尾張国分寺論
史跡指定はお作法の話だから、僕にとっては、そこに遺跡があるって事の方が重要で、まぁ、なぜもっと早い段階で史跡指定されなかったのか? っていうと、それは発掘の技術的な話だから、一般の人に話してもよくわかんないと思う。
でも、史跡指定の範囲が限定的だと「尾張国分寺」 = 「指定の範囲」と誤解されかねないので、ここで少し尾張国分寺の境内地、そして尾張国分寺に付随するモノを考えてみたい。
まぁ、地域思想史的見解だから考古学ではわからないのかもしれない。
境内地の推定については、科学的根拠があるのか? ってことが一番、ネックになるのかもしれない。でも、外科的な調査(発掘)をしなくても現在の地形の検討から、あのような結果を導いたのは重要なのかもしれない。
(まぁ、検算は僕の仕事ではないから、、、)
あとは、寺域南側の遺跡群だろう。堀之内花ノ木遺跡、大縄遺跡は今後、注目される遺跡だろう。
堀之内花ノ木遺跡は尾張国分寺の大勧進施設が存在する可能性がある。
大勧進とは、寺院の俗的な部分 = 経済的な部分をつかさどる施設だ。
その中でも注目されるのは、倉庫である総柱建物群だろう。
また、大縄遺跡では西大門のような施設、極楽往生を祈る祭儀の空間が存在するのではないだろうか?