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2題

 その後、文化の日関連で、あづまぢリンク内をだいぶなぶったので、文字化けもある程度、大丈夫と思います。
 近鉄に乗ってて三輪山のあたりで、ああ「山装う」という季語があるけど、万緑の濃い緑が翳る今のような山並みのことを「山装う」と言うんだよね、多分。
 完全に山の木々が色づくのは、立冬を過ぎてからで「紅葉」とか「銀杏」って実際、どのくらいの時期に句作をすべきか考えてしまう。暖冬の影響でこうなったのか、もともと、季語自体が先取りになっているのか? と、こんな事を考えるのも三輪山の影響なのである。
 去年、立冬すぎてからだったんだろうか? 山々が色づく頃、三輪山を、やはり車窓から見て、その山が常緑の山であることに気付く。なんか、霊性のあらわれを感じるんだよね。常緑の山だからこそ、三輪山は神の山なんだと思う。そこには人間の手が加わってる気がするんだよね。縄文人が植樹して弥生人が霊性を見いだしたのか、古墳時代の巨大なモニュメントなのか、もっと、新しい時代の作為なのかは判らないけど。。。

大阪市立美術館
道教の美術
 なんかカップル見ると蒼き狼にみえて仕方がない。(いや、何かを探しているとか深い意味はないから)
 ついつい「QSでどこまでいけるんだ!」みたいな、見方で見てしまっていたので、その広大な資料に圧倒されてしまった。音声ガイドが借りれなくて、自分で内容も反芻できなかったので、図録の力をおかりして、、、
(1)中国の道教、(2)古代日本と道教、(3)星宿・禅・民間信仰、(4)道教のひろがり
 と、大まかに分けてみたい。
 まあ、日本には道教の廟があるわけではないので、それは仏教で外典として取り入れられるか、神道と習合するか、仏教と習合した状態のものを取り入れるか、、、というような経路を経るものだろう。
 そう言う意味では、今回はダイヤの原石が提示されたところ、というと、不勉強にも程があるのか? いや、とにかく集めてみるというアグレッシブさがいいよね。
 と、北魏時代の尊像で単弁の祖型のようなものを見た。やっぱ、朝鮮半島経由だった寺院建築の技術が、中国からダイレクトに入ってくるような所で山田寺式系統を考えたい(すごくマイナーな考え方だろうな)ので、興味深い知見。
 実際、QSがどの程度、太刀打ちできたのかは、みなさんの方が容易に判断できるでしょ。(どうもよく目があるから、、、)、、、でも、井蛙であると再確認するのは大事だよね。

橿原考古学研究所附属博物館
銅鐸−弥生時代の青銅器鋳造−
「弥生式窯業」なんてやると「そんなバカな!」と、すぐに否定されてしまうけど、青銅器鋳造の技術からいったら、やっぱ鋳物師(いもじ)的な職人集団を想定したくなるよね。と、いいつつ、検証実験はどの程度、専門家の知見を活用したのだろう? 専門家が1人いたとして、その指示をコピーするのようなカタチで、次の人にバトンタッチをしてゆく、指示を受けた人と、受けなかった人には、歴然と技術的な乖離があって、その乖離に対する畏敬から「職人」と区別する、訳でしょ。だから、職人いる、いないとか、ミームある、ないっていうのは、ただの言葉遊びに感じるのは、僕だけなんだろう。
 まあ、一級の資料ぞろい(あれだけの鋳型、鋳型の外枠をみるのは初めてではないだろうか?)なんだから、そこから、何を想像するかは、みなさん次第なんだし、、、
 石の鋳型、土の鋳型にも、はっきりとした利用上の区別があるようには見えなかった。そこに何らかの区別があったのか、なかったのか?

大阪市立美術館
道教の美術 TAOISM ART
090915〜1025

橿原考古学研究所附属博物館
秋季特別展
銅鐸−弥生時代の青銅器鋳造−
091003〜1123