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能因の数奇

だが、みちのくに歌枕を尋ねたのは、西行だけではなかった。尋ねただけではなく、あらたに作りだした人もいる。それは一時代前の能因(のういん)(九九八〜一〇五〇以後)で、みずから見聞きした名所旧跡を丹念に集めた『能因歌枕』の著作もある。彼の数奇者ぶりは、例の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」の歌によって知られている。能因はこの歌がいたく気に入ったので、ただ発表したのではつまらないと思い、長い間家にかくれていて、真黒に日焼けしたのち、奥州へ行脚(あんぎゃ)して詠んだと披露(ひろう)したのである。だが、専門家の研究によると、この逸話の方が虚構で、能因は実際に奥州へ旅行したというのだから面白い。伝説は(うそ)かも知れないが、能因の「数奇」を伝えている点では真実なのであり、時には作り話の方が、人間の本質を語る場合は多いのである。

 白洲『西行』p148
 長いが能因の数奇ぶりの逸話の引用。