王法・仏法
だから、「王法・仏法」というときの王法とは、実際には国王(天皇)や世俗諸権門の権力と秩序、その統治をいい、仏法とは、現実の社会的・政治的勢力としての大寺社ないしその活動のことにほかならなかった。つまり、王法仏法相依とは、単に仏教が政治権力に奉仕することをいうのではなく、仏教が社会的・政治的に独自性を帯びた勢力を形成しながら国家全体の秩序の構成原理のなかに入りこんでいる政治と宗教との独特の癒着のしかたを意味していたのである。
「王法と仏法」『王法と仏法』p27
仏教(仏法)というと「世間虚仮」のような現実世界と距離を置くようなイメーヂがある。(なんとなく『王法と仏法』の史観に引っ張られながら、、、)
しかし、中世にそのような世俗をさけるような部分は一セクションでしかなく、古代以来の「鎮護国家」の思想を強く受けながら、「王法と仏法」のように王法と対比される勢力を大寺社は持ち得た。
いわゆる「僧兵」のように政治権力を力ずくで動かすような事が多くおこなわれていたという。