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「ファルスの哀しみ」

『稲澤文化博物館(仮称)』
開館準備企画展
ファルスの哀しみ~副題未定~

 某国の治安を邦人の死によって知る。まあ邦人はジャーナリストなんだから、当たり前に自己責任の死な訳だが、その死に対してのコメントに、某国の〈治安〉を維持すべき組織について疑問を感じる。某国の〈治安〉は政府に求められるべきで、銃弾がデモ隊のものであったにせよ政府には〈治安〉を維持する義務というのは存在しないのか? まず〈治安〉が維持できていない事を詫びるべきではないのか? 「オレのせいぢゃない」と主張するのが政府の役割なら、そんな政府、はたして必要なのか? いや、そもそも、そう言う政府だから〈治安〉が守られていないのか? 別に、その国の人ではないので、どっちでもいい話なのだが、、、
 まあ、今回の企画展も音楽評なのだが、音楽評なんてやっても、僕には一銭の得にもならない。あんまりやりたくもないのだが、、、それでも音楽評をしなければならないのは、音楽評をきちんとできる人が皆無という状態が久しく続いているからで、それは、音楽好きの音楽評で学生時代をこぢらせて、音楽ライターになって営利目的で、音楽評を始めてしまうと、どうしても、評がマネーフローに流される向きがあるわけで、そのことに対して、どんなに慟哭したって、音楽評そのものが定位置に戻るわけではない。
 もっと、ポップミュージックの享受者が、イコノロジーに近い領域で、音楽を鑑賞し評価し、そして、さらなる享受を行わなければ、結局、大衆音楽は、営利目的の商品な訳だから、正しく〈音楽を楽しむ〉という状態にはならないだろう。
 いささか、前置きが長いわけだが、明日、フラゲしたら、本題に入っていきたい。
 まあ、何が「ファルス(farce = 道化劇)」で、何が「哀しいのか?」は、おいおい。。。