本朝に於けるオナニーの歴史
『耀天記』という書物に、女が鏑矢(かぶらや)をひろい、それを床にさして眠ったら身ごもった、という話が出てくる。なんともセクシャルな内容に思うのは僕だけだろうか?
注目されるのは、主人公が女性であること、矢という棒状のモノを男性あるいは男根の象徴としていること。仮に矢を男根の象徴と考えた場合、妄想されるのは、男根により女性が満たされるというイメージであろう。主人公が女性であることは、当時の性に対する意識をなにか反映しているように考えられる。
実際、この物語の担い手を男と考えるか? 女と考えるか? 男性とすれば、この主人公の女性は、なんらかの理想化を経ていると考えなければならないだろう。
まあ、この物語から「当時の人はオナニーでも妊娠すると考えていた」とするのは、飛躍に過ぎるだろう。
同様の内容の物語は『山城国風土記逸文』(『釈日本紀』)の「賀茂社」の縁起として語られる。
『古事記』には大物主神(おおものぬしのかみ)が丹塗矢(にぬりや)に化けて女性の陰部を突き刺し、女は、その矢を持ち帰り床の辺に置いたところ、たちまちに、麗しき男性となり子をもうけたとある。(角川文庫p83)
オナニー史を考えるには複雑な内容だろう。このような物語に整合性を考えるのはおかしいのかもしれないが、女は陰部を突き刺した矢を見初め、床に持ち帰ったとはいえないだろうか?
しかし、1人でおこなうことも、2人でおこなうこともさほど区別がなかったとも考えられる。
時代は下るが『袋法師絵詞』の存在も考えさせられるモノがある。内容は「ある高貴好色な尼君が女房たちと謀ってある僧侶(法師)を袋に入れて御殿に運び込みこれと密通するというもの」とされる。
しかし、あの袋から出た男根は、男性なのだろうか? 女性の性欲を満たす道具にしか過ぎないのではないだろうか? まあ、この物語の担い手の性も注目しなければならないのだろうが、、、
つまり、本朝においてオナニーは禁忌の対象ではなかったのではないだろうか?
だから、満足できなかったら、自分で慰めればいいんだよ。(って、これが言いたいだけの文章だったのか、、、)
いや、逆に伴侶のいる時の方が性に対して不満がたまるって、誰か言ってた気がして、ああ、満足させるために、ひからびさせてしまうのも申し訳ない(いったい何目線なんだ?)気がしてきて、こんな内容です。
この文脈で、「縄紋時代には石棒という祭祀具があって」という話を聞くと、「どんな祭祀をやってたんだ?」と思ってしまう。SMショー? と思ってしまう。でも、たぶん「石棒は淫具」という説はないんだよね。ぼかしはいらないし、博物館に平気で並べてあるし、ああ、教科書に載ってるよね。