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2008年04月20日

神爾

(神爾は)すなわち第六天の魔王の印の判。日本の天皇の持っている、三つの古い工芸品の一つといわれある印判。

『日葡辞書』『第六天魔王信長』p332
『日葡辞書』にも、神爾は第六天魔王の印判であるとの言及があるという。

2008年04月10日

後白河院

この言葉を住吉の神から聞いた院は、「そもそも天魔とは何者か。それは人か、畜類か、あるいは修羅道の族か」と尋ねる。

『源平盛衰記』『第六天魔王信長』p254
『延慶本平家物語』の記述のような記憶があったが、要確認。

2008年04月07日

天魔

天魔は、正しくは他化自在天子魔(たけじざいてんしま)といい(『智度論(ちどろん)』)、略して天子魔とも天魔ともいう。他化自在天は、いうまでもなく第六天のことであり、天魔とは、まさにこの第六天の眷属(けんぞく)の魔の異名なのである。

『第六天魔王信長』p239

2008年04月06日

ヴィシュヌの開闢神話

「原初の水の中にまどろむ」「ヴィシュヌの(へそ)から生えた蓮華の中に座しているのが梵天」という宇宙の開闢神話。

また、ヴィシュヌの開闢神話は、ほぼ完全に同じものが、たとえば両部神道(りょうぶしんとう)書などの中で、日本の神々と結びつけられて語られている。

『第六天魔王信長』p188
 ヴィシュヌの開闢神話が神道書という位相で語られるという。

〈魔〉

仏教では、第六天に見られるような思想を妄見(もうけん)として(しりぞ)け、妄見を心に吹き込む邪神を「魔(マーラ)」と呼んで調伏(ちょうぶく)の対象とした。釈迦が悟りを開くために菩提樹の下で瞑想に入ったとき、彼の前に現れ、執拗に誘惑したのが、このマーラだった。けれども、釈迦はマーラの誘惑をことごとくはねのけ、「無上の悟り」(ボーディ・菩提)を開いた。
マーラとは、すでにお気付きのように、特定の神ではない。それは、われわれの生理そのものに宿り、無意識の底にうごめいている盲目的な力そのものを意味している。

『第六天魔王信長』p176p177
「魔(マーラ)」に対する言及。〈魔〉をしりぞけるために「菩提」が必要であるという所に注目したい。

第六天

一言で云えば世に所謂(いわゆる)天魔と云う者はこの第六天の民衆である。この天の王が第六天の魔王である。……第六天は悪魔の住所ではなるが、(ただ)しこの悪魔になるには上品(じょうぼん)十善(じゅうぜん)を修し、かなり高等の禅定(ぜんじょう)を修行しなければならない。

 和田鉄城氏『淫祠(いんし)と邪神』『第六天魔王信長』p174
 第六天は六道輪廻中の天上界に位置し、そこの住人になるにはかなりの仏道修行も必要としたらしい。

愛宕

であればこそ、天満大自在天と同じように、死んでのち、日本の王権を転覆しようと企てていると考えられた怨霊は、みな愛宕に集うという『太平記』に見られるような観念も生まれたのである。

『第六天魔王信長』p131
 怨霊や、天狗、〈魔〉のようなものが愛宕に集うという言及。

『太平記』「巻二十七 雲景未来記事」(『第六天魔王信長』p260)

2007年11月22日

三種の神器

『渓嵐拾葉集』、

この巻四に、三種の神器をめぐる不可思議な秘説が存在する。いずれも三種の神器を蘇悉地、金剛界、胎蔵界に当てはめるといったような極めて仏教的な文言である

『『渓嵐拾葉集』の世界』p181
 金胎不二を象徴する蘇悉地が挿入される所に台密的な色彩を感じる。

2007年11月03日

神道および和歌

この章は、神道および和歌などが混在する。学者は謹んでえらぶべきではない。

『渓嵐拾葉集』吉祥院南渓蔵本(第一冊識語) 『『渓嵐拾葉集』の世界』p58

『渓嵐拾葉集』のなかで、神道と和歌が混在しているという。
 和歌の始まりは神代のことであるというのが中世の世界観としてある。
 神道もまた神代から始まる。
 神道と和歌。共通する部分はいかなるものか?

2007年08月15日

「『日本書紀纂疏』の「三種神器」論」

二藤 京氏「『日本書紀纂疏』の「三種神器」論」『國語と國文學 平成19年3月号』

 この辺ついに来た! という感じ?

