義経・西行と伊勢・陸奥
義経が伊勢大神宮に詣 でたことは、『吾妻鏡 』文治二年三月十五日の条に明記されており、(中略)その年、というのは文治二年のことだが、西行は東大寺再建の勧進のため、陸奥の国へおもむき、その途中、鎌倉によって頼朝にまみえている。それは五ヵ月ほど後の八月十五日のことで、西行と義経と伊勢の三郎が、同じ時に伊勢の国におり、同じ頃奥州へ旅立ったということは、偶然の一致とは思えないのである。
白洲『西行』p251
西行の大神宮参詣は、直接、東大寺大仏の勧進にかかわる行為と考えてもよい。
義経のそれは、どう解されるのであろう?