「・」にまつわる、おもしろ話
一色青海遺跡からは溝は出ないはずだったのに出ちゃったね。でも、環濠とは言えないのか? いかん! 調査担当者の権限の領域に入ってしまう。オフレコ、オフレコ。
一色青海遺跡のとなりに、「野口・北出遺跡」があるんだけど、その野口と北出の間にある「・」について、柳原可奈子ちゃん的に学術的に興味深い話を1つ。
ふと見た感じ「一色青海」には「・」がなくて、「野口・北出」には「・」があるのに気づくだろう。一色青海の言葉の意味は「一色という比較的、広い地域の中の青海という場所」という意味になる。「野口・北出」の場合は「井堀にある野口という場所と北出という場所」という意味で「一色」と「青海」の関係性と「野口」と「北出」の関係性では微妙に違うことが判るだろう。かくして野口と北出の間には「・」がつくのである。
また、別の場合を考えよう。学術論文というのは提出する雑誌によって字数が厳格に決められているのはご存じだろうか? そういう学術論文を書く場合、複数の遺跡をできるだけ少しの文字数で表現したくなるのは必定。人によっては「○○遺跡と××遺跡では」のような表現を「○○・××遺跡では」のようにつづめて書くことがある。では「一色青海遺跡」と「野口・北出遺跡」では、どのようにつづめるのか? 「一色青海・野口・北出遺跡」では、「一色青海遺跡」と「野口・北出遺跡」なのか「一色青海遺跡」と「野口遺跡」と「北出遺跡」なのかが曖昧になる。このことを嫌って「野口・北出遺跡」の「・」をとって「野口北出遺跡」とする場合がある。手元に考古学や稲沢の歴史に関する資料をお持ちの方はご確認ください。「野口・北出遺跡」は、どのように表現されていますか? もし混在するような資料があれば、上のような経緯を知らずにつくられた資料かもしれません。そんなのバッタモンだ!
僕なんか、こういう所に研究者の人間味みたいのを感じます。なんか1つのバロメーターみたいに思うんだよね。遺跡を命名した研究者側につくのか? 学術論文に合理性を求める研究者側につくのか? みたいな。
野口・北出、須ヶ谷、一色青海、跡ノ口などの遺跡を含めて「井長谷・一色遺跡群」といいます。この「井長谷」と「一色」の間の「・」は、上のような経緯を踏まえて、おもしろいからつけてあるんですよ。命名者が言うんだから間違いない?