談義所
談義所とは関東だけでなく肥後国などにも作られた、僧を対象とする教育機関である。もっとも古い談義所の例は、建治二年(一二七六)の信濃国津金寺談所であるという。ただし、談義所は必ずしも天台宗に限るものではなく、真宗でもこの名を用いる寺院はあった。また、関東のすべの天台寺院が談義所というわけではなく、中世の関東寺院は僧正寺、談義所、一般の寺院の三つに大別できるという。僧正寺とは、住持が僧正に任命される慣例があるのでそう称され、談義所よりは格が高いとされるが、僧正寺でも初心者の教育はさかんに行われており、機能上談義所とほとんど区別されない寺も多い。
『『渓嵐拾葉集』の世界』p87 注番号略
「談義所」とは、寺院の格式の高さの一つのランクであるとするというような一文。
一つの談義所の人員構成は、能化は原則として一人、所化は四〜五十人であったという。
『『渓嵐拾葉集』の世界』p93
談義所では教師を「能化」、学僧を「所化」と呼んだそうである。
「談義や行、聖教の書写」を行って学習をしたという。