鳥の眼、虫の眼
2009/06/19 (Fri) 11:12:43
いよいよ、最後になるのか? 社寺参詣曼荼羅(しゃじさんけいまんだら)の説明である。社寺参詣曼荼羅とは社寺の建物の様子をえがき、その中に参詣者を表現する図像の総称である。
社寺参詣曼荼羅も絵解きの系譜につらなるモノだと思う。一番有名なのが「熊野比丘尼(くまのびくに)」ではないだろうか? 那智の参詣曼荼羅や熊野観心曼荼羅(くまのかんしんまんだら)とよばれる図像をたずさえ(持ち運ばれるので、これらの図像では掛け軸でも、図像に折りじわの残るモノがある)各地で絵解きをおこなう聖(ヒジリ)あるいは芸能民である。
社寺参詣曼荼羅の系譜について私見を少し述べておこう。社寺参詣曼荼羅は現在の略縁起のようなモノの源流なのではないだろうか? 社寺で発行される社頭図、伽藍図などは、社寺参詣曼荼羅のようなモノの影響下でうまれてくるのではないだろうか? そのような版画、刷り物は地誌と出会い、名所図会(めいしょずえ)のような絵入りの地誌となる。逆に、名所図会にえがかれる社寺の様子から、社寺参詣曼荼羅のようなモノを復元できるのではないだろうか?
いかん、いかん、「鳥の眼、虫の眼」の話をせねば、、、
社寺参詣曼荼羅を見るとき、一番に目に入ってくるのは「黄色」のイメーヂである。これは黄土(おうど)と呼ばれる大地に関する観念とかかわる。また、空には太陽(金、または赤で表現される)と月(銀、または白)が同時に輝いている。社寺参詣曼荼羅は、実際の社寺の様子を描いているにもかかわらず、それは理想化された観念としての寺社なのだ。(時に損失した建物を、あたかもあるように表現するのはそのためである)社寺参詣曼荼羅を見るとき、我々が、まず、おこなうのは、全体を概観する、つまり「鳥の眼」で社寺参詣曼荼羅を見てみることである。
つぎに「虫の眼」は、参詣者、1人1人のように、細かい場面を、それぞれみてゆくことである。それは、社寺の縁起にかかわる故事であったり、それぞれの堂社の利益を図示する場面であったりする。
と、偉そうに書きつつ『聖地の想像力』って、読んでないんだよね。書評、見て買って、テレビを見て、それから何にもしてないな、、、本の山の中だな、、、
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