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「明けない夜はないと願う事」は罪ですか?

 本丸にメスが入ったからといって安心できるのだろうか? 小罪を罰して大罪を罰しない国家があるだろうか? 別件でひっぱっといて、そのままというのもあるし、拒否れば、即だし、、、ヒヒヒ
 そんなことより、真面目に『太平記』も読んどかないと、、、
 さて、法隆寺・金堂、唐招提寺・金堂、東寺・講堂は、釈迦如来から大釈迦である毘盧舎那如来、法身仏の究極である大日如来への信仰の変遷をうかがえるのだが、本尊は薬師如来というのが、この時代を通じて存在する。

 時代的に東寺・金堂、神護寺、延暦寺・根本中堂などは護国の意味合いの強い薬師如来ではないだろうか? さてはて、この薬師如来の「護国」の意味合いは、どっから、やってくるのか? 唐招提寺・金堂の薬師如来を説明するのに、その疑問が残る。
 唐招提寺・金堂の中央の3体を考えていて、東大寺、新薬師寺、法華寺という並びは興味深い。毘盧舎那如来、薬師如来、観音(法華寺は十一面観音)というのは唐招提寺・金堂と一致する。新薬師寺は聖武天皇の眼病平癒の為に建てられたという縁起を持つ。
 似たような、縁起を持つのが薬師寺。天武・持統天皇の病気平癒の縁起を持つ。あの本薬師寺の位置は気になる。藤原京を考えた場合、本薬師寺は「西」に位置し、薬師如来の「東」というイメーヂを考えれば本来は大官大寺の位置に薬師寺があるのが自然だと思うのはうがちすぎだろうか?
 しかし、大官大寺の場所を考えた場合、そこは「小子部」の場所なのである。「レクイエム、、、」的な要素による忌避を感じるのは病理的だろうか?
 ひるがえって、新薬師寺。外京のはずれの南側。これは「小子部」の位置に相当するのではないだろうか? 確かに東大寺が若草山の麓近くにあり、東大寺より東を意識すれば、新薬師寺は、あの位置しかありえないのかもしれない。このことには十分な考察が必要だろう。(なにげに『白瑠璃の碗』の表にいきつくとは)
 天皇の病気平癒を祈ることは薬師如来の利益と密接にかかわっている。これが飛躍的に転じて「玉体の安寧を祈る」というような意味合いが附加されたとすれば薬師如来の「護国」的性質も説明できるのかもしれない。
 その点で注目できるのは御伽草子の「さざれ石」(岩波文庫)でないだろうか? その荒筋は「玉体の安寧を祈る」事のくずれた構造を示しているようにも思われる。
 この話、「中世神話」的な広がりもあるような気がしてて、なんか、ここ20年やって来たバラバラな事柄が、ここに来て、なんか一本に収れんしていくような不思議な感覚に襲われている。