『神道史の研究 遺芳編』

久保収氏『神道史の研究 遺芳編』皇學館大学出版部 平成18年12月

平泉隆房氏「久保収著『神道史の研究 遺芳編』書評」『神道史研究 第55巻第1號』 平成19年4月

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参考文献

阿部泰郎氏「中世神道と中世日本紀」『神道宗教 第二〇二号』「第59回学術大会シンポジウム 中世神仏文化の点と線−真福寺の神道書と伊勢神道−」2006年4月
近本謙介氏「説話集における神祇 僧侶による参宮話とその周辺」『国文学解釈と鑑賞 平成19年8月』「特集 = 説話文学の魅力を探る−その黎明期から盛行期」至文堂

2007年08月02日

大日の印文

伊藤聡氏の解釈によると、「海底の印文は鑁字であり、その上に築かれた大地は阿字なるが故、胎金不二の密教相応の大日本国であると説明」、「鑁字は五大のうちの水大の種子、阿字が地大の種子でもある」とされる。

 伊藤聡氏「大日本国説について」『日本文学50-7』2001年 『中世王権と即位灌頂』p170
 大日の印文が「鑁字」であるという出典。
 でも、「したたりが大地になりそう」という時に、つまり阿字が存在しないうちも水の気だから鑁字でいいのだろうか? と思ったりも。。。

2007年06月28日

〈中世日本紀〉の世界

背景
輪郭
分類

2007年06月04日

『日本紀』研究略年表

時代年代歌学書神道書日本紀注
平安1100綺語抄  
1110俊頼髄脳  
1130奥義抄  
1140童蒙抄  
   信西日本紀抄
1180袖中抄  
  古今集序註 日本紀歌註
鎌倉  宝基本紀 
1240色葉和難集  
1270 神祇譜伝図記 
  倭姫命世紀 
  御鎮座伝記 
  御鎮座本紀 
  神皇実録 
  天口事書 
  神名秘書 
  御鎮座次第記 
  大和葛城宝山記 
  麗気記 
1300  釈日本紀
1320 類聚神祇本源 
 三流抄  
1330  旧事本紀玄義
   元々集
南北朝1340  神皇正統記
1360 神代口訣 
室町1400  日本書紀私鈔
1410  日本書紀第一聞書
1420  日本書紀私見聞
   日本書紀取意文

本表は大略を示すに止まる。
従って成立を示す年代も概ねの時期であらわし、年代不明も推定の位置に置いた。
書目は特に必要と認めたもの以外は、本論中引用の一部に限った。

「中世日本紀の輪郭」p1234
『元々集』の位置は微妙? あるいは、神道書でもいいのかも。(不確か、、、)

2007年06月03日

「中世日本紀の輪郭」

一 はじめに
二 「日本紀云」「日本紀に見えたり」
三 『日本紀』・『古今集序注』
四 日本紀の家「三種神器事」
 (1) 天神七代
 (2) 天瓊鉾・第六天魔王
 (3) 大和・あしびき
 (4) 鶺鴒(セキレイ)・和歌のはじめ
 (5) 月読
 (6) 蛭子
 (7) 素盞烏尊の反乱・ちはやぶる
 (8) 天岩戸
 (9) 手摩島(てまじま)・湯津の爪櫛
 (10) 天照太神・素盞烏尊の共為夫婦
五 『日本紀』研究略年表・兼員仮託説
六 まとめ

2007年05月26日

「長寛勘文」

「長寛勘文」について、

このとき諸家の奉った勘文をすこし覗いてみると、この筆者たちの頭のなかでは、伊勢も熊野も朦朧としてほとんど区別がつかなくなってしまっていた。それはとりも直さず、彼らの権力をいちばん根底のところで支えていた《聖なるもの》(Le sacré)が、もはやなにがなんだか分からないものになりつつあったということにほかならない。

「馬頭観音」p16
〈中世日本紀〉のような再編成がおこるきっかけをみるような。気が、、、

2007年04月30日

中世の智

もはや今のわれわれにとっては捨て去った塵芥にも等しいものであろう。しかし、その塵芥を堆肥として咲き出た花の美しさは賞でるのである。何故その花が咲いたのか、その美しさのゆえんは、それを咲かしめた土壌の質を問題にせざるを得ないであろう。

「中世日本紀の輪郭」p1216

2007年04月24日

『熱田の深秘』

伊藤正義氏「熱田の深秘−−中世日本紀私注」『人文研究 第31巻9号』1979年 大阪市立大学
伊藤正義氏「続・熱田の深秘−−資料『神祇官』」『人文研究 第34巻4号』1982年 大阪市立大学
阿部泰郎氏「熱田宮の縁起−−『とはずがたり』の縁起語りから」『解釈と鑑賞 第63巻12号』1998年

2007年04月15日

第六天

「第六天」『謠曲大觀 第3巻』p1767 佐成謙太郎氏 昭和6年
 荒筋は、大神宮に参詣した解脱上人が第六天と出会い、素戔嗚尊が第六天を打ち破るというもの。
『太平記』巻12に出典があるとする。

