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西行の大神宮参詣

榊葉(さかきば)に心をかけん木綿(ゆう)しでて
思えば神も仏なりけり
深く入りて神路の奥を尋ぬれば
又うへもなき峯の松風
これらの歌が神仏習合の思想のもとに詠まれているのはいうまでもないが、西行は本地垂迹(すいじゃく)説(仏が神の姿を仮りて衆生(しゅじょう)を救う)という宗教上の理念を歌に飜訳(ほんやく)したのではない。神路山の奥深くわけ入って、自然の神秘にふれたことを素直に詠むことによって、その歌の中から神仏は一つのものという信仰を得たといえるであろう。神仏習合とは、いわば彼の内部で行われた一つの劇であり、その発見の(よろこ)びがこのような歌に結実したのである。賀茂では僧侶(そうりょ)の身を遠慮して、末社にしか詣でなかった西行が、はるかに禁忌のきびしい伊勢大神宮では、何(はば)かることなく堂々と参詣(さんけい)しているのは、神主たちの援助があったにしても、自分で納得しなかったらよく(な)し得なかったと思う。

 白洲『西行』p255
 2首の西行の歌と少し長いがその解説。
 我説を展開するのは少し後にまわして、まずは引用のみ。
 この2首の解釈で、多分、中世が自分の中で生きた時間として動き出す。
 神仏習合の概説書では多く引用される歌なのだろうが、ここに来て、やっとその歌が解釈できるようになった。
 ヒントじみたことを言ってしまえば「複雑系」という、このキーワードにつきるのかも。