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2007年12月29日

俳句

茜空 雲流れゆく 年の瀬、夕

2007年12月27日

俳句

かすれゆく 飛行機雲や 暮れ易し

2007年12月13日

『クリスマス・カロル』

 読みたくなる季節ですね。
 って、お菓子のカレンダーとか作る風習が日本にないのはナゼ?

2007年12月10日

映画等

(1)『さくらん』
(2)『蒼き狼〜地果て海尽きるまで』
(3)『しゃべれどもしゃべれども』
(4)『東京タワー』
(5)『監督ばんざい』
(6)『パッチギLove&Peace』
(7)『大日本人』
(8)『舞子Haaan』
(9)『ヱバンゲリヲン新劇場版・序』
(10)『エディト・ピアフ』
 とりあえず、列挙。

読書記録2007年10

(20)中沢新一氏『三位一体モデル』東京糸井重里事務所
(19)橋本治氏『橋本治という行き方』朝日文庫
『三位一体モデル』のような装丁の『in myself』という本が出したい。2〜3年をメドに。。。
 でも、やっぱ自分を「子」の位置に置くように考えないと、いきなり自分は「霊」とするのはなんかいただけない。
 もう少し考えるともっと分かりやすくなる気もするけどね。
 で、現在、
(6)レヴィ = ストロース氏著・河田順造氏訳『悲しき熱帯II』中公クラシックス
 が、読みかけだったので読んでいる。「王の気前のよさ」が本書だったとは。

読書記録2007年9

 ゴール間近! あと、1、2エントリーで「読書記録2007年」終了か?
(16)松本郁代氏『中世王権と即位灌頂   聖教のなかの歴史叙述』森話社
(17)山本ひろ子氏『変成譜   中世神仏習合の世界』春秋社
(18)田中貴子氏『『渓嵐拾葉集』の世界』名古屋大学出版会
 まあ、とやかくはいいや。

2007年12月09日

「怨」

 今年を代表する一字といえば「怨」なのかな?
 あまり、いい字では無いのだろうけど、、、

「白雲の城」を知ったのも、こんな季節だった。
 なぜ急にこんな事を言い出すのだろう?
「きよしのソーラン節」の歌詞のすごさ、素晴らしさに驚いたのだ。
 今年の一曲はこの曲かもしれない。
 その曲を歌い込むことなく、歌いこなすという、このすごさ。

 やっぱ、すごいな。。。

2007年12月06日

読書記録2007年8

 7のつづき。
『王法と仏法』は、やはり、このなかに中世思想史のエッセンスがある。(当たり前ですが、、、)
『熊野考』と『王法と仏法』。とりあえず、この2冊から始まるのかな?

読書記録2007年7

 いよいよ! 怒濤の中世思想史篇って2冊。
(14)丸山静氏『熊野考』せりか書房
(15)黒田俊雄氏『王法と仏法  中世史の構図』法蔵館
『熊野考』は「馬頭観音」は、言いにくいんですがビビッと来ない。
 それよりは「小栗判官」の餓鬼阿弥の道行き。
 怪力雄剛な小栗判官ではなく、自分だけでは何も出来ない餓鬼阿弥。
 その餓鬼阿弥が、東海道を通りあの山中の熊野の湯へいく。
 もちろん、餓鬼阿弥は荷車で引かれてゆくだけなのだが、、、
 熊野という場所の力の庶民への浸透。
 それにもまして、ストーリー展開として餓鬼阿弥の道行きの場面がメインとなる「小栗判官」という物語。
「小栗判官」という物語と「熊野」という位相。
「馬頭観音」は先に『悪党的思考』を読んだからなのだろうか? 「馬頭観音」の背後に存在する先師口伝があるのだとすれば、その背景も含めて「馬頭観音」なのかもしれないが、、、

2007年12月04日

読書記録2007年6

(11)田中貴子氏『外法と愛法の中世』平凡社ライブラリー
(12)中沢新一氏『悪党的思考』平凡社ライブラリー
(13)吉野裕子氏『狐 陰陽五行と稲荷信仰』法政大学ものと人間の文化史39
 即位法なり『悪党的思考』なり吒天法なりを調べるのなら、まず、(13)の一読をオススメしたい。
 陰陽五行の転換の仕方、狐のさまざまな事項との習合など読みやすく判りやすい。

読書記録2007年5

 里中満智子氏『天上の虹(20)』講談社コミックスkiss
 太安麻呂と多臣品治の関係について「逆算」で言う所の孫の代に太安麻呂、子供の代に多臣品治が当てはまるのではないだろうか?(別に親が40才で孫の代を生むこと可能だが・・・)
(9)花里孝幸氏『ミジンコはすごい!』岩波ジュニア新書
 ホウネンエビ参考文献としても貴重。
 2つの種類のミジンコの間での相関関係。人工池などでミジンコを増やし水質浄化をはかる試み。など、
(10)小峯和明氏『中世日本の予言書  〈未来記〉を読む』岩波新書
 ここから、怒濤の中世文学モード! 

絶叫マシーン

 最近、絶叫マシーンに多く乗るようになった。
「死」というか、恐怖と隣り合わせにいないと、なんか生きている感じがしなくなっている。
 アイツを放し飼いにしているのも、その為。
 でも、アイツは私に噛みつくことはなかった。
 私はアイツの口元に手を差し出す。アイツは私の指先を舌でなめる。
 その光景を私は見つめる。アイツの口元から牙が鋭く光る。
 私に電流のような快感がはしる。

崇徳院

 今生で会えないのだから、
 何度でも何度でも生まれ変わって、
 今生と同じような目に遭わせてやる。

 だから私は、今、全てのものを終わらせないの!

 平成の崇徳院だね。最近では出色の言葉。
 いや、言葉らしい言葉というのが、これだけなのかな?
 泣きそうになって、いや、「リムジンぢゃないの!」と言おうとして、「いや、リムジンと認識してしまうと、逆にリムジンを認めてはしまわないだろうか?」云々って、だからもう聴きたくない。

 不遜にも励起しようと思ったんだけど励起になってない죠。

2007年12月02日

逆算

 乙巳の変(645年)に15才として、
 壬申の乱(672年)に42才。
 当時の年齢観では、決して若くない年齢。
 十代半ばの天武天皇の皇子達の活躍、天武天皇の行動からすれば、
 42才なら、最前線には向かわないはず。
 大宝年間(700年前後)で考えると、70才前後となる。

 その子供が、20才(650年)の時の子供として、
 壬申の乱(672年)では22才。
 脂ののりきった年なのだろうか?
 大宝年間(700年前後)で50才前後。

 その孫は、壬申の乱で2才、大宝年間で20才。
 この辺は誤差がだいぶ大きいように思われもするが、、、