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このように「子供が自由であったのは単に幼くて、その行為に責任がなかったというだけでなく、子供たちに一種の神聖なものがあると考えられていたためであると思われる」(1−一五〇)ともいい、「神聖な童子」(4−六五〇)にも言及しているのである。
網野善彦『異形の王権』平凡社ライブラリー p53 この年になって『異形の王権』を初読というのは、なんとも恥ずかしい。 子供の神聖さについての言及。
投稿者: かがっち 日時: 2008年05月18日 19:58 | パーマリンク | 地域思想史