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西行と崇徳院

それはとにかく、西行が縁者の赦免のために、直接崇徳院と交渉できるほど信頼されていたことは、心にとめておいていいことだ。p211
我拝師山の庵室と、讃岐の院の旧蹟(きゅうせき)と、白峯の御陵が、やや東北に向かって一直線に並んでいるのは、深い考えがあってのことに違いない。西行はこの庵室から日夜朝暮に白峯を遙拝(ようはい)し、院の怨霊(おんりょう)を慰めようとしたのではあるまいか。そんなことはひと言もいってはいないが、自然の風景は何よりも雄弁に西行の心の内を明かしてくれるようであった。p239

 白洲『西行』
 西行をとりまく時代。この時代を語るのに崇徳院のことを語らずにはすまないだろう。
 とくに、西行は北面の武士として活躍し、年の近かった崇徳院とは格別の関係があったという。