防人と征夷
いや、今年1年何やったのか? と思って、今年の1月のエントリ見てたら、
「ああ、結局、ホッケな1年だったのか↓↓」
と、イヤになっちゃう。
防人のこと考えてて、防人の1人ひとりが感傷的なのは、先の大戦に対するアンチテーゼと『萬葉集』の影響だよね。
しかし、東国の軍事力がミヤコを通って、西国に向かうというのは、あるいは、東国の独自性を保つ、1つのシステムのように思えてきた!(いや、まだ、なんの下調べもしていないのだが、、、)
まあ、こんなこと僕が考えることではなくて、軍事史の専門家がやればいいことのような気もする。
つまり、東国の軍事力が「畿内」のクビモトを通って、西国に行くのだ。
いったい、こんなことが畿内から要請されたことなのだろうか? 東国から? 西国から?
逆に言えば、征夷大将軍は畿内の軍事力が東国を通るのか?
これも、厳密に誰の何の目的の要請で始まったのか? その位相の吟味は大切なことに思えてきた。
まあ、多治比氏のような氏族が征夷大将軍であれば、畿内の軍事力なのか、東国直属の軍事力なのか微妙になる。(多治比氏の位置づけは、そこで正しいのか?)
しかし、藤原氏が征夷大将軍になった場合、軍事力の移動だけで、一悶着あったことも簡単に想像されよう。
まあ、この辺も『白瑠璃の碗』の課題になってくるのか?
では、よいお年を、、、