2007年03月27日

〈中世日本紀〉

伊藤正義氏「中世日本紀の輪郭」『文学1972.10』岩波書店

2007年03月15日

海幸山幸

『三宝絵』巻上・四「精進波羅蜜」は、『大唐西域記』『六度集経』に出典を持つ説話で、飢えた民に施しをするため、王子の大施太子が富貴を生み出す如意宝珠を求めて竜王の宮殿へ旅立つ、という説話である。いうまでもなく、皇孫の誕生前史を語る重要な『記紀』の逸話(いわゆる「海幸山幸」と呼ばれる話)に酷似している。

『外法と愛法の中世』p91
「海幸山幸」の類話として備忘録。

2007年03月13日

王権への結縁

 どうやら、第六天魔王譚にも、
 在地系縁起「伊勢太神宮縁起 第六天」と仮称される伊勢神宮の縁起としてのものと、
神爾の縁起譚のように王権を支える役目をする「王権神話(仮) 第六天」と仮称されるようなものが〈中世日本紀〉という同じ位相でくくられていないだろうか?

 同じ説話内容を持つ事によって結縁(リンク)のような、、、

2007年03月12日

第六天魔王

第五 日本国の事
二神ともに夫婦になり1女3男をお産みになり、国のあるじになさろうとすると、
第六天の魔王が、この国を打ち破ろうとしたので、
太神は魔王の心をなだめかね、おん妹の渡津神のひめという形よくいらっしゃるのを魔王にあたえて、
「国が定まったといっても、全く仏法を流布させない」として心をおとりになった時、
日本国を天照太神に奉りになった。
譲状を神爾という。今の内裏の重宝である。

『古今和歌集灌頂口伝』『中世古今集注釈書解題 第五巻』
 田中貴子氏 『外法と愛法の中世』 平凡社ライブラリー p66
 二神はイザナギ・イザナミであろう。

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2007年03月06日

〈未来記〉は日本紀

『〈未来記〉を読む』の後半に散見される「〈未来記〉は日本紀」というフレーズ。
〈未来記〉は未来記というのも頭かたそうだけどありのような。
国史のことを〈日本紀〉と呼び、〈日本紀〉としてとらえる時代性、感性。
「日本紀曰く」の〈中世日本紀〉とは、ニュアンスが少し違うような、、、

2007年02月26日

『竹取物語』

考えるべき事ではないかもしれないが、『竹取物語』の転写関係について一言。
・中央で生産された『竹取物語』、
・在地で生産された「富士宮縁起」と言ってもいいような在地系の『竹取物語』
ふた通りあるように思えてくる。それと「日本紀曰く」とされる〈中世日本紀〉の位相。
考え出すと、ドツボにはまるような、、、

『神道集』

日本記 「鹿島大明神の事」および「御神楽の事」「富士浅間大菩薩の事」の条に見える(略) 『無名抄』の「小野とはいはじの事」の条に業平二条后の事をあげて、「此事又日本記にあり」とある(略) 『定家流伊勢物語註』(慶應義塾大学図書館蔵)に六カ所引用している『日本記』も『日本紀』とし無関係の、中世説話的内容をもつ。
「覚満大菩薩の事」註 東洋文庫p154 『神道集』にも〈中世日本紀〉が散見されるよう。

2007年02月23日

『竹取物語』

文保本系統の『聖徳太子伝』に竹取の翁、かぐや姫の話が挿入されるという。(『〈未来記〉を読む』p73)
『竹取物語』は「日本紀曰く」で語り出される〈中世日本紀〉でも語られる。(斉藤英喜氏「竹取物語も「日本紀」?」『読み替えられた日本神話』講談社現代新書p83)

また、『神道集』にも「富士浅間大菩薩の事」(東洋文庫p165)として『竹取物語』を語る。
この場合も「詳細は『日本記』に載っている」と〈中世日本紀〉の体裁をとる。
ちなみに反魂香(はんごんこう)がストーリー中で重要な働きを持つ。

天岩戸

天照大神が天岩戸に籠もり、世間が暗闇になった時の話。

宝誌和尚は日月の恩徳は三世(さんぜ)の諸仏に勝るという詩頌を唱えると、天照大神が岩戸から出て日月の光があまねくゆきわたる。

真福寺蔵『日本紀三輪流(にほんぎみわりゅう)
『〈未来記〉を読む』p67

宝誌和尚は顔が割れ中から観音の姿が現れる木像で有名。『野馬台詩』の作者とされる。
「諸仏に勝る」というカタチで諸仏。そして、当然、天照大神。

『日本紀三輪流』については、『中世日本紀集 真福寺善本叢刊7』参照。

2007年02月21日

天魔

日本中の天魔が集まって、山の大衆(だいしゅ)に入れ替わって、(後白河)院の御灌頂(かんじょう)をお止め申し上げたのです

延慶本(えんぎょうぼん)『平家物語』
小峯和明氏『中世日本の予言書−−〈未来記〉を読む』岩波新書p42