熊野
たとえば、『保元物語』という本を読んでみる。……久寿2年(1155年)、熊野に参詣した鳥羽法皇は、「明年の秋のころかならず崩御なるべし。そののち世間手のうらを返すごとくなるべし」という、熊野本宮の託宣をこうむった。果たして、翌、保元元年の夏、法皇不豫となり、7月2日に逝くなった。そして法皇の長子崇徳院(当時、新院という)と次男後白河帝とのあいだに、法皇崩御ののち「わづかに7箇日の」うちに、「保元の乱」が勃発し、わが国における古代から中世への一大転換、未曾有の「内乱」時代の幕が切って落とされることになった。……「保元の乱」という歴史的事件に、理由はとにかくとして、熊野が事件そのものに、その内的構造として必然的に入りこんでいたということもないとはいえないのではないか。……私の頭のなかを、熊野が熊野としてあばれはじめるのである。
丸山静氏「馬頭観音」『熊野考』p8
〈熊野〉は、場所であり神であり、それらをも大きく包み込むような構造のようなものなのかもしれない。
その〈熊野〉が、歴史を突き動かす引き金となる。そんな一瞬。
それは、『物語』という虚構のなかの出来事なのだろうか?
まず第一、『物語』は虚構なのだろうか?
引用が少し下手だが、ぐっと引き込まれる段落。