読了感
『中世王権と即位灌頂』の読了感。
やはりこのくらい気鋭な考え方でないとドク論は無理なのかな、、、
というのが読了感であったりする。
王法・仏法相依から、ミトラ・ヴァルナを乗り越えミトラ・ヴァルナを統合するモノ、そしてその先を見すえてという大胆な立地点。
王法・仏法相依こそがあるいはヴァルナ的なモノの根源かもしれないという当たり前すぎる考え方の僕には考えられない仕事だ。
形式分類から、明 = 真言の吒枳尼天や聖天のような外法的な〈聖なるモノ〉からさまざまな仏に祝福されて王になるような明に変化しているということ。
印の〈聖なるモノ〉としての智拳印から四海領掌印という中世王権観にそうカタチの発明。
なんか「即位灌頂」の何が面白いのか判らなくなるような結論になってしまう。
この問題を、どう自分の問題として捕まえ直すのか? まぁ、こんな所ですか。