『幻の王国・狗奴国を旅する』
赤塚次郎氏『幻の王国・狗奴国を旅する-卑弥呼に抗った謎の国へ』風媒社
別に向こうはαなんだから、こっちで宣伝することもないな、、、
「邪馬台国のお話といえば、お決まりの西日本を中心とした物語が定番だ。(中略)ではしかし、東海以東の東日本社会は無人の広野であるのか。そんなことはない」(p30)
なんか『芸能野史』より先に読み終えてしまった。
遺跡の全体的な評価から墳丘墓の被葬者を論じるのは新しいのではないだろうか? 考古学の最先端の手法のオンパレードだよね。
ハードカバーの装丁からすると学○社のあのシリーズを意識しているのだろう。そうすると読み込む上で注意すべき点は2点だろう。
(1)自分の知識を総動員して、内容が正しいかどうか吟味すること。
(2)この本がファーストインプレッションとなったときに、起こるであろう化学反応。(児童・生徒・学生にとって良書か?)
まあ(1)は普通の読解だろう。しかし(2)は、なかなか難しい。
あの『古鏡』や『古墳の話』を読んだときのドキドキ感。あれを超える良書に僕はまだ出会えていない。そして、また、僕は成長?して、あの時の僕ではないのだ。まあ、しかし、内容の新旧、入手のしやすさからいえば『幻の王国・狗奴国を旅する』を勧めるであろう。(『古鏡』の新版は実は図版がね、、、)
しかし、なんで古墳時代前期に入ったとたんに、こ難しい観念に入り込んでしまうんだろう? 案外、尾張に古墳時代前期の良質な集落遺跡が少ないのだろうか?
あとは、この本の次の時代を考えた時に尾張では青塚茶臼山の2人目の埋葬があるまで畿内的なハニワが採用されないのではないか? 白石氏のいう「畿内的要素を持った墳丘墓」が「古墳」なら、尾張には青塚茶臼山の2人目まで古墳はないのかもしれない。(タームの使い方が不適切なのかもしれないが、、、)それは、どの地域でも同じことがいえるのだろうか?
しかし、狗奴国が大和王朝に参画しているのに地元での、この冷ややかな態度は何なのだろうか?
ふと、その煮え切らなさが、あの観念なのかもしれないと思ってしまう。