governmentとpolitics
交易における秩序という意味の政治はgovernmentなんだろう。しかし、たとえば縄紋時代にある黒曜石の交易に秩序があればやはりそこにも政治の力が働いていたと言えるのだろうか?
江戸時代には「公儀、多忙につき相対(あいたい)済まし」のような、交易のような民事上のトラブルについては当事者同士でことを行うのが慣例とされていた。ここにgovernmentは存在するのだろうか?
やっぱ古墳時代後期から現代までの政治といえば「利益誘導」なのではないだろうか? politicsという言葉に置き換えられるのかもしれない。
「国民1人に1万円づつ配れば票は固いな」とか「土建業とのゆ着」とか「社会構造の不備からニートが生まれているからニートにも生活の安定を」それぞれ、内容は大きく異なるが、それは誰かを富ませるために動いているのであって、「秩序の安定」という立場からすれば、真逆のスタンスなのかもしれない。
「利益誘導」とみかえりとしての政治家の「搾取」は文明の上下に関係なく案外普遍的に存在するのではないだろうか?(こういうスキームは政治的に発達した社会しか持ち得ないのだろうか? 言い換えれば、古墳時代後期~8世紀くらいの日本において成り立たないのだろうか?)
結局、こういう話は、自分の政治信条であるとか、社会に対する認知によって大きく変化することなのだろう。
まあ、僕はpolitics史の立場から尾張の窯業であるとか、製塩業なんかが、どのように殖産されて、その富の搾取は、つぎなるどのような「利益誘導」の原資となっていったのか?(ああ、これを考古学でやろうとするとA氏とモロかぶりなのか、、、)ということを調べてゆけたらな、、、という『白瑠璃の碗』の糸口の話。