「時代と寝た女」と寝た男(たち)論2
〈寝る〉という言葉は生殖行為を意味するのではない。
〈寝る〉とは、もっとマジカルなこと。
都市伝説的な呪術的行為とでも言おうか?
「時代と寝る」という慣用表現は、単にプロデューサーと生殖行為を共有することによって仕事を得るというような因習からの一次元的な発想とは考えない。
それは、つまり、〈王〉が〈王〉となるために行うイニシエーションにおいても〈寝る〉ことが一つの所作として存在しているように、もっと根の深いトリッキーな意味合いを含むのである。
では、「時代と寝た女」と〈寝る〉ことが、「時代と〈寝る〉」ということに直結するのであろうか? 深く考えなければならないテーマではないだろうか?
しかし、逆に「時代と〈寝〉ていない」ということも言えないのかもしれない。
つまり、〈「時代と寝た女」と〈寝る〉こと〉によってオピニオンリーダーとして地位を獲得したとして、その地位を裏ざさえするものは、はたして何なのか?
一次的な当事者の問題としてのみではなく、二次的な享受者の立場からの見解も必要となることなのかもしれない。
(結局、水戸さんにお会いせずに書いてしまった、、、)