談義所
そうした学僧の学問の場が談義所である。醍醐・高野・根来など中央の大寺院ばかりでなく、真福寺のような各地の談義所を拠として、学僧は諸国を往来し聖教を携え交流しつつ学問を形成する。
談義所は、中世の〈知のネットワーク〉の結節点となり、聖教以外に和漢の典籍も唱導と幼学の具として備わり、「仏教文学」の一基盤となった。
「中世 仏教文学」p115
不勉強で「談義所」が、どのように寺院に付属して、どのようなシステムを持っているのか知らない。
ようは、禅海が祐禅を師匠にして、さまざまな法流を甚目寺町・阿弥陀寺を中心に学ぶという、その場のことなのかな?