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「長寛勘文」

「長寛勘文」について、

このとき諸家の奉った勘文をすこし覗いてみると、この筆者たちの頭のなかでは、伊勢も熊野も朦朧としてほとんど区別がつかなくなってしまっていた。それはとりも直さず、彼らの権力をいちばん根底のところで支えていた《聖なるもの》(Le sacré)が、もはやなにがなんだか分からないものになりつつあったということにほかならない。

「馬頭観音」p16
〈中世日本紀〉のような再編成がおこるきっかけをみるような。気が、、、