寸評
初乗りの 熱田の宮に 夫婦かな
初乗りの 熱田の宮に 人の列
一般に考えた場合、2句目までが同じと言うことになれば、つきすぎの感が否めない。
2句とも良句ではないと考えるか、とるにしても、どちらか1句にするのが妥当であろう。
両句の難点を挙げれば、初乗りの電車なり自動車が着眼点なのか、熱田の宮での作句なのかがはっきりしないというのが、両句に共通の難点。例えば初句を「初乗りで」と代えるだけで大きく違うことに気づくだろう。
前の句は夫婦で行ったのか、夫婦を見たのかがはっきりしない。前者なら初句を「夫婦して」のように作句すれば、斬新な句になろう。後者であれば、初詣の人混みの中で、どう夫婦と弁別したか? あるいは、人混みのない時期に初詣に行った理由を句の中に盛り込むと良句となろう。
後の句は、初詣のあの人混みを「列」とは、考えられない。列は一定の規則性のもとに整然とした人々の並びをいう。初詣の、あの人々に規則性があるとは考えない。民草、人波、人混みのような語を用いるのが適当ではないだろうか?
つまり、この2句を添削するとすれば、
夫婦して 初乗りをして 熱田まで
初乗りで 夫婦のおそき 宮詣
初乗りで 熱田へ向かう 人の波
まあ、「熱田」を「「生丸火」田」など異体字を用いたり、「伊勢」と場所を変えてしまうだけで、句の雰囲気は大きく変わる。
また、「熱田」は「熱田社」が古い表現。