新仏教への非難
このころ『野守鏡』や『天狗草紙』に見られるような一向宗時宗の徒や禅僧に対する非難が著しく高まる一方、文観の場合に見られるように、禅律僧を積極的に肯定する風潮もまた著しかったのである。
注53『異形の王権』p252
新仏教という言い方は近代になってからつけられた言葉で、当時の感覚はもう少し複雑なように感じる。
例えば能役者などは「阿弥」号を持つ時宗(時衆)であるとか、寺の勧進にかかわる僧は禅律僧が多いだとか、(なんか書いてて意味不明になってきた)
つまり、時宗や真宗、禅宗、律宗、西大寺派などは、なんか、その場の文脈で読まなければならないような気がするというか、、、意味不明。