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『三位一体モデル』

キリスト教は、(略)とにかくこの三つの原理を「聖霊 = 増殖力」「子 = 幻想力」「父 = 社会的な法」と言いかえて、「三位一体」という教義(ドグマ)をつくりあげたわけですから、キリスト教には良い悪いを超えた強さがあります。

『三位一体モデル』p102
 ようは職人的というかトリッキーな「聖霊」とよばれる部分が増殖をするというようなお話。
「父」にあたる「社会的な法」の欠如みたいなことが後半の座談会で指摘されているが、著者は日本社会における「父」の存在価値の違いによるものと指摘している。
 そもそも、「聖霊」に人間が介在していると言うことにそもそも問題があるのでは? というのは「聖霊」という言葉に引っ張られすぎているのかな?