鎌倉複雑系2
慈円は親鸞の剃髪の時の師匠であったと伝えられている。
親鸞といえば法然。慈円は法然を「陰でかばい大きく包括する思想的余裕と理論体系をもっていた」(『王法と仏法』p54)らしい。
法然の弟子筋で興味を引くのが東大寺の復興をなした重源。快慶も阿弥陀仏と自称していたとすると専修念仏と深いつながりが感じられる。
南都と言えば「興福寺奏状」を著して法然を批判した解脱上人貞慶。南都・北嶺をひとまとまりとみれば、この時代の専修念仏に対する法難はなんとも南都・北嶺の内輪もめのように感じてしまうのは、少し考え方が甘いだろうか?