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権者と実者

中世には多彩な神観念が生まれ、成熟していったが、その中に「権者(ごんしゃ)」「実者(じっしゃ)」という類別があった。権者の神が仏菩薩の垂迹であるのに対し、実者の神は本地物を持たず、垂迹形(すいじゃくぎょう)のみで、しかもその姿はしばしば龍蛇形で示された(本書III−2−[2])。権者にくらべて明らかに低劣な位置にある実者なのだが、中世ではむしろ、実者の神こそが神祇信仰のダイナミズムを担い、先導していった感がある。なぜなら、衆生を済度するために穢悪(えお)の塵にまじわるという〝和光同塵〟なる神の使命は、衆生の劣機を表象する実者においてこそもっともよくそのリアリティが発揮されるはずだから。蛇形。それは三毒((とん)(じん)(ち))の体現である愚癡なる衆生の似姿なのだ。

『変成譜』p123
 中世の神観念、「権者と実者」についての説明。少し長いが引用。