第I部第五章結
天皇が一人という前提に対し、寺家によって、複数ある真言系即位法の伝持や蓄積が行われていたということは、被即位者としての「天皇」の存在を、寺家が印明を介して握っていたことを示している。即位法の存在形態からみると、「天皇」は、必ずしも一種類の価値体系に基づく王権保持者たる天皇ではなかった。つまり、真言宗寺院で伝持された即位法の動向は、法流レベルで異なる王権観を担い、さまざまな説を展開し、最終的に自己の法流にとって最強の「天皇」を生み出す修法であったと考えられる。
『中世王権と即位灌頂』p148
こう結論づけるからこそどうなるのか? と聞きたくなったりする。
しかし、「最強」の語に異論が差し挟まれるように、はたしてこんな単純な結論なのだろうか?
天皇その人の周辺。天皇、摂籙(とくに二条家?)、御持僧など天皇とパイプラインのある寺家。
一人の王が即位する場合、有職故実的に事が進むのであれば、物知りに事の次第を尋ねるのではないだろうか?(この辺、論理的な言葉を知らない)
そんな場合、摂籙に伝持された即位法は存在しなかったのか? その時々の釈家とのつながりによってさまざまな法流が返伝授のようなカタチで摂籙に持ち込まれたのだろうか?
寺家に残る「即位法」は、天皇の即位のみの修法なのだろうか? 「即位法」を用いる外法のような修法はなかったのだろうか?
久しぶりに、ゴチャゴチャ書いたな。