群像論として
2009/06/07 (Sun) 09:49:52
ここまで、だいたい理解できただろうか? ここまでをおさらいし、発展させる意味合いで、少し別の視点から考えてみよう。
仏像群を群像としてみてみよう。
もちろん、1体で、そのものズバリというのもあるだろう。2体でワンセットの梵天・帝釈天、3体は三尊像、4体は四天王、5体は五大明王など、発展させて、6体は六地蔵(六道輪廻の象徴)、7体で七薬師、8体は八部衆(阿修羅など、釈迦の眷属(けんぞく = つきそい))、9体は九体阿弥陀(阿弥陀如来の9つのすくいのあり方を象徴)、10体は十大弟子(釈迦の10人の弟子。羅漢)、12体は十二神将(薬師如来の眷属。時間、空間を象徴)、13体は十三仏(初七日、三回忌など、人間の死から先のことを象徴)、25体で二十五菩薩(阿弥陀如来の来迎(らいごう = 極楽からのおむかえ)の時につきそう菩薩)、28体で二十八部衆(三十三間堂の阿修羅。千手観音の眷属)、33体で三十三観音(観音の33種類の救いのしかたの象徴)、、、
1体1体のイコノグラフィーも大切だが、群像としてとらえられる諸尊群も仏像を認識する手助けとなる。
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