
 怪力雄剛な小栗判官ではなく、自分だけでは何も出来ない餓鬼阿弥。
 その餓鬼阿弥が、東海道を通りあの山中の熊野の湯へいく。
 もちろん、餓鬼阿弥は荷車で引かれてゆくだけなのだが、、、
 熊野という場所の力の庶民への浸透。
 それにもまして、ストーリー展開として餓鬼阿弥の道行きの場面がメインとなる「小栗判官」という物語。
「小栗判官」という物語と「熊野」という位相。
「馬頭観音」は先に『悪党的思考』を読んだからなのだろうか? 「馬頭観音」の背後に存在する先師口伝があるのだとすれば、その背景も含めて「馬頭観音」なのかもしれないが、、、

2007年12月04日

読書記録2007年6

(11)田中貴子氏『外法と愛法の中世』平凡社ライブラリー
(12)中沢新一氏『悪党的思考』平凡社ライブラリー
(13)吉野裕子氏『狐 陰陽五行と稲荷信仰』法政大学ものと人間の文化史39
 即位法なり『悪党的思考』なり吒天法なりを調べるのなら、まず、(13)の一読をオススメしたい。
 陰陽五行の転換の仕方、狐のさまざまな事項との習合など読みやすく判りやすい。

読書記録2007年5

 里中満智子氏『天上の虹(20)』講談社コミックスkiss
 太安麻呂と多臣品治の関係について「逆算」で言う所の孫の代に太安麻呂、子供の代に多臣品治が当てはまるのではないだろうか?(別に親が40才で孫の代を生むこと可能だが・・・)
(9)花里孝幸氏『ミジンコはすごい!』岩波ジュニア新書
 ホウネンエビ参考文献としても貴重。
 2つの種類のミジンコの間での相関関係。人工池などでミジンコを増やし水質浄化をはかる試み。など、
(10)小峯和明氏『中世日本の予言書  〈未来記〉を読む』岩波新書
 ここから、怒濤の中世文学モード! 

2007年11月29日

読書記録2007年4

(7)橋爪大三郎氏『はじめての構造主義』講談社現代新書
 構造主義に関する入門書。
 親族の構造。交差いとこと呼ばれるいとこのみ結婚が許される理由とは?
 神話の構造。神話は構造解析されることによって新たな物語を生み出す。
 数学的思考や単純化した図示による理解。
 さて、この本の次っていったい何なんだ???
 この辺からブログの読書記録が残っているので、書名のみまたは、完結に。
(8)斉藤英喜氏『読み替えられた日本神話』講談社現代新書
 古代から現代まで、神話は書かれたものであるのと同時に、その書かれたものを理解する行為にほかならない。
 神話はどのように読み込まれ理解され表現され直されたのか。
 近世〜現代までには脱帽。でも『もののけ姫』は、、、

 つぎは『天上の虹』から、、、

読書記録2007年3

(2)山川均氏『石造物が語る中世職能集団』日本史リブレット29
 重源、叡尊、忍性の時代。南都には伊行末(伊氏の「行」という名の末っ子の六男という意味に解した)という石工がいたという。
 現在見る宝篋印塔の原型を求める旅。
 箱根山の宝篋印塔に永仁4年の持円房祐禅(裕禅とも)という僧の名前が書かれているという。備忘録。
(4)小沢昭一氏・大倉徹也氏『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』新潮文庫
 美空ひばり、藤山一郎のところだけ読む。CDが欲しいんだけどどれが良いのか???
(5)永六輔氏『南無阿弥陀仏』ハルキ文庫
 あとがきの戦争に関する記事、ハモニカ、犬のタローは秀逸。人の思い出に良い、悪いもないものだが、戦争を知らない人間には貴重な記録。

2007年11月27日

読書記録2007年2

 今年、これまでに十数冊の本を読んできた。
 十数冊とぼかすのは、去年からの年またぎの読みかけの本が何冊かあったからだ。

 今年最初に読んだ本は、
(3)小沢昭一氏『日本の放浪芸 オリジナル版』岩波現代文庫である。
 放浪芸とは家々をまわる門付けなどを行う芸能。
 自分の話術や特技を生かして、それをお金に換えていく商売である。
 それに関連して、
(1)関山和夫氏『庶民芸能と仏教』大蔵出版
 も、興味深いであろう。
 放浪芸よりも少し広く、仏教色の濃い庶民芸能の話である。

読書記録2007年1

 今年から読書記録を付けてみた。
 システム手帳の週間カレンダーに、
・今読んでいる本
・購入した書籍
・読みたい書籍
 を書き加え、週末の行動を記録したものである。
 今から、それを見ながらうろ覚えなことをまとめてゆく。

2007年11月22日

正誤

『『渓嵐拾葉集』の世界』p201
誤:(3)『夢想記』……
正:(3)『真福寺善本叢刊 中世日本紀集』(臨川書店、二〇〇〇年)

誤:(7)笹本正治氏……
正:(7)『神道大系 真言神道』下巻(神道大系編纂会、一九九二年)

 単なる編集ミス。

2007年09月21日

『橋本治という行き方』

真の自由とは、「正解がひとつではない」ということ―――

『橋本治という行き方』朝日文庫 帯

「完璧な人生」と聞いて、極端な選択性のなさを感じた。
 それはそれで仕方のない事なのだろうが、、、

2007年09月16日

『三位一体モデル』

キリスト教は、(略)とにかくこの三つの原理を「聖霊 = 増殖力」「子 = 幻想力」「父 = 社会的な法」と言いかえて、「三位一体」という教義(ドグマ)をつくりあげたわけですから、キリスト教には良い悪いを超えた強さがあります。

『三位一体モデル』p102
 ようは職人的というかトリッキーな「聖霊」とよばれる部分が増殖をするというようなお話。
「父」にあたる「社会的な法」の欠如みたいなことが後半の座談会で指摘されているが、著者は日本社会における「父」の存在価値の違いによるものと指摘している。
 そもそも、「聖霊」に人間が介在していると言うことにそもそも問題があるのでは? というのは「聖霊」という言葉に引っ張られすぎているのかな?

2007年09月10日

『変成譜』

阿部泰郎氏「神々の図像学ノート   諸社の絵解き」『国文学 解釈と鑑賞』1987年9月号
山本ひろ子氏「宇賀神王・その中世的様態   叡山の弁財天信仰をめぐって」『神語り研究 第三号』1989年 春秋社

2007年09月04日

「肖像画としての後醍醐天皇」

黒田日出男氏『王の身体 王の肖像』平凡社 1993年

未購入、入手不可。

2007年08月29日

真宗美術

 井上光貞氏『日本浄土教成立史の研究』山川出版社 1956年
 重松明久氏『日本浄土教成立過程の研究』平楽寺書店 1964年
 石田瑞麿氏「末法と浄土教」『浄土教の展開』春秋社 1967年
 未購入。

『中世の勧進聖と舎利信仰』

 中野堯氏『中世の勧進聖と舎利信仰』吉川弘文館 2001年
 未購入。

2007年06月22日

積読2題

阿満利麿氏 訳・解説 『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう) 法然の教え』 角川ソフィア文庫
 なんか、いいよね。

佐原真氏ウェルナー・シュタインハウス氏 監修 『ドイツ展記念概説 日本の考古学〈普及版〉(上)(下)』 学生社
 いよいよ出た! 普及版。

2007年05月10日

『宝暦治水』

牛嶋正氏 『宝暦治水−歴史を動かした治水プロジェクト』 風媒社

 未購入だが、なんかタイトルに惹かれた。経済学の先生らしい。